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才能のありか


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:工藤洋子(ライティングNEO)
 
 
「どれもすごかったったね」
「やっぱりあの絵が一番よかったな」
 
天野喜孝・弓彦親子のファンタジーアート展に出かけた帰りの車中で興奮気味に語る息子とそう話した。今、高1の息子は将来イラストレーターになりたいと頑張っているところだ。絵心のない母にできることは、色々な作品を目にする機会を提供するぐらいしかない。
 
天野喜孝、といえば、昔からあちこちで目にしていた。
小説の表紙では『吸血鬼ハンターD』シリーズ、それに『敵は海賊』シリーズなどがある。こちらは夫が読んでいたヤツで私は詳しくないけど、田中芳樹の『アルスラーン戦記』や『創竜伝』など私が読んでいたシリーズでも表紙を飾っていた。
 
それにキャラクターデザインでは、スクエアエニックスのRPG、ファイナルファンタジーシリーズがある。私もプレイしたことがあるし、息子も大好きなゲームだ。実際にプレイしたゲームのキャラが描かれた絵を二人で食い入るように眺めていると、会場のお兄さんに話しかけられた。
 
「FF、されてたんですか?」
 
はい、それはもう!
FF、というのはファイナルファンタジーの通称だ。現在、すでにFF15までリリースされている。キャラクターデザインから天野さんが手がけているものが主に展示されていて、そのほかのイメージイラストだけのタイトルは作品の数も少しだけだった。
 
息子がプレイした中で天野さんのキャラクターデザインした作品は、FF9。ファンタジーと冒険の入り交じる世界観のストーリーで、主人公のジタンという尻尾のある少年や魔法使いのビビ、竜騎士のフレイヤ、ヒロインのお姫様ガーネット、その護衛騎士スタイナー、とメインのキャラクターはとても魅力的に描かれていた。
 
「ファイナルファンタジー、ってどうしてファイナルなのか、知ってますか?」
 
また会場のお兄さんが説明してくれる。
 
今でこそ「スクウェアエニックス」と合併してひとつの会社になっているが、昔はまったくの別会社。エニックスが『ドラゴンクエスト』という大ヒットタイトルを持っていたのに対し、スクウェアはなかなかヒット作が出せないでいた。
 
そこで社運をかけて発売したのが『ファイナルファンタジー』だったのだ。もうこれで失敗すれば会社をたたむしかない。だから「ファイナル=最後」のファンタジー、という訳だ。当時は1987年、まだインターネットも普及しておらず、当然SNSで口コミ拡散してブレイク、ということもない。だからゲームのイメージイラストはとても重要だったそうだ。その作品のキャラクターデザインから天野さんが関わっていた、だからファイナルファンタジーの大ヒットは天野さんの力も大きかったんですよ、とお兄さんはいう。
 
聞けば天野さんは15歳のときに描いた絵がそのままほぼ無修正でアニメのキャラクターに採用されたという。そのアニメとは1970年代のタイムボカンシリーズ、描いた絵は二作目ヤッターマンの敵役、ドロンジョ様だった。天野さんが最初はタツノコプロにいたことなんて、私は全然知らなかった。
 
実は会場にその絵が置いてあった。
なんでドロンジョ様が、と不思議に思って見ていると、さきほどのお兄さんがすかさずそう説明してくれた。描いたのが15歳のとき・・・・・・今、同じ15歳の息子はそれを聞いて呆然としていた。
 
15歳でヒットするアニメのキャラクターをてがけ、社運をかけたゲームで大きな役割を果たせるようなイラスト、キャラクターデザインを担当するなんて、何とすごいことだろう。何という才能だろう。
 
では、その才能って一体なんだろう?
そう意識し始めたのは最近のことだ。
 
私は昔から芸術的なセンスや才能が「ない」ことには自信を持っていた。絵を描けば同色を塗っても平面にしか見えず、立体感が皆無。音楽で楽器を演奏、といっても授業で習うレコーダーの音階を付いていくのが精一杯。よく子どもの頃はエレクトーンやピアノを習っている女の子が周りにいたけど、私は習ったこともなかった。習ってみようと思ったことさえなかった。変な言い方だが、自分には芸術関係の才能はないと、食らい付くこともなく、悔しがることもなく、とうに諦めていたのである。
 
芸術の才能がないからといって、特段困るようなことは起きなかった。私は語学の道に進み、今では英語の同時通訳者として仕事をしている。自分に語学の才能がある、とは学生の時にも思ったことはない。ただ、自分が楽にできて好きなことが語学だった、というだけだ。通訳者になるには大学を卒業してから何年もかかったけど、その間は自分のやりたいことをやっていたぐらいの感覚でしかない。不思議と通訳者になれない、とは思わなかった。自信があったわけでもないのにただただ研鑽を積み重ねていった、というのが今振り返って見ると一番正しい気がする。
 
最近は本業の通訳に加えて、副業でオンラインの英語コーチングも始めている。どうやったら英語を苦手に思わず、そして最短ルートで学んでもらえるだろうか、自分の経験を元に一生懸命考えた。そうして行き着いたのが、
 
「英語の習得には才能もセンスも要らない、ただただ正しい道筋を繰り返せば誰にでもできる」
 
という事実だ。
こう言い切ってしまうと、
 
「いや、そんなことはない! 私には才能がないから学生時代にあんなに英語に苦しめられたのだ!」
 
と言いたくなる方もいるだろう。でも専門家として言わせてもらうと、英語を習得したいという意志があり、自分に合った適切な方法で通るべきステップをきちんと踏んでいけば、習得のスピードこそ多少の差が出ても必ず習得できる、と分かっている。
 
