メディアグランプリ

「御谷湯」の楽しみ方


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:宮村柚衣(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「あっ、ゆぅちゃん。嫌な事あったでしょ」
 
胸の高さ程の番台の向こうから、さっちゃんは言った。
 
「わかる?」
 
ブルーの回数券を出しながら、私は応えた。
 
「わかるよー。顔がね、硬いもん」
 
「今日も大変でさー」
 
「ほんと、ゆぅちゃんって解りやすいよね」
 
長い髪を一つに縛り、化粧っ気のないさっちゃん。細身で銀縁眼鏡をかけている、さっちゃん。銭湯の家に産まれ、小さな頃から番台に座っているからか人との距離感が抜群に上手だ。
 
さっちゃんが二カッと笑うと、大抵のお客さんの顔もほころぶ。年の頃は四十前後だと思われるが、少女のような軽やかさがあるのだ。
 
「まっ、お風呂に入ってザーッと流してきなよ」
 
「うん! 行ってきまーす」
 
いい塩梅の会話は人の心を軽くする。何があったの? どうしたの? なんて事は聞かないのがさっちゃんだ。
 
古びた柱時間は、ちょうど18時を指そうとしている。
 
ちょうど、一番風呂のお客さんが捌け、夕飯や仕事帰りにお客さんが来る前の狭間の時間。一瞬だけ風呂が空く時間だ。
 
でも、土曜日だしな。少しは混むだろうな……。
 
創業80年を超える銭湯ながら、数年前のリニューアルで現代風に生まれ変わった小綺麗なエレベーターのボタンを押す。
 
「御谷湯」は、銭湯ながら源泉掛け流しの本物の温泉を惜しげもなく使用しているため、近くの人はもちろん遠方からも温泉を求めて老若男女が通う銭湯の聖地だ。
 
風呂場は4階と5階。1週間ごとに男湯と女湯が入れ替わる。どちらとも天然温泉の源泉掛け流しであることに変わりはないのだが、5階は露天風呂が吹き抜けで楽しめ、4階は人間の体温と同じ温度に調整した不感温泉が楽しめる。
 
数年前に、ここの湯に出会ってから私は「御谷湯」の虜になった。今では仕事終わりに週4、5回通っている。
 
今日は4階か……、不感温泉にでも入ってゆっくりしよう。
 
慣れた手つきで服を脱ぎ、脱衣所のロッカーに放り込む。早く温泉に浸かりたい心を抑えつつ、お風呂セットと手ぬぐいをもって風呂場へ。
 
だいたい、私の風呂の入り方は決まっている。
 
メイクを落とし、掛け湯をした後は中温に入って体をほぐす。風呂の底が見えない程の黒湯に体を浸すと、こわばった心までほぐれていくようで心地がよく思わず「はぁ~」と、声が漏れてしまう。
 
「ほんと、ここの湯は一度入ったら止められないわよね」
 
毎日のように通っていると大体が顔見知りになり誰かしらから話しかけられ、ほぼ同じ会話を繰り返すことになるのだが、それもまた安心感があり心地よい。
 
「あっ、その話は昨日聞きました」
 
なんて、野暮なことは言わない。私は湯に浸かりながら人が気持ちよく話していることを遮るような野暮天にはなりたくないからだ。
 
体が温まったら、不感温泉へ。風呂場の奥に作られた不感温泉は薄暗く、洞窟のような湯場だ。
 
体温と変わらないぬるいお湯に浸かりながら、今日あった嫌なことを分解していく。どうしてそうなったのか? 自分はどう思ったのか? なぜ、相手はそのように言ったのか? どんどんと分解していく。
 
黒い湖面に映る、まあるい照明を凝視しながら。
 
熱くも冷たくもない湯は、のぼせることもなく、思考を遮ることこともない。
 
私の心にエゴはなかったか? 私は自分の心に正直だっただろうか? 私の心に嫉妬心はなかったのだろうか?
 
私は心ゆくまで問答を繰り返す。
 
その後は、ジェットバスに入り、足裏マッサージを楽しみ、足、お腹、背中、脇にジェット噴射を当てて体全体をほぐしていく。
 
そして、また水風呂へ。水風呂に入ると飽和状態だった思考も段々とクールダウンしてくる。
 
そのタイミングで打たせ湯へ行くと、身も心もシャッキリするのでおすすめだ。
 
「私ね、ココに当ててるの」
 
自分の額を指さしながら彼女は言った。
 
「整体の先生がね。額には神経が集まっているから、ココに当てたら良いですよって言うから当ててみたの。そしたら、すごく気持ちよくって! それからずっと、当てているの」
 
銭湯で出会った同じ年の頃の友人が先日教えてくれた通り、私はチャクラと呼ばれる額の部分に流れ落ちる湯を当てる。
 
ドドドドドーーーーーっ!!! と、力強い水圧に負けそうになるが背筋を伸ばし水圧に耐え、額から流れ落ちる水で溺れそうになるを堪えながらチャクラを開放していく。
 
本当に自分自身に嘘をついていないか?
 
激しく打ち付ける水を一身に受け、問答を繰り返す姿は正しく修行僧だ。
 
大体がここまで来ると体はタコのようにフニャフニャで、心も考える事に飽きてくる。
 
洗い場に移動し、鏡に映る自分の顔をマジマジと見つめ「老けたなー」なんて思ったり、体を洗いながらお腹をつまみ「太ったよなー」なんて、どうでも良い事を考え出したりする。
 
体も心も綺麗サッパリ洗い流した後は、高温熱湯と水風呂を繰り返し心ゆくまで温泉を堪能する。心は薔薇色、爽やかな草原を小走りで走り出したいような気分になってくる。
 
そうすると、今日あった嫌なことなんて綺麗サッパリ忘れるのだから不思議なものだ。
 
「おっ、ゆぅちゃん。顔が緩んだね」
 
エレベーターを降りた瞬間にさっちゃんはニカッと笑いながら言った。古びた柱時計は、19時半を指していた 
 
 
 
***
 
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2022-07-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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