等身大の幸せ
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記事:ちー(ライティング・ゼミ10月コース)
「Help!」
大きな声で叫ぼうとしたが、声が出ない。
息を吸いたくて口を開けようとするが、水が入ってきて、息ができない。
「やばい」
そう思ったときにはもう遅かった。
底知れぬ恐怖の中に、私は飲み込まれていった。
一月一日。
久しぶりに、家族が全員帰ってきた。
結婚を機に都会に出た姉は半年ぶりに実家に帰ってきた。
私は地方の大学に進学しているので、姉に会うのは実にちょうど一年ぶりであった。
私たちの正月はとれと言って特別なことはしない。
「ちょっと太った?」
そんな冗談をいいながら、おせちをつついて、こたつでくつろぐ。
ささやかではあるが、私にとっては十分に幸せな年末年始であった。
「アルバム見てみようよ」
ただ、毎年の正月と違ったことは、姉がこんなことを言い出したことだ。
唐突な思いつき、と言うものは意外に盛り上がる。
私と姉の運動会の写真。家族で旅行に行った時の写真。懐かしい思い出がどんどん出てくる。
酒の入った父は
「おまえらにもガキの頃があったなあ」
と涙を頬に伝わせていた。
一通り盛り上がり、アルバム祭りも幕を閉じようとしていたときに、一冊のオレンジ色のアルバムが出てきた。
「なんだこれ」
不思議に思い、中を覗いてみた。
中には中学生の時の私が映っていた。
ヤギやニワトリ、牛に犬など、いろんな動物もたくさん映っている。
「これってあんたがホームステイしてたときの写真じゃない?」
母が興味深そうにアルバムをめくりながら言った。
ぱらぱらと写真がめくられていく。そして、一枚の写真が目に入った。
その時、私は8年前の苦い思い出が、ダムがあふれるようにドッと思い出した。
中学二年生の夏休み、あるプログラムの一環で、私はアメリカに一ヶ月間ホームステイをしていた。
英語はまったくしゃべれなかったのに、どうやって生活していたのか、詳しくは覚えていない。
私が泊まっていた家は酪農をしており、たくさんの動物と生活をしていた。
アメリカ北部は夏でもよく冷える。毎朝のヤギの餌やりの時に、朝露で靴下をびっしょり濡らしたことだけは、よく覚えている。
なぜここまで私の記憶が抜け落ちているのか。
それはある事件が起きたことが原因である。
八月九日。
その日は、ホストブラザーのバースデーパーティーだった。
「Happy Birthday!!!!」
ホストファミリー、アメリカンフットボールのチームメイト、クラスの女の子たちも集まり、パーティーは大盛況であった。
七面鳥をはじめ、たくさんのごちそうが並び、中央のテーブルには主役のホストブラザーお気に入りの野球チームのロゴが入ったバースデーケーキが置かれていた。
家から少し離れた湖の畔で、パーティーは開かれていた。
それはとても大きな湖であった。
湖の周りの芝生はきれいな緑色に揃えられている。
湖には二台のボートが止めてあり、ほとりには小さなコテージがある。
それは絵葉書になりそうな程、美しい景色であった。
ごちそうを平らげた後、私たちはその湖で遊んだ。
「ボートを動かそうぜ」
いつも少し小さいピチピチのTシャツを着ている、ジャイアンみたいなお兄ちゃんが、そう言い出した。
彼はいつも悪いいたずらを思いつく。
「やろうやろう!」
普段であれば私たちは反対するのだが、その日は太陽と月が入れ替わったみたいに皆ハイテンションになっていた。
私たちは勇んで、ボートに乗り込んだ。
四人掛けのボートに七人は乗っていたと思う。明らかにクレイジーだった。
ボートはのろのろと進み始めた。
それはまるで初めて暗夜行路をする子供のような進み方だった。
ボートはなんとか浮かんでいたが、少しずつ水が船に入ってきた。
「このくらい大丈夫だろ」
と、はじめ、子供たちは、笑い飛ばしていた。
しかし、船は徐々に傾きはじめた。
ボートは湖の中央あたりまで来ており、もう後戻りすることはできない。
「これはまずい」
子供たちの顔色はどんどん青ざめていった。
いよいよ船がバランスを失い、先端が沈み、もう片側が、垂直に持ち上がった。
誰かが
「Run!!」
と大きな声で叫んだちょうどそのときに、
船は転覆した。
ばっしゃーーん。
船は大きな音を立ててきれいにひっくり返った。
子供たちは一斉に水中に投げ捨てられた。
その時、ちょうど、私は船の下敷きになってしまったのだ。
私はパニックになった。
暗い水中、どこまで泳いでも水面から顔を出せない。
「誰か助けて」
そう言いたかったが、声も出ない。
恐怖と不安だけが、私を包んでいった。
そして、そのまま、意識が遠のいていった。
その後のこともよく思い出せない。
恐らく、私は急いでコテージに運ばれ、パーティーは中止になった。
私だけがこっぴどく怒られたことも記憶の片隅に残っている。
パーティーを台無しにした罪悪感と、水に対するトラウマが、アメリカへの置き土産となった。
「どうしたの?怖い顔して」
姉が、私の顔をのぞき込みながら、訊いた。
きっと私が恐ろしい剣幕でアルバムをめくっていたからだろう。
アルバムはほとんど片付け終わって、キッチンでは、母がコーヒーを入れていた。
「いや、なんでもない」
「アメリカ楽しかった?」
「楽しかったよ」
リビングでは父がいびきを立てながら寝ている。
海外にスリルを求めるのも素晴らしい。
しかし、私はこのささやかな幸せに浸っていたいと思った。
「でも、アメリカはもう十分かな」
私はアルバムを閉じて、こたつに潜り込んだ。
***
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