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くまのプーさんが、本当はドラえもんだった話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:今村真緒(ライティング・ゼミNEO)
 
 
リハビリ室のベッドに腰掛けていた私の目の前に、くまのプーさんのようにのっそりとした見知らぬ男性が現れた。
「今日から担当させていただきます、Yと申します。よろしくお願いします」
一瞬、私はポカンとしてしまった。初めは、患者を間違えたのだと思った。
「今日から通院リハビリの今村さんですよね? 4日前に退院されたばかりですよね?」
どうやら、間違いではないらしい。私がキョトンとしているので、Yさんはカルテを見ながら確認する。見るからにおっとりしていそうなYさんの丁寧な話し方には好感が持てるものの、私は内心がっかりしていた。この日は、退院後できるだけ早い職場復帰を目指すための通院リハビリの初日だった。入院中に担当してくれたNさんはテキパキとした若い女性の作業療法士さんで、私にとても親身になってリハビリをしてくれた。だから、当然通院リハビリに切り替わってもNさんが担当になると信じ込んでいたのだ。
 
「あの、N先生が私の担当ではないんですね?」
私は、失礼にも聞き返してしまった。術後2週間で、大学病院からリハビリ目的のため転院した私は、機能回復に尽力してくれたNさんに絶大な信頼を寄せていたのだ。
首の手術の後、右手に痺れが残っていたため、ペットボトルのキャップが開けられない、服のボタンがかけられない。指先で細かいものをつまむことすらできない。手術をしたもののなかなか改善しない動きに、私は苛立っていた。そんな私を励まし、少しでも動きがスムーズにできるようにとあれこれアイディアを練り、やる気を起こさせてくれたのがNさんだったのだ。時にはリハビリ室にある道具だけではなく、Nさんは私の指先の訓練に良さそうなものを調べて持って来てくれた。特に印象的だったのは、小さな穴に糸を通して作る可愛らしいビーズのブレスレットの図案を、いくつも持ってきてくれたことだった。指先を上手く動かせずすぐに諦めようとする私だったが、Nさんが辛抱強く付き合ってくれたおかげで、初めは無理だと思っていた作業も少しずつ進めることができ、手づくりのブレスレットはできることが増えた証となったばかりか、もっと機能が改善するかもしれないというモチベーションへと繋がった。
 
「Nさんは、あちらで入院患者さんのリハビリを担当しているんです」
Yさんの言葉に体ごと振り向くと、Nさんが一人の患者さんに付きっきりでテーブルの横にしゃがんで話しているのが見えた。目線を患者さんに合わせて腰をかがめている姿に、私にも同じように接してくれたNさんの真摯さを思い出した。私の視線に気づいたのか、Nさんは患者さんをリハビリ室の外へと見送るとこちらにやってきた。
 
「わあ、今村さん、今日から通院リハビリですよね。私は入院患者さんを担当しているので、通院リハビリは受け持てないのですが、Y先生は私の大先輩なんです。だから安心してリハビリされてくださいね」
Nさんの言葉に、Yさんは、くまのプーさんが蜂蜜の壺を抱えているときのように眼鏡の奥の目を細めて笑う。にこやかに微笑むNさんとYさんは、気心が知れた仲のようだった。それでもまだNさんにリハビリをしてもらいたかった私は、未練がましい目でNさんの後ろ姿を追った。
 
「今日は、どなたかに送ってきてもらったんですか?」
私の思いに気づいていたかは分からないが、Yさんがのんびりと尋ねる。ベッドに横になって、まずは体をほぐしてもらう。術後どうしても首から下の筋肉が張りやすく、すぐにカチコチに体が固まってしまうのだ。
「いえ、バスで来たんです。夫は仕事ですし。車を運転すれば30分で来られるのに、バスを乗り継いできたので1時間半かかりました」
普段は車で移動することが多い田舎に住んでいる私は、今更ながら車の恩恵を痛感していた。夏の暑い最中、バス停で待つことは私にとって時間の無駄遣いにしか思えなかった。しかも首を支えるための頸椎カラーを巻いて暑さを増幅させていた私は、まるで我慢大会に嫌々参加していると言わんばかりの仏頂面でバスを待っていたと思う。けれど、まだ後ろを振り向く動作が怖いのだから、車の運転などできるはずがなかった。
 
「それは大変でしたね。この辺りじゃ、車運転できないと生活できませんもんね。ちょっとでも早く、動けるようにしていきましょうね」
男性だからか、背中をほぐす力がNさんよりも強い。Yさんは、岩盤のような私の背中を痛すぎず弱すぎず、絶妙な力加減でほぐしていく。
「こんなに硬かったら、辛いでしょう? お仕事はどの位で復帰する予定なんですか?」
Yさんは、私にとって頭の痛いことを聞いてきた。できるだけ、早く復帰しなければならない。それは、私の切実な気持ちだった。どの位で仕事に戻れるかと心配する私に、大学病院での担当医師が術後1か月くらいで復帰できるでしょうと言っていたのを鵜呑みにしていた。けれど、現時点で術後4週間、つまり1か月後だ。それなのに、未だに頸椎カラーをつけていないと首を支えるのが辛いし、この状態でまともに仕事ができるとは到底思えなかった。
 
