メディアグランプリ

言葉をなくした1年間


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記事:小川直美(ライティングゼミ・平日コース)
 
 
あの子は口から生まれたとからかわれるほど、おしゃべり好きだった幼少期。
どんな状況だって、口から言葉が出てこなかったことはない。
むしろ勢いあまって言いすぎてしまったことを後悔した記憶が山ほどある。
 
そんな私が、思いの半分も伝えられなくなった時期があった。
 
33歳。
もう十分に大人といえるこの年齢で、私は1年間アメリカで暮らすことになったのだ。
 
その場所は、ジョージア州コロンバス。
アトランタから1.5時間ほど車で南下した小さな都市。
(オリンピックが行われたことを知らない世代には、アトランタと言われてもピンと来ないかもしれない)
アメリカの右下、南東部にある小さな小さな町だ。
 
どこに行くにも車で移動しなければいけない田舎町。
ニューヨークやロサンジェルスのような有名な旅行先でもないので、街中で日本人の姿を見かけることもない。
そこに、単身で暮らすこととなったのだ。
 
トレーニー先は、数千人が働くコロンバス随一の大企業。
でも日本語を話す社員はたった15人ほど。
現地採用された日本の方で、トレーニーのお世話係をしてくれている社員さんはいた。
でも彼女はとても忙しい。
1年間の滞在を、意味のあるものにするには、自分で自分の居場所をつくるほかない。
 
ただ悪いことは、
トレーニーという名目で送り出されていた私の英語力が
お世辞にも仕事ができるような水準ではなかったこと。
 
買い物をするには困らない。
でも、複雑な言い回しや交渉なんてもってのほか。
ビジネス文書を作るのにだって相当な時間がかかる。
いや、仕事だけじゃない。大人がプライベートな事情を語る語彙力だって持ち合わせていなかった。
 
東京で暮らし始めて15年。
社会人として、新卒から働く会社でおよそ10年。
友人も付き合いも長い人ばかり。
まさに悠々自適、左うちわで暮らしていた生活が一転した。
 
それまでは武器でも鎧でもあった「言葉」が足かせになった状態で、単身サバイバル生活が始まった。
始まってしまった。
 
その日からの1年で私が体験したことは、今振り返ってもとても貴重なものだった。
 
生まれ落ちてから母語を習得するまで―。
多くの人が記憶していないその時期のことを追体験したような感覚があった。
姪っ子が当時1歳で、ちょうど言葉を習得する時期と重なっていたことも幸いしていたように思う。
 
そして、もう一つ。
得意だったがゆえに、言葉で過度に武装していた“鎧”をはずしても、自分は大丈夫と思える勇気を得た。
こちらの方こそが得がたい体験だったかもしれない。
 
滞在して1か月。先にリスニング力が向上する。
相手が何を話しているか、伝えようとしていることは、ほぼ分かるようになる。
会話の流れに従って、私の頭の中にも伝えたいことがあふれる。
(なるほど。分かる。それはね。そんな時はね……)
でも、表現する言葉が見当たらない。
伝えたいことの半分も表現できないまま、会話は高速で流れていく。
 
言葉の代わりに、目や手が動きだす。
相手も待ってくれている。
それでも出てこない。
も、もどかしい。
 
でも、このもどかしさは、日本語では決して味わえない感覚で、
これを大人になって新たに体験できることは楽しくもあった。
 
たとえば「おいしい」という言葉を使い始めたのが、辞書でその意味を知るよりも、その文字を書けるようになるよりも、ずっとずっと前だったように。
きっと、親がたずねたその音をまねて、口にしたように。
 
辞書を引くのではなく、体験を通して言葉を習得していくこと。
世界の見え方をほんの少し広げてくれた。
 
日本に暮らす母とSNSでビデオ通話をしたとき、
1歳の姪について「まだ小さいけど、一人前に分かってる感じなのよねぇ」とのんきに話す母に、「話せないからといって、理解していないわけじゃない! 何も考えていないわけじゃないんだよ! 言葉が出ないだけなの!!」と、姪に自分を重ねて熱弁したけど、果たして母には伝わっていたのだろうか。
 
2か月、3か月と暮らすうち、言葉が話せない私にも友人ができる。
プロジェクトで一緒になった社員、元軍人の警備員、年齢もさまざまな人が声をかけてくれる。食事や休日を共に過ごすようになる。
 
英語では口数が少なく、何を言うでもない私。
日本にいる時と比べると情報量がとっても少ないように思う。
 
ある時、ふと興味がわいた。
そんな私は、彼ら彼女らにどういう人として受け容れられているのだろうか、と。
 
当然、面と向かって聞いたわけじゃない。
ただ、会話の端々から受け取ったのはこんなものだった。
 
明るくて、好奇心旺盛で、裏表がない。
スキあらばジョークを飛ばす、人懐こい。
いつも一生懸命で、何でも前向きに取り組む。
 
それは、幼いころからの私そのもの。
むしろ日本では、余計な言葉の鎧に覆われて、見えなくなっていた懐かしい私の姿だった。
 
言葉が自由に使えなかった1年。言葉をなくした1年。
 
言葉にできない豊かな世界がまずあって、そこで多くを交換していること。
その一側面を撫でるように、言葉で表現していること。
言葉に頼ることで伝わることと、頼りすぎないほうが伝わること。
 
言葉は手段。
交換したいものが先にある。
そして、それを伝える方法は言葉以外にもある。
 
 
前よりも言葉を大切に使いたいと思うようになった、
言葉を尽くさなくても伝わるという信頼をくれた、そんな時間だった。
 
 
 
 
***

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2022-07-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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