親は、私がいくつになっても親なんだ
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記事:鈴村文子(ライティング・ゼミ12月コース)
「お母さん、今、入院してる」
電話越しに聞こえてくる父の声に、私の頭の中は、一瞬、真っ白になった。今、なんて言った? ニュウイン? どういうこと? お母さんは大丈夫なのか? いろいろな思いが湧いて出てくる。何度か深呼吸をして、落ち着いてから父に、母の具合を尋ねた。
父に電話をかけたのは、今から5年前の11月の終わり、水曜日の夜のことである。その前の日、母からメールが届かなかった。私は、結婚して東京に住むようになり、名古屋に住む両親と離れて暮らすようになってから、ほぼ毎日、母とメールでやり取りをしていた。それなのに、この日は、私からメールを送ったきり、返事が来なかったのだ。メールには、お正月休みに帰省することを書いたのに、何にも言ってこないなんて、おかしいな、とは思ったのだが、それまでもたまに、母が早く寝てしまったとかで、返事が来ないこともあったので、あまり深くは考えなかった。
ところが、次の日になっても、母からメールは来なかった。いつもだったら、もう寝てたから、返事が遅くなってごめんね、と、朝8時ごろにはメールが来るのに、昼になっても、来ない。夜になっても、何にも音沙汰なしだ。母に電話をかけても、繋がらない。何かあったのだろうか。不安でたまらなくなって、とうとう父に電話をかけたのだった。
父は、「昨日の夜、お母さんの様子がおかしかったから、救急車を呼んで、病院に行ったんだ。検査をしてもらったら、膝にバイ菌が溜まって、そのバイ菌が体のいろんなところに回ってしまっていた状態だった。膝のバイ菌は手術で取ってもらったし、体のバイ菌は薬を飲んでやっつけられるみたいだから、そんなに心配はいらない」と言った。体にバイ菌が回っているって、そうとう大変な状況ではないのだろうか。今すぐにでも、お母さんの様子を見に行きたい。でも……。
「明後日、金曜日に胃カメラと大腸カメラの検査をする予定になってて。すぐ帰りたいんだけど、予約がなかなか取れないから、金曜日に検査を受けてから、土曜日に帰るので、いいかな? お父さんは、家に一人で、大丈夫なの?」一気に、吐き出すように父に聞く。ところが、父は、「帰ってこなくても、大丈夫だ。心配ないから」とだけ言って、電話を切られてしまった。ああ、もう。お父さんは、いつもこうだ。きっと本当は、一人で不安に違いないのに、それを悟られまいとして、強がっている。まるでサーカスの猛獣使いのようだ。本当は怖いのに、お客様にはそれを見せないように、父は、娘の私には、決して弱さを見せない。でも今は、そんな父のことが、とても心配だ。家に一人でいる父のことも、入院している母のことも、どちらのことも、気に掛かって仕方がない中、木曜日は、通常通り会社に出勤し、金曜日、胃カメラと大腸カメラの日を迎えた。
胃カメラ、大腸カメラの検査の前は、胃の中、大腸の中を空っぽにしておかなければならない。そのため、検査の日は朝から、ポカリスエットを薄くしたような味の下剤ドリンクを、2リットルくらい飲まなければならない。少しずつ飲んでは、トイレに行き、を何度も繰り返す。苦痛で仕方がなかったが、胃や大腸の中に、何か残っていると写真に写ってしまうので、検査が失敗になってしまう。一刻も早く、父と母の様子を見に行きたい気持ちを我慢して受ける検査だ。失敗になんてしてたまるか。その一心で、下剤ドリンクとトイレの往復を繰り返した。
検査自体は、麻酔が効いている中で行われるので、痛くも何ともなかった。頑張って下剤ドリンクを飲んだおかげで、胃や大腸は空っぽになったらしく、きちんと写真が取れて、検査は無事に終了した。結果はすぐに聞くことができて、医者からは、とても綺麗な胃と大腸ですね、と言ってもらい、お土産に、自分の胃と大腸の写真までいただいた。自分の胃や大腸が何ともなかったことは嬉しかったが、それ以上に、やっと父や母の様子を見に行けると思うと、心からほっとした。
次の日、朝一番で、父に電話をして、母の入院する病院と、部屋番号を聞く。そして、有無を言わさず、とにかく帰ることを伝えた。それから急いで東京駅に向かい、新幹線に飛び乗った。新幹線の中で、病院の場所を調べた。
とうとう、名古屋駅に着いた。地下鉄を乗り継いで病院に向かっていると、だんだん、母の様子を見たいような、見たくないような、複雑な気持ちになってきた。あんなに早く行きたいと思っていたのに、入院している母の姿を見るのが怖いような気持ちだった。それでもどんどん、地下鉄は進み、病院の最寄駅に着く。怖い、でも行かないと。自分の心を励ましながら、病院に入り、病室に入る。
病室に入ると、母は、口を開けて、眠っていた。その姿を見ただけで、私はもう泣きそうになってしまった。そんなふうに寝ている母の姿は、今まで見たことがなかったから。しばらく、ベッドの横の椅子に腰掛けていると、母は目を覚まして、こう言ったのだ。
「胃と大腸の検査はどうだった?」と。その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れてきた。自分が入院している状況になっていても、母はまず、私のことを気にかけてくれるのだ。そんな母が、無事で良かった、心から、そう思った。
あれから5年が経つ。父も母も年は取ったが、元気に暮らしている。母とのメールも相変わらず続けている。どうかいつまでも、こういう穏やか日々が続くようにと、祈っている。
***
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