ココロを軽くしてくれた、かぼちゃのタルト
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:田盛稚佳子(ライティング・ゼミNEO)
あるコーヒーショップに入ると、必ず注文するものがある。
「かぼちゃのタルト、それとホットティー」
このセリフを私は10年間、まるでプログラミングされたAIのように言い続けている。
10年前、ある転職先でメンタル疾患になった。
前職で長く携わっていた人材の採用や面接とは違い、500名近い職員の日々のお世話や諸手続きを本人に代わって行う「なんでも屋」のような仕事だった。
人間、仕事をする中である程度の負荷は働く気持ちや緊張感を保つのに必要とされているが、その人によってその負荷に耐えうるキャパシティは異なる。
私は、決してキャパが広いタイプではない。たとえば、集中的にかかってくる電話での問合せ対応や、保険料等の関係機関への交渉事、提出締切を過ぎても書類を出さない職員に対して督促することが苦手である。苦手だけれど周りになかなか言えなかった。
一度だけ、ある上司に相談した時に一蹴されたのだ。
「そういう苦手な仕事も含めての給料だろう? 勉強代と思え」
そう言われるとぐうの音も出ない。
その仕事のストレスに加えて、産休・育休で休んでいる職員の分まで仕事が増えた。
さらに、退職した元職員からの問合せで今まで手を付けたことがない、ある保険の手続方法について答えられなくなったときに、電話の向こうで捨てゼリフを吐かれた。
「あ? おまえ、わからないだと? 何年目だ? 職員のレベルも落ちたもんだな、ったく」
これで、私の心のダムは崩壊した。その日は誰も残業で残っておらず、保険に詳しい人がいなかったことも運が悪かった。悲しいのとショックのあまり、職場の隅で20分以上大泣きした。その翌日から、突然出社できなくなった。
病院での診断結果は「しばらくは安静にしておくことが必要です。休職してください」
こうして、約5ヶ月休職を余儀なくされた時、私はまさに廃人だった。
食事も面倒くさいし、トイレすら億劫になる。できることなら一日中寝ていたい。
しかし、ほぼ2週間おきに心療内科に通院して、その様子を見てもらう必要がある。鉛のように重いカラダを無理矢理起こして通院するものの、遅々として治らない自分を責めた。
幸いにも薬は自分に合うものを処方してもらえたし、生活習慣も亀の歩みではあるが、少しずつ廃人からは抜け出せるほどになっていた。
ただ同じ時期に通院を始めたにもかかわらず、順調に回復していき、私より先に職場に戻っていく男性を見ると、焦りと共にじわりと汗が出た。
「どうして? あの人よりも私のほうがコミュニケーション能力もあって、ちゃんと働けるはずなのに……」
すると、主治医は私の心を見透かしたかのように諭した。
「田盛さん、他人と比べても仕方ないんですよ。いいですか? ご自身が以前と同じように戻るということは、また今後、同じことを繰り返してしまう危険性があるんです」
返す言葉がなかった。主治医は続けた。
「私たちは、無理して仕事を続けるカラダに戻すことではなく、無理をしないで仕事が続けられるカラダとココロを作るお手伝いをしているんです」
ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。
以前と同じように戻りさえすれば、大丈夫だと思っていた自分を恥じた。
病院からの帰り道、無性に甘いものが食べたくなった。
コーヒーショップに入ると、ショーケースに優しい色をした、なだらかな丘のような「かぼちゃのタルト」が目に入った。
「あの……、かぼちゃのタルト、それとホットティー」
トレイを持って、人の少ない喫煙ルームのほうに向かう。
できるだけ人との関わりを避けたかったのだろう。昼過ぎの喫煙ルームは、基本的に一人客が多く、静かで私にとっては心地のよい空間だった。
ふと、「あの人よりも私のほうがコミュニケーション能力もある」ような人が入るなら、別に喫煙ルームじゃなくていいじゃないか、となんだか笑えてきた。
そして、一口かぼちゃのタルトを頬張ると、思った以上に甘くて「あまっ!」とつぶやいてしまった。
つやつやにコーティングされたタルトは、他のケーキより明らかに目立って見えた。
「アタシ、ホントは野菜だけどスイーツになれたのよ。アンタ、もっと自信持ちなさいよ」
そんなふうに言われている気がした。
誰かと比較するのではなくて、過去の自分と今の自分を見ていけばいい。
そして、過去の自分よりも楽な気持ちで生きることができ、仕事もできるようになれば、自信が持てるのではないか、と思うようになったのである。
それ以来、通院のたびにそのコーヒーショップに寄り、同じメニューを頼んでは
「今の私、少しは楽に生きれてる?」と自分と対話するようになった。
時には、カラダがどうしてもかぼちゃのタルトを受け付けないこともあった。
それは決まって、思った以上に体調が優れず、低空飛行をしている時だった。
そんな時は無理をしないで、別のメニュー、たとえばサンドイッチなど甘くないものを頼んでカラダが欲しているものを優先してあげるようにした。
すると自然とカラダもココロも素直になっていくのがわかり、最終的には予定より少しだけ早く職場に復帰することができた。
それ以来、転職をしても無理して残業することはしなくなった。
これ以上無理したら……と思うと、あの時の主治医の顔とセリフが思い浮かんで、自分で制御できるようになったのである。これは私にとってはかなりの進歩だった。
「この業務、実は苦手なんです」ということも自然と言えるようになっている。
今でも仕事で山を乗り越えた日や、こうして週末にライティングの原稿作成をしている時、「かぼちゃのタルト」を注文する。相変わらず歯が痛くなるほど甘いが、あの時とは違う。
「今週もほどほどに頑張ったね、私」
そう言いながら、タルトにそっとフォークを入れるのである。
***
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