暗がりに浮かぶ生首
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:秋田梨沙(ライティング・ゼミNEO)
しまった。起きてしまった……。
夜中に目が覚めてしまったベッドの上で丸まりながら、しばし思案する。このまま寝ても、なんとか朝まで行けるのではないか。そう思って、一度寝返りをうつ。どうせ起きるまであと数時間しかないのだ。大人の力を持ってすれば、無事に朝を迎えることはできなくもない。けれど、一度気になり出してしまったら、ジワジワと心配は膨らむばかり。到底、このあと熟睡できるとも思えない。ごろり、とまた寝返りをうつ。暗闇に慣れてきた目がぼんやりと部屋のドアを浮かび上がらせた。
仕方ない。トイレに行ってこよう……。
本当ならバチンと寝室の電気を付けてしまいたい。けれど、隣には家族が寝ている。人の眠りを妨げる暴挙に出るわけにもいかず、ベッドの足もとギリギリまで転がって、身を起こした。
「よし」
ベッドから飛ぶように降り、サッとドアノブに手を掛ける。そのままの勢いでドアをズバーンと開け放ち、思いっきり廊下のスイッチに平手を食らわせた。白い光が辺りを眩しく照らす。そっと寝室の扉を閉めると、安堵して、私はゆっくりとトイレの中に入っていった。大人になっても、怖いものは、怖いのだ。夜中に一人でトイレに行くなんて、勘弁していただきたい。
そもそも、昔から、日が暮れたらトイレには一人で行けなかった。実家のマンションはリビングを出ると突き当たりが玄関だった。それだけでも薄暗くてなんだか不気味なのに、トイレはそこから左に曲がらねばならず、ついと曲がった正面に洗面台の鏡が待ち構えているのが本当に嫌だった。暗闇に浮かぶ鏡。背後に何か見えたらどうしてくれるんだ! 誰だこの意地悪な間取りを考えた奴は! と子ども心に腹を立てていた。もちろん、平常心でトイレまで辿り着いたことは一度もなく、リビングから日本記録が出そうな勢いでトイレまで猛ダッシュしつつ、通過点の全てのスイッチを押して行くという、曲芸じみたことをやっていた。もちろん、ミスをした場合、その3倍の速度で慌てて引き返していた。当然、大人になるにつれて全力疾走などしなくなったが、それは恐怖心が無くなったというより、面子の問題だった。
いつまで経っても、怖いものは怖い。でも、なんとか腹におさめられるようになった。そんな、大学生になった、ある夏の夜のことである。
ふっと、私は夜中に目が覚めてしまった。家族も寝静まって、人の気配はない。仕方なくのっそりと起き上がり、トイレに向かうことにした。幸い、廊下の電気は付けっぱなしになっていた。よし、明るい。これは楽勝だ。意気揚々とトイレに向かい、扉を開けようとドアノブに手をかけようとした、その瞬間。
右側の扉から女の顔がぬうぅっと現れたのだ。
ヒィッ!
誰もいないはずの場所から長い髪の女がこちらを向いて微笑んでいる。トイレのドアノブを掴んだまま完全に私は凍りついた。
生首だ!
思い切り叫び出しそうになるが、声が出ない。怖い!
……いや、待てよ。
心臓が止まるほど驚いた1秒後、私は正しく理解した。
「これは妹のルイである」
夜中までゲームでもしていて、今お風呂に入っていたのだ。私が起きてきてひょっこり顔をのぞかせた、そういうことだ。なんだ、妹だ。
カタカタカタカタ!!
そう理解した1秒後、今度は足先から震えが全身を駆け上った。掴んだままの右手がドアノブを小刻みに揺らし恐怖が全身を包み込んだ。訳がわからない。それを見て逆に驚いたのは妹の方だった。
「え! ちょっと! 今、完全に『あぁ、ルイか』って顔してたよね!」
私はただコクコクと頷く。
「なんで時間差で恐怖してんの!」
そんな事は私が聞きたい。突然出てきた顔に一瞬驚いたが、妹であることはすぐに分かった。しかし、後から湧き上がってきた震えは、生首を見たかのような芯からの恐怖を伴ってやってきた。もはや、笑うしかない。
「あはははははは」
引き攣った顔で高笑いする姉を、今度は妹が恐怖の眼差して見つめていたのだった。
どうやら人は本物の恐怖に遭遇すると、体への命令がぶっ飛んでしまい、震えは遅れてやってくるらしい。もちろん、これは運動神経の悪い、私に限った話であるかもしれないが。体に反応が出た時には、もう遅い。どうか、皆さんも気をつけて。
そんなわけで、私はやっぱり、今も夜のトイレが怖い。
できる事なら、朝まで安眠したいものである。お酒もほどほどにするべきか……。
パチン、パチンとスイッチを渡り歩きながら、意を決して寝室へ戻る。最後に廊下の電気をパチンと消して、振り返るとそこには白い顔が浮かんでいた。
ヒイィ!
「ママ……トイレ……」
「あ、あぁ。ど、どうぞこちらへ」
手を引いてベッドから下ろすと、5歳の息子は暗闇の中、スタスタとトイレまでひとり歩いていったのだった。
***
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