メディアグランプリ

父と私の介護バトル


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記事: 油井貴代子(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「人殺し~! 助けてくれ~!」
ああ、また始まった。私は心の中で舌打ちをした。恥ずかしくて放り出して逃げてしまいたいところだが、周りに「すみません。すみません」と小さな声で謝りながら、心の中で悪態をついていた。
ここは病院である。決して人殺しをするところではない。検査技師は顔色一つ変えず淡々とレントゲン検査を進めている。父は極度の怖がりで、自分が納得するような動き方しかできない。転倒したら最後、自分で起き上がることができないからだ。手をつく位置、足の置く場所、まずはゆっくり座りそこからどうやって横になろうか、横になるためのつかまるところがないじゃないか、と時間がかかって仕方がないのだ。やっと横になっても、腰が曲がってしまっているために、まっすぐ仰向けに寝ることができない。ましてやレントゲン室の冷たい検査台の上となるとなおさら大げさに怖がる。そして「人殺し」となるのだ。「誰も好き好んであんたみたいなジジイ、殺さへんよ」と心の中で悪態をつきつつ、スムーズに検査ができるように、「お父さん、ここに手を置こうか。ここにつかまってゆっくり横になれるかなぁ? 怖い? 大丈夫やで、私が支えてるから」と大声で声をかける。
 
父はとても細かい性格の人であった。毎日の家計簿が1円でも合わないと大変な大騒ぎになるくらいであった。新聞の折込チラシを見て1円でも安いものを手に入れようと、各スーパーの最安値をメモしていた。きちんとした性格、と言えばよいのだがメモ魔でなんでも書き込んでいた。メモにはスーパーの値段だけではなく、毎日の自分の生活、例えば何時に起きた、何を食べた、トイレに何回言った、今日はこんな出来事があった、など退屈しのぎになんでも書き留める人であった。80歳過ぎるころまで元気にパート勤めをし、週に2~3回は山に登るくらい足腰の元気な人でもあった。転倒して足が悪くなった後も、杖を突きながらゆっくり歩き、病院や買い物や高齢者向けの寄り合いにも出かけていた。
ところがまた転倒し、今度は大腿骨を骨折してしまった。リハビリをして何とか家に帰ることはできたが、入院前のように買い物や病院に一人で行くことができなくなった。父は一人暮らしではなく、私の弟、つまり自分の息子と二人で住んでいたが、やはり介護的なことや日常的なことの世話は難しく、私が週に1~2回実家に通うことになった。
 
話し相手が私だけということもあり、機嫌のよいときはいろんな話をしてくれた。機嫌の悪いときは文句ばかり。そんなに文句ばかり言わんと、と諭すと「もういい! お前の顔なんか見たくない! 帰れ!」とこんな調子だ。そのくせ、後から電話がかかってくる。追い返したことにはまったく触れず、「次はいつ来てくれるんかな?」と聞いてくるのだ。私も何もなかったように返事をしていた。
父からの電話はしょっちゅう掛かってきた。いや毎日何回もだ。それも出るまでしつこく掛けてくる。ある時など携帯電話の着信履歴30件が全て父からだったことがある。一回30コールで電話は切れ、そのたびに何度も何度もかけ直し、ようやく私が出たと思ったらもう怒りが最高潮で「なんで出ないんや!」とこうだ。「私にも用事があるんよ?」と答えると、「わしが死にそうやから電話してるのに、お前はもうわしのことなんかどうでもいいんやな?」そう言われカッして喧嘩になることもたびたびだった。
それからこんなこともあった。入院中の父からの電話に出た途端、「わしは危篤やから、今すぐ来い!」もちろん危篤の人間が電話などできるわけがない。のんびり病院に向かった私を鬼の形相で待ち構えていた父は、「危篤やゆうてるのに、なんですぐに来んのや!」と大声で怒鳴り散らす。ここまでくるともう、笑うしかない。「あのね、危篤なんやったらおとなしくベッドの上にいるもんやで?」
父は怒りっぽくなった。でも私は気が付いていなかったのだ。メモ魔で私の電話番号を空で覚えていて、相変わらずお金の計算に細かい父がすでに認知症になっていたことを。
 
私は何度かお客様の家で経験したことがある。
とてもきれい好きだったお客様が、足の踏み場もないくらい汚い部屋で生活をしている。穏やかだったお客様が、急に怒りっぽくなる。これは認知症の始まりらしい。父にも同じような症状があったのに、頭の回転がとても良かったためにそれを見逃していた。最後の入院で「もう一人で生活されるのは無理だと思いますよ」とケアマネージャーに指摘され、やっと気が付いたのだ。
その後、父をグループホームに入所させた。入院中も看護師や職員を困らせることが多かったのだが、それは寂しかったことの裏返しであったようだ。とにかく自分に注目してかまってほしいという父の気持ちが全ての騒動を起こしていたらしい。もう子供である。
グループホームに入所した後も私は通い続け、だんだんと穏やかになっていく姿を見た。
ホームの職員に「若いころに嫁に先立たれて、父一人娘一人で苦労したんや」と話していたらしい。大変だったんですねと職員に言われ、笑ってしまった。すべては自分の都合のよいように頭の中で変えられていくようだ。自分の嫁のことも息子のことも頭の中から消えてしまったのはなんだか寂しいような気がしたが、穏やかな日々を過ごしていることに安堵した。私が訪ねていくことをとても楽しみに待っていて、ベッドの中で何度も何度も目を開けて私がいることを確認しながら昼寝をしていたのが思い出される。
 
父はホームのみんなに見送られて旅立った。
とても穏やかな、今にも目を開けそうな顔であった。
 
 
 
 
***
 
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2022-03-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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