メディアグランプリ

ショート小説『溺れぬ、金魚』


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事は、フィクションです。

ほとんど一目惚れ的に、胸がときめいていた。その姿を見た瞬間に「山村しの」を思い出したのだ。20代のうちに上京しよう、と決めてやってきた東京で里乃はすぐに山村を目で追うようになった。

「熱帯魚 ベタ / ダブルテール」

そう書かれた小さな水槽の中では、一匹の魚が悠々と泳いでいる。
目の覚めるようなブルー。ひれが長くていくつもの細い筋が入っているので、まるでプリーツスカートのように水中でたなびいて舞っている。

ーーなんて、綺麗なんだろう。

本当に小さな魚なのだ。それなのにこの圧倒的な存在感。そこにいるだけで価値があるとわかる、気品を放っていた。

ーーそれに比べて………

目を走らせた先では、壁に並べれた水槽の中で、赤い金魚がすいすいと泳いでいた。

そうだ、そもそもショッピングモールの中のペットショップなんて普段は寄りもしない場所に思わず入ったのは、この金魚のせいだった。

「田舎もんが東京にでると、水の合わん金魚みたいになるからなぁ。さとちゃんはのんびりしとるし、気をつけりぃ」

上京前に叔父に言われた一言を、東京に出てきてから何度思い出したことだろう。というよりも、それはもはや、呪いのように里乃の頭の中を支配していた。

だって、そう言われて、実際にパッと浮かんでしまったのだ。

水槽は広くて大きいのに、その中で一生懸命にパクパクと口を開けている赤い金魚。なぜだか小さな金魚鉢にいたときよりもうまく息が吸えないようで、必死に口だけを動かしながら水槽の中でゆっくりと溺れていく………

そんなことがありそうで、それは予感となって里乃を襲った。それも一気にではなくて、じわじわと。

実際、東京に来て、人の距離感が違った。
都会のパソナルスペースは広い。簡単に踏み込ませてくれないし、踏み込んできてもくれない。里乃の地元では、いつも隣に人が立つとそちら側の空気がほんのり暖かかった。肌から流れる熱を感じるぐらいの立ち位置と関係性。それに安心していたのだと、今更ながら、気がついた。

最初の頃は、どうにか距離を埋めようと努力した。けれど、いつまで経っても思ったようにはならなくて、それが東京の人間関係なのだと新しい文化を突きつけられたのだ。
けれど、そうだとしてもなお、里乃は辛かった。この距離感で本当に自分は受け入れられているのだろうか? そう思いだすと、いつも不安で仕方なくなる。自分にしたって、すぐにはこれまでの距離感を直せない。

ーー私、もしかして今、浮いてる?

良かれと思ってやったことが、気がつけば、プカリと自分だけ周囲から浮き上がっている……
そんなことになりそうで、もがく金魚にはなりたくなかった。

「山村しの」を目で追うようになったのは、そういう自分を強く意識していたからかもしれない。
長く艶やかな黒髪を束ねて、ウエストのしまったスーツを着こなす同期入社生。同じ年に入社したはずなのに、彼女は里乃の百倍仕事ができた。最初は先輩だと思っていたほどだ。
涼やかなつり目に、流れるアイライン。言葉すくなに仕事をこなす姿は誰にも媚びず、美しいというよりも、やっぱり簡単には寄りつけない気品みたいなものを感じた。

ーー「山村しの」みたいだ。

目の前でゆっくりと泳ぐ『ベタ』のひるがえる尾ひれと、あの艶めく黒髪が重なった。焦ることなんてなくて、誰も関係なくて、ただそこに自分が「価値」としてある。

ため息が出てしまう。
里乃は、寂しくて、恋しくて、孤独だった。正直、帰って温かい場所で息をつきたいと思った。
けれど一番は、叔父が笑いながら言ったように、まさにパクパクと口だけ忙しなく動かしているような自分自身に、ガッカリしていた。

ーー結局、私は田舎もんの、屋台ですくわれる金魚ってことなんか。

ベタの水槽には白い石が敷かれ、水草が綺麗にうわっていて、もうそこで一つの世界が完成している。中には、額縁のような飾りをつけて、絵に見えるような装飾された水槽まであった。

どうにもやるせなくて目線をおろすと、ベタには似つかわしくない黄色にデカデカと文字の書かれたポップが目に入った。

「※混泳禁止※ ベタは闘魚です。単独飼育で育てましょう。」

闘う魚。一つの水槽で何匹も飼うことはできないらしい。
なんだか、そんなところまで「山村しの」に似合っている。孤高の新人エースの仕事ぶりが思い浮かんだ。

ーー闘ってるんかな。

なんでも簡単にこなしてしまうように思っていた。けれど、いつも真っ直ぐたっている彼女は闘いの中にいると言われれば確かにそんな気がする。
青いベタが二つに分かれた豊かな尾ひれを揺らしながら、水草の奥へと泳ぎ去っていく。

ーーやから、傷付かんように、お互いに離れてるんやろうか。

並べられた水槽には、それぞれに一匹のベタが入れられていて、一緒に泳いでいるものはひとつもない。
もしかしたら、ここではみんな、お互いを守れる距離を保ちながら、静かな闘志を秘めているのかもしれない……

ふとスマホを確認すると、もう二時間近く水槽の前に座り込んでいたらしい。
急に立ち上がると、つま先の方に急に血が巡ってジンジンする。「山村しの」の真似をして、少しヒールのあるパンプスに変えたのを忘れていた。

そうだ、ここには、馴染みの温かさがない。人との距離はいつも少し空いている。
けれど、里乃がここに来たのは、今の自分で見ておきたい景色があったからだった。

ゆらりと立ち上がって、カバンをからい直す。
闘う意志なら、金魚にもある。

***

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2022-07-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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