乳がんがうつ病から救ってくれた
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記事:安光伸江(ライティング・ゼミNEO)
「あの頃、死にたがってましたよね」
乳がんの全摘手術から5年半がたち、転移が見つかって化学療法をすることになった。血管が細く点滴をするのが大変な私は「CVポート」なる器具をからだの中に埋め込むことになった。そのポートを使って採血や点滴をするのだ。一泊二日の入院で手術が行われ、局所麻酔で手術をしている時、四方山話の中で先生はそう言った。
乳がんが発覚したのは父が急逝したすぐあとだった。もともとうつ病も持っていたし、ストレスもたまっていた。うつ病は「死にたい」気持ちが出てくるのが怖い病気で、よく母に「私は乳がんで死ぬ」と言っていたら、本当に乳がんを引き寄せてしまった。患部を見た従姉に「すぐ病院に行きなさい!」と連れていかれた乳腺外科では、初診の日に「99%、いや、99.9%、乳がんですっ!」と宣言された。
手術をしないという選択肢はないか聞いてみたら「ありますよ、むしろ、手術ができるかどうかが問題なんです」と言われた。あとで聞いた話では、手術ができるのはまだいい方で、私の場合は病状が進んでいて、手術ができない可能性もあり、できたとしても再発・転移の可能性大だったらしい。完治の可能性は5割くらい、と2回目の診察の時に説明されたけど、それって「5割の確率で死にます」ってことだったんじゃないかな、とあとから思った。
「先日お話した通り、乳がんでした。手術、いつにしますか?」
当時、母が圧迫骨折でほぼ寝たきりで介護をしていた私は、母を一人にできないから通院で治療できないかと思っていた。
「ちょ、ちょっと待ってください、母を一人にできません」
「希望は何かありますか?」
「穏やかに死にたいです」
そんな話をしたのを覚えている。うつ病を長く患って仕事ができなくなってしまった私は、死ねるものなら早く死にたかったのだ。そんな気持ちも先生はわかっていたらしい。
その後、母を預かってもらうリハビリ系の病院を世話してもらい、私は安心して手術のための入院をすることができた。親戚中が面倒を見てくれ、特に、数年前にがんで娘を亡くした叔父には心配をかけた。叔父の娘、つまり私の従妹は私より学年が5つ下で、育ち盛りの子どもを残して旅立ったのだ。従妹のがんが発覚した時には手術ができない状況で、抗がん剤などの治療をしていたが3年ほどで亡くなった。だから叔父は「手術ができるだけよかった」と喜んでくれていた。
入院はけっこう楽しかった。食事もおいしく食べられたし、親戚や友人が見舞いに来てくれたし、2週間を機嫌良く過ごした。母の介護をするので精一杯だった私は、人さまにケアしてもらうのがよほど嬉しかったらしい。
無事に退院して、抗がん剤の治療が始まった。白血球が減る副作用がある薬だそうで、点滴の2日後に白血球減少を防ぐ注射をしに病院に行くことになった。バスで通う途中、ふと気がついた。
「あれ? 私、生きるための努力をしてる!」
乳がんっぽいなぁ、と自覚症状があった時も、先生と話した時も、死ぬ気満々だったのに、「ああ、やっとこれで死ねる」と思っていたのに、いざ手術と抗がん剤治療をしてみると
生きようともがいているのが自分でわかった。
「先生、私、生きられますかね」と聞くと
「生きられますよ、還暦も迎えられるかもしれません」と言われた。
実は私の乳がんはかなり病状が進んでいて、手術当時でステージ4にかなり近い3だという話だった。幸い、術後4年半になるまで再発・転移がなかったので、その途中に
「いやぁ、よくここまで来ましたねぇ、お亡くなりになったら、ずいぶん病状進んでいたもんねぇ、っていう話になってたと思うんですよ」
なんてことも言われた。5割の確率で完治する、という話が、5割の確率で死にます、だったのをはっきり認識したのはこの時だった。ああ生きててよかった。
その後母も亡くなり、遺された家を相続して、一人暮らしをするようになった。母が亡くなる1ヶ月半ほど前から精神科の訪問看護を受けているので、毎週2回いろいろな話をする。近所の人とも挨拶をする。そんな、のんびりした日々を過ごしていて
気がついてみたら
うつ病がだいぶよくなっていた。
まだ薬は飲んでいるし週1回通院して先生と話をするのも続けている。がんの先生には「訪問看護なんているの?」と言われるくらい元気に見えるらしい。完全によくなった、とまでは言わないけれど、乳がんになったおかげで、明らかにうつ病はよくなった。
人さまにケアをしていただけること
近所の人や親戚と関わり、みんなに親切にしてもらえること
行きつけのお店でたわいもない話をすること
そんなちょっとしたことが、病気をよくしてくれたみたいだ。
昨年春、術後4年半の時点で骨に転移が見つかり、放射線治療を経て今年から化学療法をすることになった。だからこれから先いつまで生きられるかわからないけど、とにかく「生きよう」という意思だけは明確にある。
そして、来月には還暦を迎える。
「還暦も迎えられるかもしれませんよ」とがんの先生に言われた、その還暦だ。
無事に還暦を迎えたら、生まれかわったつもりで、楽しい60代を過ごしたいな。うつ病もがんも、うまくつきあって、長生きできるといいな。
がんばろう!
***
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