峠越えと熱中症
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:鈴木みえ(ライティング・ゼミ4月コース)
「やるしかないな」
そう決意して私は18年ぶりにハンドルを握る。
娘が小学6年生、夏休み間近のことだ。
公園で鬼ごっこをしていた娘は、滑り台から飛び降り捻挫した。症状は結構酷く、整形外科に毎日通院することになった。
当時住んでいたのは山の上の住宅地。車がないと不便な場所なのに、私は運転ができなかった。
最寄りの整形外科も、もちろん車じゃないと行けない。
タクシーで往復5,000円。学校も遠く、送り迎えに往復2,000円。なかなかの出費だ。
更に中学生になった息子が入った部活はサッカー部で、夏休みの恒例行事として県外で合宿が予定されていた。その合宿に新入生の父兄はコーチのお茶やお弁当の差し入れ、諸々の雑務をするために当番制で参加が必須だった。
住まいは仙台市で合宿先は山形県天童市だ。
調べてみると電車で行けなくはないが、荷物が多すぎる。
運転免許を取って18年。全く運転していなかった私は腹をくくって、教習所のペーパードライバー講習に通うことにした。
切羽詰まっていた私は僅か2時間の講習を終え、ハンドルを握ったのだった。
最初は家の周りを恐る恐る運転してみた。
18年ペーパードライバー。初心者よりもたちが悪いかもしれない。標識も交通ルールもうろ覚えだ。こんな私が運転なんてしていいのだろうか?
しかし家の周辺は交通量が少なく、道路も広かったため、自分は運転ができると錯覚していた。
そして、2週間後。いよいよ山形に向かうことになる。
待ち合わせのファミリーレストランの前で同じ日に当番になった父兄と荷物を振り分ける。
「車、運転できたんだ!」と言う同級生のお母さんに「2週間前にね、乗り始めたの」
得意げにそう言ったら、そこにいたみんなの表情が固まった。
「え? ほんとに大丈夫? 峠、越えるよ?」
峠? どうやら高速を使わず、一般道で山を越えるルートらしい。ここも山だし、と安易に考えていたのだが、そうではないらしい。
迷ったが「大丈夫、大丈夫!」と出発することになった。
その日は晴天で早朝の山々の緑は美しく、ちょっとしたドライブ気分だった。
峠と言われる道も、心配した父兄が前後を挟んでゆっくり運転してくれたおかげで、何の問題もなくすいすいと合宿先のグラウンドに到着することができた。
山形県は盆地で、仙台と違ったまとわりつくような暑さだった。気温こそそこまで高くはないがとにかく湿気が凄い。
グラウンドのテントの中でお茶を準備したり、手配していたお弁当を取りに行ったり、練習試合をしている子供達を応援した。
異変を感じたのはお昼過ぎのことだ。
突然、こめかみが割れるように痛んだ。普段、頭痛とは縁がない私はその痛みにどう対処していいのかわからなかった。暫くしてその痛みが頭の中心まで突き刺さるようになると同時に、急に吐き気が襲ってきた。
ふらふらと洗面所へ向かい、そこで激しく嘔吐した。そして、しばらく立ち上がれなくなってしまった。
朦朧としながら、なんとか車に戻りシートを倒し、冷房をマックスにする。
子供達のために持ってきた凍らせたペットボトルを首の後ろにあて、そのまま気を失った。
目を覚ますと、日が暮れていた。
なんということだろう。グラウンドには生徒どころか父兄もいない。
漫画みたいだが、カラスがカーカー鳴きながら夕焼け空を飛んでいる。
まだ少し頭が痛い。それよりもとにかく気持ち悪い。
このまま近くのホテルを取って休もうかと思ったが、娘をひとりで留守番させていることと、翌日の仕事が気になった。
「帰るか」ひとりそうつぶやき、エンジンをかける。
しかし、ちょっとでも動くと吐きそうだ。
下着を外し、ジーンズのボタンを外した。とにかく締め付けられるのが苦しいのだ。
来た道を思い出しながら戻ってみる。幸い、難しい道ではなかったので迷わず運転することができた。
そして、あの峠に差し掛かった。
朝とは全く違う風景。そこには真っ暗で一車線の道が続いていた。
街灯もなく、後ろを走っているのは、心優しいサッカー部の父兄の車ではなくピカピカにデコレーションされた大型トラックだ。
車体を左右に揺らし、どんどん車間距離を詰めてくる。ライトを点滅させ、明らかに怒っている。道を譲りたくても、待機所がない。
しかもガードレールがない箇所もあり、その下は崖なのだ。関山峠、というその峠の標高は650m。落ちたらひとたまりもないだろう。
気持ち悪さとは別の意味の冷や汗がどんどん出てくる。
何とか待機所があり、寄せるとすれ違いざまにこれ見よがしにスピードを上げて追い越していく。
「怖い、怖いよう……」もうマジ泣きだ。
恐る恐る車を発進させると、またすぐに後ろから大型トラックが迫ってくる。そんなことを何度も繰り返した。
運転する私の頭の中には「運転を誤って、もし崖から落ちたとしたら下着も外して、着衣も乱れているから何があったのか憶測されるのだろうか」そんなことがよぎる。
バカだ。
真っ暗闇が私を襲う。朝のあの爽やかな風景は微塵もない。
信仰している宗教なんてないのに神様、仏様と祈る。こんな時だけ頼るなんて、なんと自分勝手なのだろう。
数十分が何時間にも感じた。
遠くにぼんやりと街灯が見え、二車線になりその向こうに温泉宿が見えて来たときは本気で泣けた。
ああ。良かった。
生きて帰れた。と。
後日、サッカー部の父兄は私が疲れて昼寝をしていると思ったらしく、窓をノックしたが起きないので先に帰った、と言った。きっとさぼっていると呆れていたのだろう。悲しい。
それから私は暑さにとても敏感になった。日傘をさし水分を持ち歩き、首は保冷剤で冷やし出かける。それでも癖になるのだろうか、その後2回軽い熱中症になった。
病院で聞いてみたところ、あの時の私の症状は中程度で病院に搬送されるレベルだったそうだ。
毎年、熱中症で亡くなったというニュースを見る。熱中症は本当に怖いし辛い。
自分は大丈夫。そう過信せずにしっかりと対策をして欲しい、と伝えたい。
そして、運転初心者は安易に夜の峠道を運転してはいけない、ということも。
***
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