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葬儀の日


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記事:黒﨑良英(ライティング・ゼミNEO)
 
 
母方の祖父が亡くなってから、もう、3年ほどになるが、その日のことを、私はよく覚えている。
  
2月の晴れの日だった。
新型コロナウィルスはその名前だけが知れ渡っていた。つまり大きく広まる、かろうじて前だったので、無事、葬儀は通例通り行うことができた。
 
祖父は生前にして叙勲された人であった。
何でも商工会あたりの会長を長年勤めた功績とかで、本人も叙勲されたことを誇りにしていた。
だから、遺影はその時に撮られた凜々しい写真を使った。
とてもではないが、晩年の弱々しい姿は見るに堪えないと、母たちが変えたらしい。
 
会場は田舎の県のさらに田舎の地方。川沿いにある小さなセレモニーホールだった。参列してくれたのは、商工会の人々と、近所の人々、親類一同であり、そう多くはなかった。
いや、小さな集落の葬儀で、これほど集まるのだから、多かったというべきだろう。
祖父は、私が思っていたように慕われていた人で、本当に良かったと思った。
 
読経が終わり、参列者も絶え、いよいよ出棺の時が来た。
住職の言うままに、私たち親類一同が、順番に花を棺に入れる。その際、最後だから体に触ってやってくれ、と言われた。
 
私は手のひらを、祖父の痩せこけた頬に添えた。
当然だが冷たかった。
私は最後に祖父に会ったときのことを思いだした。
 
葬儀の前の年の9月、敬老の日。私は、病院付属の老人ホームに向かった。数年前から、祖父はそこに世話になっていた。
ちょうど叔母と鉢合わせになり、一緒に会いに行くと、夕食の時間となっていた。
 
「手伝ってあげてください」
 
と介護士の方が言うので、謎の食物(祖父は総入れ歯だったが、その入れ歯もすぐに出してしまうとかで、専用の柔らかい食事になっていた)をすくって、口元に持っていった。
 
すると、祖父は自らの手でそのスプーンをつかもうとし、勢い、私の手ごとつかんだ。
驚いた。
その手の力強さに、である。
もはや、私が誰かも分からないし、そもそも話すらまともにできない。瞳も朦朧として、どこを見ているかも定かではなかった。
 
それなのに、その手の力強さ。
これが、祖父の手なのだ。
何十年も、その手で実家の電気屋を支えてきたのだ。地域を支えてきたのだ。
私ごときが想像も付かないすさまじい年月と、経験を、この手で渡ってきたのだ。
そう思うと、涙があふれてきた。
 
祖父は言っていた。
大学で勉強をしていると、一人、また一人と学校に来なくなる。
戦争に召集されたのだ。
自分は病気のために召集を免れた。戦争なんてやるもんじゃない。
 
戦中戦後を、祖父はその手で生き抜いた。
電気屋をはじめ、結婚をし、2女1男に恵まれた。
しかし、妻である人、つまり私の祖母は、若くして亡くなった。
それから、どんな思いで店を続けていたのだろう。商工会の会長をしていたというが、どんな気持ちで続けていたのだろう。
 
やはり私ごときが想像できるものではない。
想像すらできないほど、祖父の手は、なお力強かった。
 
私はそんな思い出とともに、心の中で、祖父に別れの挨拶をした。
 
最後に、母の番になった。
両手を祖父の両頬にあてて、
 
「お父さん、ありがとうね」
 
と声に出して言った。
 
それを見て、ああ、この人はやはり祖父の娘なのだな、と感慨深く思った。
 
母は長女であった。
私と祖父の思い出があること以上に、祖父と母の間には親子の思い出がある。
私の知らない、いや、誰も知らない、2人だけの思い出が。
 
親はいつまでたっても親だし、その子どもはいつまでたっても子どもである。
両者はいつまでたっても親子だ。
 
私は、母の父が祖父であることが、また祖父の娘が母であることが、とてもうれしかった。
 
私は、祖父の孫であることを、誇りに思った。
母の息子であることがうれしかった。
 
この血脈の中にいることが、心底うれしかったのだ。
 
母もおそらく、祖父の娘であることがうれしかっただろう。だからこそ、自然と別れの言葉が出たのだと思う。
あの「ありがとうね」の中に、どれほどの記憶と想いが詰まっているか、これまた想像することはできない。
 
この親子の間にある年月は、誰も侵すことのできない聖域なのだ。
 
お骨は山の斜面にある先祖累代の墓地に納められた。
そこからは、麓の町が一望できる。町と言っても、田舎のこととて数は限られるが……
 
その代わり、富士川の流れがよく見える。
川幅の広い、緩やかな流れの川だ。この地域の時の流れを表しているようでもある。
 
その対岸の地域で、毎年「蛍祭り」が催される。
街灯の消えた真っ暗な道を、幾百の蛍が舞い踊る。
テレビで言っていたが、どこかの国には、蛍は死者の魂だという信仰があるという。だから、蛍は上へ上へ、天へと昇り、途中で高い木に止まっていくのだ、云々。
 
なるほど、確かに蛍は上空へ飛んで行き、木々の高いところで止まっていた。
そんな光景も、ここしばらくは新型コロナウィルスの影響で、見に行くことはできていない。
 
ただたまに、家の裏手の川から、迷い込むように飛んでくる蛍に遭遇する。
お盆に近い日に、ふらりとやってきて、私たちの勝手な想いも知らず、そうしてふらりと天へと昇っていくのである。
 
 
 
 
***
 
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