人はなぜ、タワマンに住もうとするのか
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記事:石綿大夢(ライティン・ゼミNEO)
窓を開けると、まず目に飛び込んでくるのは、一面の壁だった。
幼い頃住んでいたマンションと隣接していたスーパーの間には大きな壁があった。窓を開けてベランダに出て、見上げでもしないと空は見えない。
八階建てマンション三階の部屋は、決して日当たりがいいとは言えない。幸い日当たりは悪くとも、風は抜けるような場所だったのか、母が洗濯で困っていた姿こそ見たことはなかったけれど。
しかしそんな家にもあまり抵抗がなく育ったのは、ひとえに家にいる時間より外でかけずり回っている時間が多かったからだろう。
横浜、というとなんだか洗練されたおしゃれタウンのようなイメージが浮かんでくるが、そんなことは決してない。洗練されているのは、あくまで観光地である“みなとみらい”とか“桜木町”とかであって、僕の住んでいた横浜の端っこは立派に田舎だった。
高い建物はほとんどなく、一度外に出れば空が広い。
いや正確には、空が広い、とは幼い頃は感じてもいなかった。
地元の空が広いなと感じ始めたのは、僕が東京に住み始めたからだ。
東京で初めて住んだ街は、落ち着いた住宅街だった。
観光地として有名で、飲食店も数多く立ち並ぶスポットが隣にあるからなのか、僕の住んだ街は妙な落ち着きがあった。昔ながらの商店街が残っており、そこには肉屋や魚屋、八百屋といった昔の商店が立ち並ぶ。何年か後に大型スーパーができて話題になっていたが、それでも商店街の元々持っている、落ち着いた活気は失われずに残っていた。
そんな街の、築45年を越えるアパートに暮らし始めた。
家に帰るのは寝るためぐらいにしか思っていなかったので、家賃が安いことと駅から近いことぐらいしか希望条件がなかった。
じめじめとした路地を進んだ、アパートの奥まった部屋。
北向きの窓からはほとんど採光できず、昼間でも暗い湿度の高い部屋だった。
部屋のドアを開けると、こちらもすぐ隣にあるボロアパートで、空が狭い。
僕の住んでいたアパートと隣のアパートでできた、かろうじて抜けて見える空は、細長くいつも澱んで見えた。
時々テレビの特集とかで見る、中東や東南アジアの人口密集地域。軒先には色とりどりの布がかかっていて、砂混じりの空気にはスパイスも香る。
その中から空を見上げたらきっとこんなふうに見えるんだろうなぁ、と当時付き合いたてだった今の奥様と、アイスキャンディーをなめながら見上げたものである。
空が狭い、というのが別に苦ではなかった。
というか、景色がいいところに住みたい、という気持ちがよくわからなかった、というのが正直なところだ。
景色がいいところに住んで、何かメリットがあるのか。
高い建物なんて、そこらじゅうにいっぱいあるし、それに登れば眺めのいい景色なんて、すぐに手に入る。
新宿の東京都庁は無料で登れて、東京の夜景が簡単に一望できる。
昼に行けば、見たことがないほど遠くまで一望できるし、夜に登れば新宿の夜のネオンたちを簡単に眼下に収めることができる。景色を楽しむなんて、簡単にできる。だから高いところに住む、景色がいいタワマンに住みたくなる、という気持ちがわからなかった。
そう、今の家に引っ越してくるまでは。
「今日の家が、一番本命なんだ」
妻が探してきた物件リストをひとずつ内見して回っている時だった。それまでにもすでに4つの内見を済ませ、あーでもないこーでもないと言って少し疲れていた僕は、感じているダルさを悟られないように、無理やり元気に返事をした。連日仕事が立て込んでいて、物件探しは妻が主に担当していた。
「何が気に入ったの?」
「んー、実際見てみないとわかんないんだけど、景色かな」
景色かぁ。いやぁ正直、景色には興味ないんだよなぁ。
5つ年下で家庭の主導権を完全に握られている僕は、もちろんこんなふうには言えず
「それは、楽しみだぁ」と返すことしかできなかった。
不動産会社の方に連れられて、その物件の前に降り立った。
「こちらのマンションの五階になります〜。あ、エレベーターないんですけどぉ」
??
五階建てなのに、エレベーターがない?それって違法建築なんじゃ……。
「行っていただければわかると思いますぅ」
ちょっと強面だが、異常に腰の低い不動産屋さんに案内されながら、5階分の階段を登る。
日常的にこの階段を登るのはきついなぁ、とももちろん言えず、黙って階段を登っていくとそれは現れた。
空。一面の空である。
そして、その空が一望できる、庭である。
まばらな雲がゆっくりと空を流れていく。
フワッと風が体の脇を抜けていった。
ここだ。ここにしよう。おもわず口から本音がこぼれてしまった。
妻と目を見合わせながらそう言い合っていた。
もちろん家賃や部屋の広さも申し分合い。なんという爽快感! なんという解放感!
近くで花火大会があるので、夏はそれが見えるかもしれない。
人はなぜタワマンに住むのか、なぜ景色を求めて高いところに住むのか、理解できなかった。しかし思いがけず出会った空が、問答無用でその理由を突きつけてきた。
御託はいいからとにかく見ろよ、と言われている気がした。
コロナになって、結局その花火大会はまだ開催されていない。
今年はそれがみれるかもしれないと、大きく開けた庭から見れる空を眺めながら、今日も妻とアイスキャンディーを舐めている。
***
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