「もう少しだけ、僕と生きてくれるかい?」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:橋本 とおる(ライティング・ゼミ12月コース)
『7時45分』
スマホの画面に表示されている時刻を見て、私は焦った。
慌ただしく家を飛び出し会社へ向かう。
冬場は日の出が遅いし、なにより寒くて布団から出られない……
「間に合うかな……」
寝過ごした言い訳をしている場合ではない! とにかく前に進まなければ!
息を切らしながら会社のエントランスに表示された時計を見てホッとする。
『8時50分』
なんとか間に合った!
火照った身体を冷ますために袖をまくると、袖口から勢いよく滑り落ちてきた私の腕時計は『3時27分』を指していた。
時刻が合っていない時計など、なんの意味もない。
以前、お客様に昼食後の出発時間を伝えようと腕時計を見た時、『6時20分』を指していて冷や汗をかいた。手元にスマホがあって本当に良かったと思う。この時から腕時計よりもスマホで時間を確認することが増えたような気がする。
腕時計を外して時刻を合わせると、日中は遅れることなく時を刻んでいた。
私の腕時計は盤面にソーラーパネルが付いているので、時計が狂ったときには太陽の光に当てれば機能が回復する。室内でも蛍光灯の光に当てれば太陽光までとはいかないが、ある程度回復するのだ。
以前にも時刻が遅れることはあったけど、きちんと合わせてからは問題なく動いていたので「今回も大丈夫かな」と思っていた。
翌朝、腕時計の時刻は『2時47分』を指していた。
その日から私の腕時計は、正確な時を刻めなくなった。
「今は夜中だ」と伝える腕時計を毎朝正しい時刻に合わせて家を出る。
できる限り太陽や蛍光灯の光が当たるようにして日中を過ごし、休みの日は一日中、日当たりのよいところで日光浴させるようにした。
『1時56分』
それでも時計は遅れていく。
「もう、寿命なのかもしれない……」
時計が遅れはじめてから10日くらい経った頃、そう思い始めた。
「そんなに使ってるんじゃ、もう寿命なのかもね……」
「代わりの時計はないの?」
友人たちに相談してみたが、やはり替えたほうが良いとのアドバイスだった。
代わりなんてなかった。
だって、あの時計は私の特別だったから。
叔母さんが高校の入学祝いにプレゼントしてくれたのは、私にとって初めての腕時計だった。叔母さんと一緒に時計売り場で1時間くらい悩みに悩んで、盤面がシンプルなブルーの腕時計を選んだ。腕時計をすると大人の階段を登ったみたいでワクワクした記憶がある。
それからは、どこに行くにも一緒だった。
入試や面接など、人生の節目の時にはとても心強かった。
いつからか『腕時計を身に着ける』という行為は、私にとって「今日も一日頑張ろう!」という気合を入れるルーティンになっていた。
長く使い続けているものには愛着が湧いてくる。そんな”愛着があるもの”との別れは、とてつもなく寂しい。
引っ越しの荷物が運び出された家と記念写真を撮ったり、車の廃車前に最後のドライブに出かけたり……自分の手から離れる時に「今までありがとう」と感謝を伝えて関係を終えるのだ。今までもそうしてきた。
分かってる。生き物に寿命があるように、機械にも寿命はある。
『大きな古時計』だって今はもう動かなくなってしまった。
「人生をともに歩んできた相棒とお別れするかもしれない」
そう考えると泣きそうになった。
「この時計……高校生の時から使っているんですけど、時間が遅れぎみで……なんとか元に戻るように日光浴させているんですよ」
「そんなに使っているんですか? 物持ちがいいんですね」
「そうですね……間違いなく私と一緒に骨壺に入る時計でしょうね」
同僚との会話が走馬灯のように駆け巡る。
そう、私と彼は運命共同体みたいなものだった。自分が持っているものの中で一番長く身に着けているのは彼だ。
話はできなくても、私と彼は同じ時を生きているのだ。
彼と別れることは、そう簡単に割り切れるものではなかった。
それなのに、私ときたら最近スマホの時計ばかりを見ていて、彼のことを見ていなかった。身に着けていても使っていなかった。だから愛想をつかされたのかもしれない。
今まで当たり前だったものが失われると分かった時、初めてその大切さに気づかされる。
「私はまだ、君とお別れしたくないな……」
翌朝、私は時計の前で立ち尽くしていた。
腕時計と室内の時計を何度も見比べる。
『7時5分』
「合ってる……」
信じられなかった。
毎朝『夜中』を指していた時計の針は、何事もなかったかのように『朝』を私に伝えていた。
あきらめずに日光浴をさせていたからか、私の願いが届いたのかは分からないが、正確に時を刻む彼の姿がそこにあった。
「もう少しだけ、僕と生きてくれるかい?」
規則的な音から、そう聞こえてくるようだった。
「もちろん! これからもよろしくね、相棒!」
朝日に照らされた道を彼と一緒に歩き出した。
***
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