服選びが楽しくなる、大切な呪文を思い出させてくれた物語
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:大村沙織(ライティング実践教室)
白い袋からのぞく目の覚めるような空色が目に入り、思わずマスクの下の口元をほころばせる。
今まで片手で数えるくらいしか買ったことのないワンピース。
それもシャツワンピースなんて一度も着たことがない。
大きめのイヤリングと合わせたら、より女性らしく着こなせるかもしれない。
ボタンを深めにあけて、インナーをチラ見せさせたら艶っぽく見えるかも?
頭の中でファッションショーが止まらない。
この服で皆に会う日が待ち遠しい!
服1着でこんなに高揚できるなんて、思いもよらなかった。
あの本を読んで、「呪文」を思い出せたおかげだ。
「明日の夕方までにどうしても欲しくて」
小説『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』の登場人物の1人、チヒロの台詞だ。
渋谷にあるセレクトショップで、彼女は店員が着ているデニムに目を留める。
その品のよさをチヒロは気に入り、想い人との食事にそれを着て行きたいと考える。
しかしデニムはたくさんあるものの、店員が着ているのと同じものは店内に見当たらない。
果たして、彼女はお目当ての服を手に入れることができるのか―。
この話を読みながら、思ったことがある。
「こんな切実な気持ちで服を選んだことって、長らくないのでは?」
かつては勝負服を持っていたはずだ。
かっちりとした、大人らしさを見せたい場。
デートや女子会など、可愛らしさを見せたい場。
垢抜けた自分を見せたい場。
様々なシチュエーションを想定し、手持ちの服でコーディネートを考える。
新しい服を買うときは、クローゼットにある服を必死になって思い出す。
いかに自分の手持ちの服と組み合わせて着回せるか?
そのバリエーションの多さで、お迎えするかしないかを決めるのだ。
特に学生時代、お金がないときにはその必死さに拍車がかかり、服1着を買うのに30分とか1時間悩むこともざらにあった。
ただおしゃれへの執着が続いたのも22歳頃まで。
研究室に配属されてからは、実験に明け暮れる日々だったからだ。
布地が溶けてしまう試薬を扱う機会も多く、膝まである白衣を着て実験していても、気づいたら履いていたデニムに穴が開いていたこともある。
そんな危険な環境だから、お気に入りの服は着なくなった。
古びたスニーカー、汚れてもいいTシャツ、薬品で所々穴の開いたデニム。
おしゃれからどんどん遠ざかっていく自覚があった。
唯一、彼氏とのデートではおめかしして、かわいい自分を見せていた。
しかし社会人になって5年。
彼氏と遠距離を理由に別れることになり、おめかしの機会がなくなったことで、一切服に気を遣わなくなった。
家から職場までの通勤が車で、仕事時は作業着に着替える職場だったことも非おしゃれ化を促進した。
その後本社に異動になり、「さすがにオフィスでカジュアルすぎるのはまずい!」と、慌てて服を買い漁った。
しかしそこでは優先されるのは「周囲から浮かないか?」や「無難に見えるか?」といった仕事を中心にした視点ばかり。
過去の服選びでもシーンを想定して選んでいたはずだが、コーディネートを考える楽しさやわくわく感は皆無だった。
仕事で稼げるようになったことで、手頃な価格の服は「気に入ったら買えばいい」と思うようになったのも大きかった。
金銭的な余裕が生まれることで、必死になって服を選ぶ機会も減ってしまっていたのだと思う。
だからこそ、チヒロの特定の洋服への想いに心が揺さぶられたのかもしない。
なぜ彼女に引き込まれてしまうのか?
そして気づいた。
自分の服選びからは「相手」の視点が欠けてしまっていたのだと。
着る場面を想定した服選びは実践している。
しかし若い頃は、もっと相手のことを考えて服を選んでいた気がする。
「このピンクベージュのジャケット、彼氏がかわいいと思ってくれるかな?」
「ネイビーのとろみ生地の大人っぽいブラウスで、先生も『こいつ成長したな』って思ってくれるかも」
その服を着て誰に会うか、その人がどんなことを思うかまで考える。
その上で自分が着たいと思う服を選ぶ。
そんな服選びが、かつての自分はできていたはずだ。
しかし最近はどうだろう?
自己満足だけで服を選んではいやしないだろうか?
もちろん服は自分で着るものなので、着心地や動きやすさなど、自分本位でも許される部分はあると思う。
でも相手のことを考えることで、服選びの視点が豊かになるし、相手と過ごす時間まで考えるとよりわくわく感が増すはずだ。
昔読んだファッション誌の特集を思い出す。
そこではTPPOという概念が提唱されていた。
「Time(時)、Place(場所)、Occasion(場合)に加えて、おしゃれには2つめのP、すなわちPerson(人)も必要だよね!」
きれいな顔のモデルさんが微笑みながら、カメラ目線でこちらに語りかけていた。
読んだ当時はピンと来ていなかったが、今なら分かる気がする。
チヒロは恋する彼を想っているから、彼と楽しい時間を過ごしたいから、あんなに必死にデニムを探していたんだ。
チヒロには、彼と過ごすデニムを着た自分が見えていたに違いない。
彼と過ごした素敵な記憶は、デニムと共に彼女の中に残るだろう。
空色のシャツワンピースは、チヒロの物語を思い返しながら購入した。
チヒロの他に思い浮かべたのは、3月に会う予定の女友達。
久しぶりに会うし、春らしい明るいカラーのアイテムにしてみた。
皆にはこのワンピースを着て会いに行こう。
外はまだ寒いかもしれないけど、たくさん話して、たくさん笑おう。
たとえ寒くても、温かな思い出として、自分や皆の中に残るといいな。
そう願いながら、妄想ファッションショーを続けた。
***
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