「好々爺」の侍
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:スズキヤスヒロ(ライティング・ライブ東京会場)
昼下がりの日当たりのよい講義室は、ぽかぽかして眠くなる。
「えぇー。本日は……。オタマジャクシの、遺伝学の、解説を、いたします」
「基礎生物学2」の担当をしている、木村先生は東北大学出身の東北人だ。
その、東北訛りの朴訥な語り口は、講義というよりは、古老から民話を聞いているようだ。
いつしかウトウトしていた。
すると、突然、ワッ! っと笑いが起きた。
「?!」
目を開けてみると、黒板には大きく
『オマタジャクシの遺伝子解析』
と板書されている。
木村先生は、板書が笑われていることに気づいているのか、いないのか……。
それまでと全く変わらぬ調子で、黒板を振り返ることもなく、飄々と講義を続けている。
「木村先生の、口癖ってなにか知ってるか?」
講義が終わって、隣に座っていた木村研究室の西村が聞いてきた。
『またか……』。この話は、何度も、何度も西村から聞かされていた。
すこしうんざりしながら、
「あぁ、いつもお前が言っているやつな。『なんとかなる』だろ」。
「そうなんだよ! 木村先生は、どんなことでも『なんとかなる』しか言わないんだよ!」
西村の出身学部は、インド哲学だ。
彼の卒業論文は、覚えることができないほど長い名前の、インドの哲人についてだった。
そんな文学部東洋哲学科の彼が、よりによって生物学の大学院に進学してきたのは、木村先生に、「なんとかなる」と、誘われたからだ。
西村はかなり“ぶっとんだ学生”だった。
彼に言わせると、
「インド哲学の歴史はざっと六千年だ。だから、西暦の約三倍の歴史があるんだ。だから、人間が考えられることは、ほとんどすべてやり尽くしている。だから、現在のインド哲学では、新たに何かを発見することはなく、ひたすらその哲学が正しかったことを『確認』するだけなんだ」
学部でインド哲学に見切りをつけた彼がテーマにしたのは、『空海の悟りの瞬間の生物学的解明』だった。
みなさんは「アイソレーションタンク」とよばれる、瞑想装置をご存知だろうか?
二メートルぐらいの大きなドラム缶を横倒しにしたようなタンクに、海水と同じ塩分の水が入っていて、その中に入って「浮かぶ」のである。塩水のなかで浮かぶことで、私たちは手足を意識しなくなる。
西村は、空海の悟りの瞬間の研究のため、この装置を開発した、ジョン・C・リリー博士にハワイまで会いに行き、直接教えをうけた。日本には東京の吉祥寺にこの装置があり、西村はよくこの装置を使って実験をしていた。
彼によると、空海の悟りの瞬間は『臨死体験』に近いのだそうだ。『臨死状態』を生物学的な解明に興味をもち、木村先生に研究の相談をしていた。そのうち、木村先生が異動することになり、木村先生に「大丈夫、なんとかなるから」と、この新設した大学院に連れてこられた。
「木村先生は、若い頃からキレ者だったらしいぞ。優秀な奴って、ナイフのように頭がキレるとか言うだろ。木村先生はナイフじゃない。ナタのようにキレるって言われていたそうだ」
この話も、何度も、何度も、聞かされていたので、うんざりしていた。
それにしても……。今日の講義で 『オマタジャクシ』などと黒板に大書しながら、笑い声が起きても、それに気づかないのか、顔色ひとつ変えずに朴訥と遺伝学を語っていた、あの好々爺のような木村先生が、とても『ナタのようにキレる』とは思えない。私の友人も『木村先生がキレものだ』とは誰も思わなかった。
大学院修士一年の前期が終わった初夏。大学院の新設を記念して、国際シンポジウムが開催された。欧米から、私でも知っているような著名な研究者たちが招待された。
学内を闊歩している、キラ星のようなスター研究者たちは、私たちにとっては、来日した「ロックスター」が学内を歩いているようなものだ。
「おい! あのマウス研究の大家が学食にいたぞ!」
「さっき、去年のNatureの表紙になっていた、あの先生と廊下ですれ違ったぞ!」
国際シンポジウムの直前は、私たちはずっとザワザワしていた。
国際シンポジウムの当日がやってきた。
私はいっぱしの研究者になった気分で、教授陣や来賓、そして他大学の先生方にまじって、大ホールの片隅で固唾を飲んでいた。
シンポジウム初日のテーマは「マウスの遺伝学」だった。
講演は英語だったので内容はよくわからなかったが、スター研究者たちが目の前で、直接しゃべってくれているだけで興奮した。
初日の最後の招待講演者のトークが終わると、シンポジウムの司会をしていた木村先生が、手に一枚だけOHPシートをヒラヒラさせながら、壇上に上がった。
OHPシートとは、まだPCを使ってプレゼンテーションするのが一般的でなかった頃に使われていた、プレゼンテーション用のA4サイズの透明のセロファンシートだ。
「えぇ。本日はありがとうございました。では、最後に私から一言だけ」
そういって、OHPシートを投影機の上に置いた。
スクリーンには、二枚のマウスの写真と2つの実験データが投影されている。二枚のマウスの写真は、どう見ても同じ種のマウスだ。だが、実験データは素人の私が見ても、全く異なっていた。
「えぇ。本日の講演はすべて、実験用のマウスをもちいた素晴らしい研究の成果でした。みなさんご存知の通り、実験用のマウスは実験用に遺伝的に改変されてきたものです。
そこで、私はワナを仕掛けて、本日ご発表なさった先生方がお使いになっているのと全く同じ種のマウスを、野外で捕獲し実験してみました。その結果が、このスライドです」
会場がザワめいた。
実験用のマウスのデータと、野外を走り回っているマウスのデータは、同じ種なのに実験結果が全く異なっている。
スター研究者たちの実験結果は、実験生物学の狭い世界のなかでしか通用しない。自然界を生き抜いているマウスは、たとえ同じ種であっても性質が全くと言っていいほど違うのだ。
木村先生は、たった一枚のスライドで、スター研究者たちの研究成果を、すべて一刀両断にしてしまった。
スター研究者たちは、何も言えず、身体を固くして、壇上のスクリーンに映し出されている実験結果を凝視している。
壇上にいる、いつもと同じように好々爺然としている木村先生が「宮本武蔵」に見えた。
弁舌鋭く議論相手の隙を突いて論破していく。それまで私にとって「頭がキレる人」とは、そんなイメージだった。でも、この日を境に、「頭がキレる人」のイメージは百八十度変わった。
改めて、「人は見かけによらない」の言葉が身に染みた。
***
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