メディアグランプリ

無意識に刷り込まれた愛ある母の呪いの言葉


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:中村まりこ(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
あなたにはあるだろうか。
忘れられない母の言葉が。
 
わたしにはある。
強烈なものがひとつ。
わたしの婚期が遅れているのはこのせいだなと
ある意味開き直っているが、それほど強力なものだ。
 
その言葉はわたしの中で、
男性に対しての一種の結界のような効力がある。
 
心の底から男性を信用していない、
我を忘れるくらい愛してはいけない、
体は許しても心は渡さない、
心はさらけ出しても体は渡さない、
自分のすべてをさらけ出さない……
 
無意識領域にそんな概念を刷り込んだ母からの言葉。
 
母は娘を守るために、
何気ない優しさから出た言葉なのだろう。
そう思う。
 
だがしかし、今となっては……。
呪いとも感じる言葉である。
 
「最後に泣くのは女だからね」
 
ものすごく重たい鎖を感じないだろうか。
わたしは、この言葉に縛られ続けていたのだ。
 
勝手にいろいろと想像を巡らせてしまう言葉なのだ。
 
そう、勝手に。
最後にどん底に落ちて泣いてしまう自分を思い描いてしまう。
 
そして言葉には入っていないのだが、
無意識下にしれっと、
「男には気をつけろ、泣かないように自分を守れ」という暗示をかけるのである。
 
この言葉を聞いた瞬間、衝撃が走ったことを一生忘れないだろう。
 
あまりにも重たい鎖のような呪縛を、
20代だったわたしにさらっと母は植え付けたのだ。
 
この言葉を聞いたのは、20年ほど前。
 
まだ大学生で、真面目に勉強をしていたものの、
アルバイトや夜遊びもしていた頃だった。
無断外泊はしなかったものの、当日になって、
友人宅に泊まるという連絡を度々していた。
 
まぁ、親ならば心配もするだろう。
わたしは子供を産んでいないので、
心の底から親の子に対する心情を計り知ることはできないが、
心配はしてもらえていたほうだと思う。
友人には心配性すぎると言われていた親だ。
 
そんな心配をかける娘に彼氏ができたのだ。
休みの日は暇があれば彼氏と出かけ、夜に帰ってくる。
あれこれと親に話をしていた娘が彼氏のことや夜遊びで何をしていたかなど
話さないことが増えてきた。
 
今思えば、寂しかったのだろう。
 
呪いをかけられたのはたしか、
彼氏とのお泊りデートから帰ってきた翌日の夜だった。
 
お風呂上がりで寝る前の歯磨きをしているわたしに、
母はわたしの背後から呪縛をかけたのだ。
 
母「最後に泣くのは女だからね」
私「えっ???何?どういうこと?!」
母「自分が一番わかっているでしょ、気をつけなさいよ」
私「……。何なのさ……」
 
この日を境にわたしはなぜか、勝手に、
男性と接するときに隙間を作るようになった。
距離的なものではなく、心の隙間を。
 
泣きたくない……、
この人が泣くことはさせないと誰が保証してくれるのか、
万が一に子供ができたらこの人は守ってくれるのか、
この人を心から愛していいのだろうか……。
 
そんな不毛な、誰も答えてくれない問答を勝手に思考とするようになったのである。
 
そして、この言葉のせいだけではないが、
彼氏と別れ、その後もそれなりに恋愛はするものの、
「最後に泣くのは女だからね」を回避するべく、
燃えるような、少女漫画のような、恋焦がれるということはなく、
40歳を超え、会社では管理職にまでなってしまい、
周りからはバリキャリなどと嬉しくもないレッテルを貼られ、
いまも独身を貫いている。
男性に対してバリアを張っていたなぁと感じるのである。
 
どちらかといえば、少女漫画のようなキュンキュンとときめく出会いや、
人生を思い描いていたのだが、まるっと違ってしまった。
 
とはいえ、もうここまで来たら、降参するしかなく、
この呪縛から解き放たれるにはどうしたものかと、
あれこれ考えた末に、わたしはひとつの結論を出した。
 
呪縛から抜け出す解放の言葉を見つけたのだ。
 
「すべてはわたしの選択次第」
 
最後に泣くのは女だからと、そう決めつけているのは母であり、
すべては選択次第なのだとわたしが思っていれば、
もし最終的に泣いたとしても、わたしが女だから泣いたのではなく、
わたしが選択し行動した結果、泣いたことになるのだから、
そこに男だからとか、女だからとかは関係がないのだ。
 
その時、その瞬間、泣くと選択するのか、泣かないと選択するのか。
泣くような選択をするのか、泣かない選択をするのか。
全てはわたしが選べるのである。
 
あえて、劇中の悲劇のヒロインのように、
泣く結末を選択することもできるのだ。
ハッピーエンドは相手ありきであり、選択肢は相手も持っているから、
わたしの選択だけではどうにもならないが、そこへ行くための紆余曲折は経験できる。
人生を遊ぶという捉え方で、選択を意識して生きてみると楽しいのかもしれない。
この命は、この一回きりなのだから。
 
などと言えるほどに、
わたしは、最強の解放呪文を手に入れたのである。
 
ここにたどり着くまでに、20年もかかった。
なんとも強力な呪縛をかけられたものだ。
 
いや、母も母で、自分で自分にこの呪縛をかけていたのではないだろうか。
今になると、同じ女として、そう思う。
母が生きていた時代がそう思わせ、言わせたのかもしれない。
 
そりゃ、強力なはずである。
年季が入りすぎていたのか。
 
だが幸いなことに、20年をかけ、
わたしは呪縛から解放されたのだ。
今後の自分に期待をしながら、
いま、この瞬間に出会う男性との関係をすすめるのに、
たくさんの選択をすることを楽しめるようになった。
 
それにしても、言葉には力が宿るというのは本当だなと心底思う。
自分がこんなにも、母の発した言葉に縛られているとは思わなかった。
 
時として何気なく発した自分の一言が、
誰かの一生を左右することもあるのだ。
自分が発した言葉が、人を傷つけることもある。
その逆も然り、人を救うこともあるだろう。
 
自分の発する言葉が、
自分を、誰かを縛る鎖や傷つける刃物のような呪縛になるのではなく、
自分の、誰かの救いや癒しのような祈りのようなものでありたいと願うばかりだ。
 
さて、あなたは自分の発する言葉は、大丈夫だと言いきれるだろうか。
自分にはそのつもりがなくても、
相手は思いもよらない言葉で縛られ、右往左往しているかもしれないのだ。
 
あなたのその言葉、誰かを縛る呪縛になってしまってはいませんか?
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~21:00
TEL:029-897-3325



2022-04-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事