「経験」を「体験」に
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:島田 弘(ライティング・ゼミNEO)
19歳のとき、ツーリング雑誌に見開きで掲載されていた1枚の写真に魅了された。
「こんな景色があるのか」
乗鞍岳の山頂からの日の出の写真。そこには切れ間のない雲海が広がっている。とても幻想的な写真だった。
いつか自分も、この景色を自分の目で見る、そう決めた。
その日、私は乗鞍スカイラインを仲間と走っていた。
あの写真に出会った翌年、私は乗鞍岳を攻めたのだ。
あの景色に出会うため。
まずは標高2716メートルにある畳平を目指した。
平均斜度は約7%。100メートル進むと7メートル上る計算。緩やかそうで、全然緩やかではない坂だ。距離は18,000メートルあり、ペダルを踏んでいる自転車には長期間のキャンプができるような大きな荷物がくくりつけられている。自転車の重さを合わせると30キログラムは余裕で超える。
永遠に続くように感じられる上り坂。次々と車やオートバイに抜かれていく。
8月の日差しは心身を疲労困憊させた。
「わぁー、きれい」
あちらこちらから聞こえてくる声。たしかに、ここ畳平からの景色はとてもきれいだ。
ただ、心の中で「車で来たのと、自転車で来たのとでは、『きれい』という言葉は同じでも、その感動量は圧倒的に違う」
と訴えている自分がいた。
畳平で自転車を降り、登山のための最小限の荷物にパッキングしなおして、登山道を登りはじめた。
30分ほどで、山小屋へ到着。
携帯電話もモバイルパソコンもない時代。ラジオで天気を確認する。
翌朝3時過ぎに起床して、乗鞍岳のテッペンを目指した。
順調に行けば1時間ほどで着く。
風が強く、そのために体感温度はとても低い。
「あの景色」を見るためにここまで来たけれど、見ることができるかは誰にもわからない。
あの写真の光景が自分の目の前に広がっていると信じて、ヘッドランプで足元を照らし、1歩1歩登るしかない。
真っ暗な山頂から見る空が、1秒ごとに漆黒から濃紺、そして群青色へと空の色が変わっていく。遠くの雲がだんだん白さを現し、それと同時にきれいな雲海が眼下に広がっていることがぼんやりとだが確認できた。
「見られるぞ」
もうすぐ、あの景色に出会える。
数分後、白とオレンジ色からなる太陽が遠くの雲の向こうから顔を出すと同時に、顔と防寒着の奥の皮膚に温かさを感じるようになった。
当時スマホも、デジタルカメラもない時代。私は36枚撮りのフィルムの入った一眼レフカメラのファインダーから、雲海と太陽を記憶だけでなく記録にも残したくて、シャッターを切った。
乗鞍岳山頂からのあの写真は何度も何度も見た。さらに旅行雑誌や写真集でいくつもの乗鞍岳山頂からの景色を見た。
目の前に展開されている世界は、それまでに見た何十枚、何百枚の写真の感動とは比べ物にならない奥行きのある感動をくれた。
この瞬間に出会うまでに、体を動かし、体温、呼吸、鼓動、汗、風、気温、光、喉の渇き、筋肉痛、太陽の暖かさ、そんなことを脳と身体で感じながら得られるもの全てが「体験」。
写真を見たあの瞬間から、山頂で感動しているこの瞬間までの間に存在した思考、感情、行動の全てが体験なんだ。
その場でしか得られないものがある。
体験でしか得られないものがある。
体験、それは感情の動きとダイレクトな身体感覚を伴っている。
経験は、本を開く、画像を見る、動画を見る、その瞬間に味わうことができる。
インターネットを使うようになる前、私たちが生きているこの世界において、経験とは体験に非常に近いものだったのかもしれない。
今は簡単に、たくさんの本や雑誌を読んだり、インターネットで情報を得たり、動画を見たりできる。それらをいくら積み上げたとしても、体験になることはない。
技術によって「バーチャルリアリティ」の世界がお手軽になってきている。私も試したことがある。確かにスゴイ。どんどんリアルに、「体験」に近づいているのかもしれないが、それはどこまで行っても体験にはなり得ないと感じる。
インターネットが発達している現代は、経験は無料でいくらでも手に入る。
しかし、体験となると、天候など数々の不確定な要素を受け入れた上で、
エネルギーも、お金も、時間もかかり、なにしろ手間がかかる。
その手間、プロセスが「経験」と「体験」の大きな違いを生み出しているように思う。そして、ここで圧倒的な違いが生まれる。
「経験」が悪いと言うつもりは全くない。むしろ、たくさん「経験」をして、その中から自分にとって大切な「経験」を「体験」に変えることが、自分の人生をより確信度高く、納得度高く、進むことができるのではないだろうかと私は考えている。
便利になればなるほど、体験の価値が高まる。
誰が言い始めたのかわからないが、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」という有名な言葉は、「若い時に多くの体験をした方が良いぞ」と、実体験に基づく先人からのアドバイスなのではないだろうか。
その場でしか得られないもの、体験でしか得られないものがある。
「体験の豊かさが人生の豊かさを決めているのかもしれない」、
これは私の仮説だ。
体験の豊かさが自分に、そして自分の人生に確信をもたらしてくれるのではないか。
あの体験から、まもなく30年になろうとしているが、
昨日のことのように思い出せるし、感覚が蘇る。
体験って「脳と心と身体に刻まれた記憶」とも言えるかもしれない。
***
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