本と本のその先の体験を提供するということ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:湯浅直樹(ライティング・ゼミNEO)
つい先ほどのことである。
書店のレジ対応をしていると、
紺色のスーツを着て、長身に黒い眼鏡をかけた青年が、新潮文庫の『銀河鉄道の夜』をレジカウンターにのせた。
あぁ、僕の好きな本だと心の中でつぶやく。が、顔には出さない。
自分の好きな本をお客様にお買い上げいただくのは、
書店員として働いていて幸せを感じる嬉しい瞬間だ。
青年は、おそらく20代くらい。はじめて見る顔だ。
なんて声を掛けようか。
僕は、こういう瞬間に、お客様に声をかけずにはいられない性分なので、
本のバーコードをスキャンしながら、
レジのなかで会話の糸口をあれこれとさがした。
もうすぐ、ケンタウロス祭りと同じ季節ですね、というのはどうか。
いや、全然違う。
『銀河鉄道の夜』に出てくるケンタウロス祭りが開催された季節は、現実世界に置き換えると8月頃と言われている。
いまはまだ4月。ぜんぜん先のことじゃないか。
金額を告げて代金を受け取る。あぁ、会計が終わってしまう。
逡巡しているうちに、指先が自然と手元のチラシに触れた。
そうだ、このイベントの話をしよう。『銀河鉄道の夜』と同様、日本の古典文学がテーマのイベントだ。
「今度、4月23日に『古典で漫画を描く』というイベントをするんです。よかったら、来てください」
カウンターに置いた手づくりのチラシに、彼の目がいく。動きを止めてくれた。
「夏目漱石の『夢十夜』の第一夜を、みんなで1ページの漫画にしてみようというイベントなんです。
小説を絵にしてみる。文章のどこを、どんな風に切り取るのか、その視点の違いを楽しもうというのがこのイベントの趣旨なんです。絵の上手い、下手は問いません」
僕は、チラシに目を落としている青年の顔を見ながら説明した。すこし早口になっていたかもしれない。
「絵の上手い、下手は問わないと聞いて安心しました」
顔をあげた彼は、笑顔でそう返してくれた。
僕はすこし手応え(希望と言ってもいい)のようなものを感じて、話をつづけた。
「ラフでもいいんです。時間内にきちんとした漫画に仕上げるのはむずかしいかもしれません。でも、それでも良いんです。
みんなで絵に描いてみて並べたら、この人は、こんな風に見ていたのかと、それぞれの視点の違いが分かっておもしろいと思うんです」
僕と青年は、『銀河鉄道の夜』とチラシを前に向き合った。
「夢十夜を読んだことはありますか?」
「いや、ないんです」
「教科書に載っているかもしれないけれど、まだ読んだことがないという人、スタッフも含めて周りにいますね。
今日申し込んでくれた女性も、そう言ってました。でもそれで良いんです。これをきっかけに読んでくれたらいいなと思ってるんです」
彼は、チラシを手に取って眺めている。
僕は、カウンターに残った『銀河鉄道の夜』見ながら、
知りたかったことを彼に訊いた。
「どうして『銀河鉄道の夜』を買われたんですか?」
彼は顔を上げると、すこし照れくさそうにしながら「むかし教科書で読んだことがあったんですけど、忘れてしまって。ちゃんと読み直してみたくなったんです」と答えてくれた。
なるほどな、と僕は思った。
そういう理由で古典文学を手にされた方に、僕は何人が出会っている。
高校生のお客様が、漱石の『こころ』や梶井基次郎の『檸檬』を購入されたときも、おなじような回答をもらったっけ、と記憶が蘇った。
これから小説を読む彼に何を話そうか、
そう頭で思うよりはやく、口が動いた。
「『銀河鉄道の夜』は、出だしが面白いですよね。途中から話がはじまりますから」
何を突然言われたんだろうと、青年がすこし驚いたのがわかった。
「『銀河鉄道の夜』は、
“ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりとした白いものがほんとうは何かご承知ですか。”
という風に、会話の途中からはじまるんです」
ふーん、という風に青年は聞いている。
僕の話した内容を咀嚼しているようだった。
僕は、良い書き出しですよね、と言いながら、彼が『銀河鉄道の夜』を手にするのを見ている。
『銀河鉄道の夜』の魅力は、たくさんあるけれど、僕は冒頭の、この書き出しが好きだ。
学校の午後の授業で、黒板を前に先生が生徒に話しかける。教室には、主人公のジョバンニや友人のカムパネルラが座っている。
小説は、先生の話の途中からはじまる。
“ではみなさんは、そういうふうに……”。
僕は、ある朗読劇が「ですから、何度も申し上げているように……」という女の台詞ではじまったのを観たことがある。
シェイクスピアの戯曲や児童文学の『モモ』も、登場人物がはじめて台詞を言う場面で、その登場人物は、話を途中からはじめる。『モモ』の作者ミヒャエル・エンデは、第二次世界大戦後に小劇場のシナリオを書いていたことがあるから、そういう経験が小説にも活かされているのかもしれない。
僕は、作劇の専門家ではないから、詳しいことはわからないけれど、読者や観客をすっと物語世界に招き入れるうまい手法だと思う。あくまで個人的に、ということになるけれど。
『銀河鉄道の夜』がしまわれ、鞄が閉じられた。
鞄を手にした彼は、帰りながら振り向いてこう言った。
「『夢十夜』読んでみます。読んでみてから、参加するかしないか決めようと思います」
最後に笑顔を見せると、彼は帰って行った。
彼を見送ったあと、僕は彼が電車のなかで『銀河鉄道の夜』をひらいているところを想像した。
彼は、小説の出出しを読んでどう思うだろう。
その通りだと思ってくれるだろうか、そんなことが気になった。
彼は、また店に来てくれるだろうか。
また彼に会うことができたら、
『銀河鉄道の夜』の感想を訊いてみたい、
そこには、新しい発見があるかもしれない。
もしからしたら『夢十夜』読みましたよ、と言ってくれるかもしれない。
化学の分野で、メインの研究の過程で思わぬ発見をすることをセレンディピティ現象と呼ぶらしいが、今日話した青年にとって『夢十夜』がその思わぬ発見となれば、こんな嬉しいことはないなと思う。
僕の働く天狼院書店には、
「本と、本のその先の体験を提供する」というコンセプトがある。
その先の体験のひとつとして、探していたものとは別のものに出会うこと。
そんな偶然や思わぬ発見のある店として、自分の働く書店が存在できたら嬉しい。
そういう可能性が、今日も僕をたぶん店に立たせている。
***
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