「絵を描く人や文章を書く人、音楽を演奏したり、作曲したりする人のようないわゆるクリエイターと比べると、誰にでもできることですよ」
 
と私はいつもそう話している。でもそれはきっと「自分にはクリエイターの才能はない」という意識の裏返し、でもあったようだ。いつの間にか気付かぬうちに芸術の才能がないという、そのわずかな負い目が澱のように溜まっていっていたのだろうか。いざ副業であれこれやろうとすると、やれホームページのデザインだ、講座募集のための告知文だ、と以前投げ捨てたものが必要とされてくる。本はバカみたいにたくさん読んでいるものの、文章を書くことも自分に才能があると思ったことはなかった。通訳者は自分の意見を話すのではなく、通訳対象の話し手の意図をくんで話すものだから言葉のプロだけど文才は不要だと思っていたし、そもそも子どもの頃に読書感想文で選ばれたことなんか一度もなかったからだ。
 
ところが、今年になってから天狼院書店のライティングゼミに出てみると、文章も理論で書けるようになるという。毎週ヒーヒー言いながら課題をこなしていくと、初めは苦しかった2千字のライティングが拙いながらも以前より楽に書けるようになっている。昔は文章を書くことに自分は才能がない、と思っていたけど、数をこなすことで少しずつできることが増えていったらしい。まだまだ先行きは見通せないが、成長したのは確かだ。
 
そこでだんだん気が付いてきた。
何かを表現する、ということは、別に芸術家だけの専売特許ではないということに。
 
ライティングにしてもイラストにしても、何かを表現したければネタが必要で、そのネタはあくまで自分が経験してきたことだ。もちろん、読書などの疑似体験も含まれる。旅行に行ったこと、友達と話すこと、生活のすべてが自分が自分であるための構成要素だ、と思うようになった。そしてクリエイターなんて自分には関係ない、と思っていたが、実はそう遠いところにあるのではないということに気が付いた。もとい、気が付いてしまった、というべきか。
 
自分が長年やってきた通訳という仕事も人のいうことを訳すだけ、と思われているが、それだけではけっしてない。才能やセンスは要らない。でも日常でできうる限りの情報や知識を集めておかなければ、通訳の現場で行き詰まってしまう場面は多く存在する。普段のインプットを総動員して、反対言語に訳すというアウトプットをやっているのだ、これはある種の技術である、と言えよう。
 
技術、というと英語でテクニック(technique)を当てたくなるが、ここでいう技術とはそれよりアーツ(arts)という方が合っているだろう。大学で習う一般教養に当たるリベラルアーツ、他には武術を意味するマーシャルアーツなどと同じアーツだ。だから、たくさんのインプットからアウトプットを行う、という形に則ってみれば、語学もクリエイティブな仕事も同じ「技」なのではないか、そう思うようになった。
 
息子は絵を描くのが好きだ。
子どもの頃から魚の絵をリアルに描いては周りを驚かせていたし、親バカの目を差し引いても上手に描いている、と思う。イラストレーターになりたい、と言い出したのはほんのここ数年の話だけど、やはり元々興味は強かったのだろう。クリエイターの道に進みたいようだ。ここ最近、イラストの練習に煮詰まっているようだったので、ファンタジーアート展に出かけたのはよい刺激になったらしい。人生、何事も経験なり。どこかで誰かがそう言っていたような覚えがある。
 
展示作品を全部見終わって会場を出ようとしたとき、ずっと見守ってくれていたお兄さんにまた声をかけられた。
 
「今日見た中で一番気に入った絵はどれでしたか?」
 
息子に判断を任せると、やはり自分がプレイしたことのあるFF9の絵を選んだ。天野さんには珍しく、緑の色合いが濃い絵だ。FF9ではゲーム内でパーティーが休んだり、そしてゲーム自体を途中でセーブしたりするときに使う「テント」というアイテムがある。実際のゲームではキャラクターたちがそのテントの中に入ってしまうと、当たり前だが中の様子は見ることができない。その絵はパーティーがテントに入って休んでいるところを天野さんが想像して描いたものだ、という。縦長のキャンバスの下の方にみんなが思い思いの様子で休んでいて、周りは緑の森の中。ただ、なんとなくテントのような三角形の形にぼうっと白くなっていた。
 
「会場の蛍光灯ではなく、太陽の光に近い明かりで絵を見てみてください」
 
そう言ってハロゲンライトを絵の上から下の方へゆっくりと当てると、まるで本当に森の中で上から光が差したように見えた。蛍光灯の明かりだけで見るのとは大違いだ。本当にきれいだった。
 
お兄さんにお礼を言って会場を後にする。
そこで息子が深刻な顔付きでポツリと言った。
 
「才能ってあるようでないよね?」
 
たくさんの絵を見て、そして自分も描いている中で息子が漏らしたひと言だ。才能があるなしに関わらず、努力を続けることの意味を分かったのだろうか。絵心があろうとなかろうと、息子に母としてできるのはやはり今日のような機会をたくさん与えてあげることしかない。
 
「今度、全国美術館巡りの旅でもやらなくちゃね」
 
そう言うと、それはいい、と息子も笑顔になった。
 
息子も頑張る気になっているのだ。
私も才能もセンスも欠片もない、などと言ってる場合ではない。デザインでもイラストでも少しずつ続けて絵心のしっぽだけでもつかみたいものだ。積み重ねた経験は息子の3倍以上だ。きっとやってやれないことはない。
 
 
 
 
***
 
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2022-08-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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