ショックだった。病院で随分いろいろなことができるようになって即仕事に復帰できると思っていたのに、通常の生活に戻るにはハードルがまだまだ高かったのだ。1か月で復帰すると言っていた手前申し訳なかったが、仕方なく上司と相談の上、自宅療養期間を延長してもらうことになった。だから一生懸命にリハビリを頑張り、1日でも早く職場に復帰しないといけないというプレッシャーで私は焦っていた。
 
「いやいや、まだ普通に仕事するのは無理でしょう。何もしないで座っているだけなら、何とかなるかもしれません。だけど、仕事していたらそういう訳にはいかないでしょう?」
Yさんは私の話を聞くと、とんでもないという顔をした。
そうなのだ。事務職だと座って仕事ができると思って、1か月で復帰可能だと大学病院の先生は言ったのかもしれない。けれど周りが忙しくしているのにじっと座っていることなどできはしないし、普通に動けるくらいになっていなければ足手まといになってしまう。今の私の状態は、確実に周りに迷惑をかけるレベルでしかなかった。
 
「そうなんですよね。忙しいのが分かっているから、ちゃんと動ける状態で戻らないと却って迷惑かけてしまうんです。ハァー、気持ちばかり焦って落ち着かないです」
私の仕事を誰かが肩代わりして、負担をかけているのだ。申し訳なさと、思うようにならない不甲斐なさで、どんよりとしたオーラ全開で愚痴ってしまう。入院中も必死にリハビリを頑張ってきたのに、まだまだ一人前に仕事をするには程遠いと思い知らされ無力感でいっぱいになる。
 
「今村さん、焦るのは分かりますけど、焦ったってすぐにどうにかなるものでもないですよ。赤ちゃんだって、すぐ歩けるようにならないじゃないですか。ハイハイができるようになって、つかまり立ちをして、やっと一歩が出る。機能を改善していくのも、同じなんです。一つずつ、一つずつ重ねていきましょう」
私の状況を知らないくせに、のんびりとした口調でYさんは言う。焦ってもどうにもならないことなど、私も頭では分かっている。けれど、やっぱり迷惑をかけている側の人間としては焦らざるを得ないのだった。
 
Yさんは、話しながら首から背中、それから腰、足先のほうまでゆっくりとほぐしていく。それから、肩から腕までじっくりと確かめるように触れていく。
「ここ、痛いですよね? ちょっと我慢してくださいね」
何にも言わないのに、Yさんは私の痛みが出る部分が分かるらしい。その部分を丹念に触り、頷いたり何やらカルテに書き込んだりしている。のっそりしたプーさんの眼は真剣だ。そうかと思うと、「今村さん、何の料理が好きなんですか?」なんて、全く関係のないことを尋ねてくる。
「僕、食べるのも料理するもの大好きなんですよ。あ、病院の近くの鮮魚店知ってます? そこの魚、ぜひ一度食べてみてくださいよ。店主のおじさんが昔ながらの感じなんだけど、すごくいい人で……」
リハビリをしながら、Yさんは楽しそうに魚屋さんの話題を続ける。本当に食べるのが大好きなようで、休日に自分で食材を買って作ることも多いらしい。Yさんの話は、新鮮な食材の調達先や料理法など主婦の私にとって気になることが満載だ。
 
気づけば、リハビリの時間が終わりに差し掛かっていた。体の可動域を広げる運動や指先の力を強くする動きをYさんと共にやってみると、モヤモヤしていた気持ちがスッとどこかへ飛んでいった。Yさんは、本当に少しずつ、でも確実に動ける範囲を私に実感させ肯定感を高めてくれた。
 
帰りのバスの中で、私は疲労感を覚えていた。けれど、それは嫌なものではなかった。乗り換えのバス停横の自動販売機で、私は久しぶりに炭酸飲料を買ってみた。シュワシュワと冷たく喉を刺激されると、次回のリハビリに対する期待感が否応なしに高まるのを感じた。
 
それから何回か、私はバスでリハビリに通った。相変わらず時間がかかるのには閉口したが、あまり人の乗っていないバスの中でY先生に教わった首や腕の運動を繰り返してみた。そして、少しずつ可動域が広がると嬉しくなった。そのことをY先生に伝えると、一緒に喜んでくれるのも嬉しかった。首を支える力が徐々に強くなり、家では頸椎カラーを外すことも増えてきたので、ようやく車を運転してリハビリに通えるようになった。
 
気を良くした私は、リハビリの帰りに車で職場に寄ってみた。運転ができるようになって、私はちょっと調子づいていたのかもしれない。上司や同僚に、もう少しで復帰できることを知らせておこうと思ったのだ。仕事のことを確認するために、職場のパソコンを久しぶりに触れてみる。私の仕事を代わりに引き受けてくれている同僚に、もう少しの間お願いする仕事の内容をパソコンでまとめようと作業をし始めた。
 
