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メディアグランプリ

これが最後になるかもしれないある朝の音楽


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記事:香山ハク(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)
 
 
いい音楽は、佇まいがいい。こちらを感化させようと意図せず、一瞬で魅了する。
最近わたしは愛すべき傑作に出逢った。ミュージシャンの坂本龍一氏のオンライン・ライブ「Playing the Piano2022」だ。
 
闘病生活がつづき、長らく表舞台から遠ざかっていた坂本氏の渾身の演奏だった。彼がこの上なく愛するというNHKスタジオで収録されたライブ配信は、およそオンラインで聴くことがないわたしにとって初めての経験でもあった。
 
「ライヴでコンサートをやりきる体力がない。演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」という公式サイトの言葉に、反射的にチケットを申込んだ。
 
坂本氏のことはYMOの頃からファンだった。教授の、腕組みをしながら指先で顎に触れる仕草が好きだった。とは言え、彼のガン再発とその闘病生活がつづき、コンサートはおろか新作も聴くことができていなかった。「本当に最後かもしれない……」すっかり痩せて影の薄れた坂本氏のプロフィール写真を見つめながら、わたしは、久しく味わっていないライブ感、それも初のオンライン体験してみたいと思った。
 
複雑極まりないネット購入システムをどうにか克服してチケットを入手したわたしは、坂本氏の心境を想った。果たして、彼が最後に残したい音楽とはどんな音なのか。長く辛い闘病生活をどうやって昇華し、音楽という非言語世界でそれを伝えるのだろう。
 
世界30カ国でスタートする配信ライブは、時差の関係で1回限りしか観ることができない。もちろん録音もなし。けれど、そんなことはどうだってよかった。世界にはどうしても逃してはいけない体感があると信じていた。
 
 
配信は朝の6時。ピリッと冷たい空気が室内を満たす。季節はちょうど冬至に向かうタイミングで、一年でもっとも夜が長い。スタート時間に遅れないよう、いつもよりずっと早く起きたわたしは、キッチンで濃いめのコーヒーを淹れ、膝掛けにくるまってMacの前にスタンバイした。真っ暗な部屋でいつもと違うルーティンが行われるのを不思議そうに見ていた猫は、しばらくすると関心がなさそうに膝の上で眠った。
 
6時ぴったりに、無観客でスタジオ収録された映像が流れてきた。
まず、モノクロームのしっとりとした映像美に心が奪われた。
小さなスポットライトを浴びたグランドピアノの前に坂本氏が現れる。白髪がモノトーンの中で一段と目を惹く。黒光りする譜面台に線の細いシルエットが映りこむ。
皺だらけの手をカメラは捉える。日に3時間が限界だったという収録に、坂本氏の覚悟が伝わってくる。最初の一音が、美しい詩集をめくるように、そっとはじまる。
どこまでも静かで、消えてしまいそうなほどデリケートなピアノの旋律に息をのむ。膝の上で猫が聞き耳をたてる。
 
煌々と照らされたデスクトップの前で、わたしは身動きができなくなる。呼吸が奏でられる音の響きと共鳴し、溶け合ってゆく。
 
 
映像美もカット割の良さもカメラワークも、すべてにおいてアーティストへの愛が本物で、音響はもとよりスタッフの精神性の奥行きが何重に感じられるものだった。マイクは坂本氏の息づかいまでも丁寧に拾い集め、まるで今まさに目の前で演奏が行われているような錯覚をおこさせる。
懐かしい映画音楽や、タイトルが思い出せないほど古い曲が流れる。曲と曲のあいだに、坂本氏の肉体を通した音の余韻が漂い、カメラは眼に見えないそれさえも残そうとしている。
 
 
圧倒だった。氏のピアノ演奏は、怖いほど透き通っていた。録音映像だということが信じられないほどリアリティを帯びていた。その透明度は、世界中でこの音を体感しているわたしたちの集団無意識につながっていてるに違いないと思った。あるいは、スタジオから分離されているはずの「それぞれの記憶」へとつながっているのではないかと思うほどの深さを感じた。
 
いのちの粒子がそこにあった。ひとが肉体を離れる前にこの世に絶対的に残しておきたいと願う慈愛のエネルギーが、体中の毛穴に浸透してゆく。
音楽という2次元の世界観が朝霧のように立ち現れ、無限に広がってゆき、コードが進むにつれて、そのずっと遠くにある彼の魂に触れられるような気がした。
束の間の幻想にわたしは呆然となった。
 
 
窓の外がゆっくりと明けてきた。東の空がブルーのグラデーションに輝いて飲みかけのコーヒーに映りこむ。
「どうか終わらないで」と想った。どうか、もう少しだけ、わたしたちにあなたの音と一緒にいさせてください。
すべての曲が終わり、暗い部屋のドアが開いて光が差しこむように、わたしの意識が戻ってきた。
 
わたしが忘れがたいと思わせてくれる音楽には、よく風が吹いている。
風は、いとも自然にわたしを作品の世界に招き入れる。
時に頬をサラサラとなで、木漏れ日のただなかにいるような心地になったり、強い風が耳鳴りのようにいつまでもザワザワと耳の奥で吹きつづけていることもある。
 
 
もっとも忘れがたい音楽となった「Playing the Piano2022」から吹く風は、静かな森の湖から流れていた。
やわらかな風の吹く空の、遠さ、遥かさ、せつなさの佇まいがあまりにも繊細で、いつもは自覚していない深いところまで浸透し、満ちて、果て、なにもかも溢れかえり、演奏が終わったあと、素晴らしい放心状態が訪れた。
 
いまも、映像美や音響だけでは語れない風が、わたしの中で吹きやまない。
坂本氏がどうしても残したかった音楽。その静寂な祈りに似た音の粒子は、真冬の空へ、都会の街角に、テーブルに、読みかけの本のページに、あの日モノクロームの映像に痺れていたわたしに、放心の悦楽のさなかに、いまも漂いつづけている。
 
 
 
 
***
 
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2023-01-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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