メディアグランプリ

母の献身


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:伊藤ゆずは(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「18時22分に駅に着くからできれば迎えに来て」
夕飯の支度の最中に、塾帰りの長男からショートメッセージが届いた。
 
私がフルタイムの職を辞して家にいるようになってからは、塾通いのたびにこのメールが送られてくる。つい1か月程前まで一人で行き来していたはずなのだが、本人いわく、最寄り駅から自宅まで徒歩6分の道のりが「ちょっと怖い」らしい。
 
夕食作りの途中だったり、パートの仕事でひどく疲れていたりすると、心の中で「え~。一人で帰って来てよぉ」と思わないでもないが、いつも結局スマホと上着をひっつかみ、
次男と夫に「ちょっと迎えに行ってくる」と声をかけて家を出る。
 
道すがら、「私もよくお母さんに迎えに来てもらったなぁ」と大昔をふりかえる。生まれ育った港町の名もなき交差点に、雨の日も雪の日も、どんな遅い時間でも、母の姿はあった。
遅い帰りや天気の悪い日の外出を詫びると、いつも決まって「いいのよ、私が来たかったんだから」と母は言った。
 
母の家族への献身ぶりに「お母さんてすごいなぁ」と思っていた私が、いつの間にか母になってしまった。長男もいつかこの道を懐かしく思うことがあるのだろうか……。
 
最近、美大出身の親友に面白いよと勧められて、『ブルーピリオド』という漫画を読みだした。主人公の男子高校生・矢口八虎(やぐちやとら)が、ある日突然絵を描くことに目覚め日本最難関の東京芸術大学進学を目指す、いわば文化系ヒーローズ・ジャーニーだ。
 
メインストーリーも確かに面白いのだが、特に魅かれたのが、主人公やその友人、ライバル達の親子関係の描き方だ。多くのページやカットが割かれているわけではないけれど、各々のキャラクターとその家族の関係性が実に巧妙に描かれており、「この親にしてこの子あり」だなぁと、思わず膝をうってしまう。
 
思わずうるっと来てしまったのは、母へ向けた八虎のセリフだ。
「熱いお湯で食器を洗うから母さんの手はささくれてるとか
買い物の荷物は重いから意外と腕に筋肉がついているとか
…そうやって描いてるとだんだん思い出して来るんだよ
食事はいつも肉と魚が1日おきだよなあとか
一番盛り付けの悪いおかずはいつも母さんが食べてるなあとか
この人本当に家族のことしか考えてないんだって」
 
うちの母も八虎のお母さんと同じだった。いつもいつもおいしいものを前にすると、「私はいいからあなたたちが食べなさい」と言い、テレビを前にすれば、「あなたたちが好きなものを見ていいよ」と言って。自分のことは後回しで、いつも家族が優先。子供たちが2度目の成人式を迎える年になった今も、それは変わっていない。いや、尽くす先が孫にまで拡大した分、さらに献身的になっていると言うべきか……。
 
私はそんな献身的な「母」になれているだろうか。いやいや、まだまだその境地には程遠い。「子育て」は「己育て」とも言われているけど、母親歴11年の私はまだまだ修行中の身だ。「理想の母」への道のりは、長く険しい。
 
最寄り駅に少し早く着いたので、自転車を置いて改札の前で長男の到着を待つことにした。ほどなくして電車が到着すると、帰路に着く人波の真ん中ほどに、我が子はいた。首から下げたキッズ携帯を左右にぷらんぷらんと揺らしながら、ゆっくりとした足取りでこちらへと向かってくる。
 
改札を出た長男に「ママ待った?」とたずねられ、思わず「今着いたばかりだよ」と答える。
彼には待たせたことを詫びる気配などさらさらないのに、なぜだか小さい嘘が口をつく。
 
自転車を押しながら2人並んで歩き始めると「ママ、俺走りたいから自転車乗っていいよ」と長男。「そうなの? 了解」と返し、自転車にまたがる。駅前にある踏切を渡ってすぐの急坂をのぼりきると、息子がゼイゼイ言って顔をゆがめながら追いかけてきて、「なんでスピード早める?」とエセ関西弁で聞いてくる。
 
「だって電動自転車だもん。坂道はそんなにゆっくり走れないよ」と返しながら、私が重い自転車を押しながら坂道を上ることを気遣って、息子が小さな嘘をついたことに気がついた。
 
のほほんと実母の献身に甘えきってきた昔の私と違い、意外と鋭い息子は、やさしい嘘で母を労っていたのだ。
 
反抗期に突入した長男とは、近頃口論になることも多い。でも、やさしさにはやさしさで返す、そんな心もしっかり育っていることがうれしくてならない。私は私で「子育て」も「己育て」も頑張ろうと、あらためて心に誓った。願わくば、未来の息子たちにとって「偉大な母」になれますように――。


2022-04-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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