ところが、ものの10分と経たないうちに私の額には脂汗が滲み始めた。首が痛いのだ。真っ直ぐ頭を起こしたまま作業するのが辛い。なぜか吐き気までが催してくる。汗びっしょりになって顔色の悪くなった私は、心配する同僚たちを尻目にすごすごと家に戻るしかなかった。
 
家に戻ると、悔しくて泣けてきた。当たり前のことができない大人はどうしたらいいのだろう?
こんなことでは、いつになったら仕事に復帰できるか分からない。一歩ずつだと自分に言い聞かせているけれど、こんなことがいつまで続くのだろうか。
 
次のリハビリの日、私は沈んだ気持ちのまま病院に向かった。リハビリ室の入口の椅子に腰かけて、自分の時間になるまで待つ。Y先生のリハビリは、大抵時間通りに始まらない。患者さんとじっくり話をするため、どうしても時間が押すのだ。この日は、車椅子に乗った年配の男性の患者さんを相手に話しこんでいる。私は、ぼんやりと広いリハビリ室を眺めた。皆、事故だったり病気だったりで、体のどこかの機能を損傷している人達だ。何人もの療法士さんたちがお揃いの上着を着て、患者さんに笑顔を絶やさず真摯に向かい合っている。
 
「お待たせしました」
眼鏡の奥の目を細めて、Y先生は私が座っているところまで声を掛けに来た。
「何か元気ないですね? 何かありました?」
Y先生はそのおっとりとした風貌に反して、案外細かく人のことを見ていると感じたのは、Y先生のリハビリを受けるようになって間もない頃だ。
私は、職場での出来事を話した。情けなく不甲斐なくて、投げやりな気持ちになったこと。元の状態に戻したいだけなのに、なぜこんなに苦労しなければならないのかと思ったことを正直にぶつけた。話している内に、周りに人がいるというのに私は泣いていた。
 
「思ったように動けない苛立ちや、もう元に戻らないかもしれないという恐怖は、ここにいる皆さん感じていると思います。でもね、まだ動くんですよ。動けるんですよ。だったら、その可能性を最大限に引き出すお手伝いを僕たちはやっていきたいんです」
いつも穏やかなY先生が、真剣な眼差しで私を見た。先生は、いつの間にか私と目線が合う位置までかがんでいた。その日から、私は先生に宿題をもらうようになった。家のパソコンで、好きな曲の歌詞をタイピングするという課題だ。初めはできるだけでいい。できるようになったら曲数を増やしてみてと先生は言った。好きな曲だから、宿題のような気がしない。楽しくなって、疲れるまでパソコンのキーを打った。無理はしないことを条件にその宿題は続き、気がつけば随分長い文章が打てるようになっていた。Y先生はドラえもんのようだと思った。弱音を吐くのび太のような私を、いつも元気づけて助けてくれるのだ。
 
しっかりとリハビリで体の調子を整えてもらいながら、私は職場復帰を果たした。その後数か月、仕事をしながら週に2、3回リハビリを継続した。先生に教わった鮮魚店にも通い、先生が美味しかったという調理法を試したり、逆に我が家の味付けを教えたりした。Y先生は私より随分年下だったけれど、リハビリを受けながら仕事のことやお互いの家庭のことを話すのは私の楽しみになっていた。しかし半年が経過すると、リハビリは終了することになった。続けても医学的にこれ以上機能回復の見込みがないということらしい。その頃私は退職していて、体力的に負担の少ないパート勤務を始めようとしていた。先生に伝えると、「無理しないで、今ある機能を大切に使って下さい」と目を細めた。
 
それからしばらくして、私が働いているベーカリーにY先生が奥さんを連れてやってきた。
「ほら、こちらが話していた今村さん」
先生が私を紹介すると、感じの良い奥さんは笑顔で会釈をしてくれた。話に聞いていた通り、奥さんもフレンドリーな明るい方だった。
「どれがおすすめなの?」
いつもの調子で先生が私に尋ねた。食べることが大好きな先生は、嬉しそうに店内を見回している。
「Y先生だったら、こっちのパンが好きかも」
先生の好みそうな味付けのパンを指すと、トレーを抱えた先生はいそいそとトングで掴んでいる。袋いっぱいにパンを買ったY先生夫妻を見送ると、私は自然と笑顔になった。わざわざ足を運んでくれた先生に、元気に働いている姿を見てもらえたことが嬉しかった。
 
先生に教えてもらったのは、無理をしないでいいということ。そして、できることを少しずつでもいいから続けていくことだった。一つ一つの積み重ねが小さな自信となっていき、特別なことはできなくてもその過程を楽しんでいくことも教えてくれたような気がする。
 
私がライティングを始めて2年と少しが経った。今、こうやってライティングを続けて長い文章を打てることを伝えたら、きっとY先生はまた眼鏡の奥の目を一段と細めてくれるのではないだろうか。そう思うだけでじんわりと温かな気持ちになる。それはきっと、先生が四次元ポケットからあの手この手でひみつ道具を出すように、私を心身ともに助けてくれたことを感じていたからに他ならない。
 
 
 
 
***
 
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2022-08-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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