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私がホタルイカの目と口と背骨を取る理由


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:宮村柚衣(ライティング・ゼミNEO)
 
 
年に数回、私はホタルイカの目と口と背骨を取る。
 
冬の刺すような冷たい空気が一段落つき、桜の蕾が膨らみ始める頃。
 
私は窓を開け、撫でるような空気を感じながら、体長2cm~3cmの小さなホタルイカの目と口と背骨を取る。
 
ホタルイカの目と口と背骨は、とても小さい上に意外と硬く、取り除くのに指先の力を使う。特に「口」は、ホタルイカの沢山ある足の真ん中にあるから、足を「口」と一緒にもぎ取ってしまわないように神経を使う。
 
正直、私はこの作業が大嫌いだ。
チマチマしているし、細かいし……、全く楽しくない。
 
しかも、私はイカが嫌いだ。
 
できるなら、小指ほどのホタルイカの目と口と背骨を取るなんて苦行に身を投じたくはない。
 
が、しかし。
 
私はスーパーで富山県産のホタルイカを見つけると必ず買う。
というか、買うことに決めていると言っても過言ではない。
 
もちろん、心は全く躍らない。
 
むしろ、見つけちゃったよ……。あぁ、なんとか見なかったことにしたい……けど……。
 
ネガティブ思考満載な自問自答が頭をぐるぐる駆け巡る。
 
錦糸町駅前にある老舗鮮魚店『魚寅』。
そこでピカピカの富山県産ホタルイカと静かに対峙している主婦を見かけたらそっとしておいて欲しい。
 
そんな自分との戦いを経て、私は富山県産ホタルイカ380円をカゴに入れる。
 
そして帰宅後、窓を開けJ-WAVEを聞きながらチマチマ、チマチマ手を動かすのだ。
 
ホタルイカの目の周りの黒い部分も丁寧に取り除く。手慣れたものだ。
 
背骨もしっかり取り除く。ホタルイカの頭の先を爪で切り取り、少しだけ見え隠れする透明な薄いプラスチックのような背骨(正確には軟骨)を素早く一気に引き抜く。(この作業は、ちょっとだけ楽しい)
 
ホタルイカの下処理の方法は、今はもうない錦糸町の小料理屋の女将さんに教えてもらった。錦糸町の駅からは建設中のスカイツリーが見え、街は不良少年からダンディなマイホームパパへのイメチェン中だった。
 
当時、私は20代後半で、付き合っていた彼氏と錦糸町界隈の飲み屋さんを巡るのが楽しみだった。仕事終わりに、イルミネーションで飾られた錦糸町の駅前で待ち合わせし、ぶらぶら歩いて良さげなお店に入る。ホットペッパー(割引のあるグルメ情報誌)全盛期だったが、手をつなぎながら夜の街を散策し、自分たちでお店を見つける方が数倍楽しかった。
 
当時の彼氏は口下手で面白みに欠ける男性だったように思う。ただ、とても穏やかで優しい人だった。一緒に居ると心地よかった。
 
その小料理屋は錦糸町駅北口から徒歩1分のところにあった。5人ほど座れるカウンターと、4人掛けのテーブル席が2つだけの小さな小料理屋。3000円で飲み放題、食べ放題、カラオケ歌い放題という、変わった小料理屋だった。
 
メニューはなく、恰幅のよい女将さんが旬の食材を使って美味しいごはんをつくってくれた。例えば、茗荷とネギとカツオ節がこんもり盛られた冷奴。白髪ネギがたっぷり乗ったエリンギのバター炒め。へぎ蕎麦を使った、熱々の鴨汁つけ蕎麦。割烹料理というよりは、ひと手間かけた家庭料理を食べさせてくれるお店で、何を食べても美味しかった。
 
特に春先にしか食べられないホタルイカの酢味噌和えは最高だった。食べる度に悶えた。下処理をしたホタルイカは舌触りが良く、「ひっかかる」ものが何もない。そこにあるのは、ホタルイカの濃厚な味噌と柔らかい食感だけだった。
 
「何これ。すごい」
 
口の中に何か残るホタルイカしか食べたことがなかった私達には衝撃的だった。特に彼氏はいたく感動し、ホタルイカが一番の好物になった。私は元々、イカが嫌いだ。なので、1つ2つ食べれば満足する。だが、口下手で感情表現が苦手な彼氏が、満面の笑みを浮かべ幸せそうに、ホタルイカを1つ1つ丁寧に食べる様を見ると何とも言えない幸せな気分になった。
 
ホタルイカでこれだけ幸せになれるなら、結婚してもいいな。そう思った。
 
そんな私達をみて、「手間だけどね。全然違うから」と、女将さんは丁寧にホタルイカの下処理方法を教えてくれたのだ。そして、「ホタルイカはね、富山県産が絶品よ」とも教えてくれた。
 
そして、少しずつ伸びていくスカイツリーを見ながら、しばらくして私は当時の彼氏と結婚した。
 
夫と出会うまでの私は、幸せを求めて心をすり減らす恋愛ばかりしていた。だって、恋愛ってそういうものでしょう? 「恋い焦がれる」というくらいだもの。そう思っていた。
  
でも、夫との恋愛は違った。
 
燃えるような恋ではなく、そこには穏やかな愛があったように思う。
始めはとても小さな愛だったが、時間が経つにつれ愛は少しずつ大きくなっていった。
 
夫の口下手なところは、博識で思慮深いからだと気付いたし、面白みがないと思っていた性格は、家庭を築き人生を伴に生きるパートナーとしては申し分なかった。
 
特に、私の極端に振れがちな思考を受け止め、探偵のように何とか理解しようとしてくれる夫の姿勢には感謝しかない。
 
しかしながら、夫と結婚して一番良かったこと。それは、「私」を一度も「変えようとしなかった」ことだ。
 
そう、だから、私はホタルイカの目と口と背骨を取る。
 
私の大嫌いなチマチマした苦行と「私」を一度も「変えようとしなかった」夫が嬉しそうにホタルイカを食べる姿を天秤にかけると少しだけ嬉しそうにホタルイカを食べる夫が傾くからだ。
 
「私」を一度も「変えようとしなかった」ことが夫の愛ならば、ホタルイカの目と口と背骨を「チマチマ」取ることが私の夫に対する愛なのだろう。 
 
晴れた空から穏やかな陽の光が照らす頃、私はホタルイカの目と口と背骨を取る。あの頃を思い出しながら。そう、錦糸町の小料理屋で初めて見た、あの夫の笑顔を思い出しながら。
 
 
 
 
***
 
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