メディアグランプリ

保険をかける女が失った大切なもの


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記事:あまのひかり(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「あなたのことが好きかもしれない」
というのがその女の常套手段だった。それは、お酒の席で、かもしれなかったし、急なメッセージであることもあった。唐突に。さりげなく。何の気なしに。軽いタッチで。
「好きかもしれない」
思わせぶりな女は嫌われるというが、それは思わせぶりというには直接的すぎたし、本当の気持ちだった。ほぼ告白だったが、「あなたのことが好き」とは絶妙に違う響きがあった。
それは、自分の気持ちは曖昧にしたまま、相手の気持ちを確かめる行為だ。もし何の反応もなくたって、「かもしれない」としか伝えてないのだから傷つかなくて済む。それに、そうやって伝える相手にはいつだって彼女がいたから、自分から告白して略奪したなんて言われるのはもってのほかだ。大概の人から好かれる顔立ちと明るい性格も手伝って、「あなたのことが好きかもしれない」と言われた男は、たいがい彼女のことを好きになっていった。
彼女はどんなことでも断定するのを嫌がった。自分の気持ちでさえも、「こんな風に感じているかもしれない」と表現したし、何か他の人のことを評価するときも、何かネガティブなことを言った後は必ずポジティブな面を追加した。現に、多くの人が毛嫌いするような相手の中にも素晴らしい一面が見えたし、だからこそ相手が男であろうと女であろうと、相手が一番喜ぶ言葉を無意識に操って、誰からも好かれているように見えた。彼女はいつもみんなの中心にいて、笑っていた。
「あたしには何にもない感じがする」笑いながらポツンと言った一言にぎょっとしたのは最近のことだ。一緒にいたら楽しいけど、わざわざ会いたいと思わない。そんな風に感じていた時だった。全てを手に入れているように見える彼女の前で、いつのまにか、本音を話さなくなっていた。色々な見方は示してくれるけど、結局彼女がどんな意見をもっているのか、何を考えているのかがわからない。例えば、最近のウイルスのこと一つでもそうだ。医療関係者の事情もわかるし、身近な人が重篤になった人の悲しみも推し量れる。その一方で、過度な移動制限や、屋外なのにマスクをつけなきゃいけないこと、ワクチン接種を進める側と信頼しきれない側両方の意見をどれもわかる、と言って、結局自分はどう感じているのかを曖昧にする姿勢に、イライラしていた。一事が万事そうだったし、彼女自身も、そうやって色々な人の立場や意見に「わかる」と同調すればするほど、自分が本当はどう感じているのか、わからなくなっているようだった。
彼女は本当に自分の気持ちがわからないのだった。「好きかもしれない」は、本当に「かもしれない」のだった。「君は僕のことが好きなんだよ」と言われたら、そうかもしれない。と思った。逆に、「君は本当は僕のことが好きじゃないんだよ」と言われたら、確かにそうかもしれない、と思った。保険をかけているようで、全てが曖昧だった。
しばらくして、久しぶりに会った彼女は憔悴しているようだった。大好きだと思っていた彼に振られたのだ、と彼女は言った。彼の話は知ってはいたが、どんな人かを聞いたことはなかった。ただ、私の本当の気持ちを唯一わかってくれる人なんだ、とだけ聞いていた。それが、誕生日の日にいきなり「僕はあなたが愛しているというから愛していると言っていたのです」という無表情なメールが送りつけられてきたらしい。「でもね、私、それで気づいたの」ときっぱりと前を向いて彼女は言った。「私も同じことを彼にしていたし、それに全然気づいていなかったことに」そして目を赤くしながらこうつなげた。相手の期待に沿った反応をすることがコミュニケーションだと勘違いしていた、と。普通であれば、そこに自分を殺す、我慢するという苦しさがあったかもしれない。でも彼女にはまるで自分がなかったからこそ、息を吸って吐くように自然にやっていた。のっぺらぼうのまま、人と関わっていたことにやっと気づいたのだと、静かに言った。
誰かに褒めてもらうのは気分がいいものだ。好きだよ、愛していると言われたら飛び上がって喜ぶだろう。なのに、その日以来、その言葉たちに感情が動かなくなっていった。もう、誰に言葉を尽くして褒められても嬉しくなかった。それよりも、今は自分のことを知りたかった。美しくなくていい。優しくなくていい。正しくなくていい。ネガティブでもいい。世間からはみだしていたっていい。そんな不完全な私をただ、全力で抱きしめてくれる人と出会いたかった。まずは自分が最大の理解者になりたかった。
だから、私は文章を書くのだ。「こうかもしれないし、ああかもしれない」と全ての可能性を残した世界と決別して、その中から自分は何を考え、何者で、何を感じ、何を発し、どんな人生を送っていく人なのか。誰が好きで、何が許せなくて、どう在りたいのかを削り出していくために。たくさんの言い訳や注意書きを全部そぎ落として真っ裸の私とは、私の本質とはなんなのかを知り、表現するために。
これが、保険をかける女である私が失った大切なものを取り戻そうと立ち上がるまでのストーリーです。
 
 
 
 
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2022-04-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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