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私の人生最悪の失恋


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記事:西山千登勢(ライティング・ゼミ8月コース)
 
 
私の人生最悪の失恋は、世界を俯瞰する視線を与えてくれた。まるで月から地球を見るように。
 
朝早く、家の電話のベルが鳴った。
「なんだろう、まだ7時なのに?」当時は携帯電話も、もちろんスマホもなかった。1990年9月4日火曜の朝だった。
 
電話をとった母が、尖った声で「降りてきて!」と2階の私を呼んだ。ただならないその雰囲気に、転げる様に階段を降り、電話をもぎ取った。電話の相手は、彼、もう少しで結納をする予定の、高校時代からずっと付き合っていた彼のお母さんだった。聞き慣れたその声に「どうしたんですか?」と声をかけたところまでは、しっかりと覚えている。涙声で告げられたのは「あの子、死にました。事故で」。次の瞬間から、頭の中に様々な考えが渦を巻いて、ゴーッという音が聞こえ始めた。何を言って電話を切ったのか、覚えていない。
 
死んだ? そんな馬鹿な。事故で? 彼は電車とバスで通勤していた。だったら、新聞に列車やバスの事故が掲載されているはず。妙に冷静な頭で朝刊を見ても、事故の記事はない。勤めを休み、彼の家にすぐに行くことにした。「私も一緒に行くわ」。母も勤めを休み、一緒に自宅から1時間ほど離れた彼の家に行った。
 
「嘘だ、そんなはずない」「何があったの?」「事故って?」そんな事を考えてばかりいたら、あっという間に行き慣れた彼の家に到着した。彼の両親と隣家の親族が集まっていた。彼のお母さんの泣き顔を見て、頭の中で、小石がコトン、と落ちた気がした。
 
「彼は病院ですか? 事故で運ばれたんですか?」。せき込むように問いかける私のことばに、黙って首を振るお母さん。ただ「かわいそうに、かわいそうに」しか言わない。何? どういうこと? ここにいるの? じゃあ彼に、会わなきゃ。聞かなきゃ、話を、彼から。
 
出会った彼は、もう冷たかった。眠っているように布団に横たわっていたが、石と同じくらい冷たかった。今にも起き出しそうなのに、目も開かない。私は泣いた。なぜ? なぜ?
 
「おかしいわ、これ」。10分程後に母が言い出した。何を言っているの? 何がおかしいの? 呆けた頭では、母の言うことが理解できなかった。「事故にしてはきれいすぎる。なんかおかしい」。言われて気づいた。彼の顔にも体にも、何も傷がない。彼の両親を呼び、必死の思いで「本当のことを教えてください」とお願いした。そして知った。自死だった、と。
 
当時はバブル景気の最後の頃。彼は優秀なエンジニアだった。大手の会社で製造ラインの自動化を担当。工場で作る製品ごとにロボットを配置して、狙った時間どおりに組み立て作業をさせ、次の工程へと流していく。そうしたライン全体を設計し、完成させる責任者だった。でもそのラインが上手く稼動しない。朝8時から夜中の12時まで働き、土日もお盆休みもなかった。
 
「そんなにしんどいなら、今の会社を辞めよう。休んでから、転職すればいいじゃない。今は第二新卒にたくさん求人があるんだから」。私がこんなことばを口にしたのは、9月2日、日曜の夕方。彼がフラリと前触れも無く私の家に立ち寄った時だった。それなのに彼からの答えは「君は、どうして僕なんかを好きになっちゃったんだろうね」。「何言ってるの、一緒に幸せになろう、結婚しようって言ったじゃない」。言いながら、涙がこぼれた。「ごめん、ごめん。大丈夫だよ。心配しないで。なんとかするから」と穏やかな、いつになくスッキリした笑顔で、彼は帰っていった。少し仕事が落ち着いたのかな。私は暢気にそう考えていた。それが、私が見た彼の最後の笑顔、最後の姿だったのに。
 
「自殺とは誰にも言わないで」。彼の両親から懇願された。当時は自殺=弱い人がすること、不名誉なこと、という考えが今よりずっと強かった。「過労死」ということばすらなかった。私はご両親の思いを考えると、黙って頷くしかなかった。
 
納棺、通夜、告別式。淡々と何もかもが進んでいく。私は親族席に座り、参列者に頭を下げ続けた。まだ27歳だった彼の死を悼んで、たくさんの知った顔が訪れてくれた。でも私は「本当のこと」を封じられて、誰にも自分の悲しみを打ち明けられなかった。告別式のあと、彼を焼く炎の音を聞いていた。
 
彼のご両親は、妙に淡々としていた。一人っ子の彼が死んだのに、泣きわめきもしない。ただ「かわいそう」としか言わない。そこまで『自殺』とは言ってはいけない、認めてはいけないことなのか。私だったら、会社の上司に噛みつくのに。そう思いながらも、うなだれ、小さくなった彼のご両親に、何も言えなかった。
 
彼の上司は私を警戒していた。初七日法要の間に、若い社員が私に近づいて話そうとすると、上司から「〇〇! 戻ってこい!」と怒号が飛んだ。労災とされたくないのか。私は彼が会社でどんな日々を送っていたのか、それを知りたいだけなのに。
 
全てが終わり、気づいた。この世の中には、たくさんの人がいる。なのに私が会いたい、たった1人の人だけは、もういない。よく似た背格好のサラリーマンはたくさんいるのに、彼だけがいない。私にとって1990年9月4日は人生で忘れることのできない日なのに、他の人にとっては、ありふれた日なのだ。でも私も、今まで「誰かにとっての最悪の日」を、ありふれた日、として生きてきたんだ。地上を俯瞰すれば、たくさんの喜びも悲しみも、笑顔も苦しみもあることに気付かされた。今まで私が見てきた世界は、なんと小さかったのだろう。
 
彼を幸せにしたかった。一緒に生きたかった。笑い合って、成長して、いつか仲良しの老夫婦になりたかった。それなのに、彼は私を置いていった。何一つことばも残さず。
 
私は何も気づかなかった。いや、本当は「何かがおかしい」と思ったから、転職を勧めたのだ。でも、彼が自分で自分の人生を終えてしまうなんて、思いもしなかった。これから一緒に人生を歩もう、と希望に満ちて話し合っていた私を置いて、一人だけでいってしまうなんて。私は彼が命に踏みとどまる重しにもなれなかった。そんなに軽い存在だったのか。出ることのない解を今でも求めている。
 
でも。これは彼が望んだ結末だ。就職してから、仕事も、上司との関係も、何も彼の望みは叶わなかった。でも人生の最後だけは、彼は彼の望みを叶えられたのだ。幸せにしたかった人の、人生最後の望みが叶えられたことを、私は受け止め、祝うしかない。そして彼を胸の奥に住ませながら、一緒に生きていくしかないのだ。
 
その後、結婚はした。でも、恋はもうしなかった。
 
私の生涯最悪の失恋は、人々の毎日を俯瞰して見る、という視点を私に与えた。あれから、もう33年。9月4日は命日。でも私は9月3日、彼が最後に生きていた日を毎年祝う。彼に会えると思うと、寿命が尽きる日が来るのも、そんなに悪くなく思える。
 
 
 
 
***
 
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2022-09-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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