老々介護の日々を生きる私を救う亡き母の一言
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記事:西巻悦子(ライティング・ゼミ4月コース)
母が亡くなってから20年余り。母の死んだ年齢に近づいてきた。そんな今、ふと思う。
あれは何だったのだろう。
たしかに私は母に似ている。容姿も体型も声までも。
故郷を失った今、母の思いは私の中に確かに生きている。
母は大正15年生まれ、戦中戦後の昭和を必死で生き抜いた人だった。それだけに芯が強い。跡継ぎのはずの長男と将来を嘱望されていた次男と、戦争で息子二人を失った両親の支えとなり、婿を迎えて家を守ってきた。
それだけに気も強かった。
私の父は少年開拓団に志願し、シベリヤ抑留を経て辛うじて祖国の土を踏むことができた人間だった。おそらくシベリヤ抑留というすさまじい体験が、すべてを破壊したくなる衝動に父を駆り立てたのだろう。父は母に拳をあげることもしばしば、決して仲が良いというわけではなかった。父は、家政面や世間との付き合いでは母に頼り切っていたため、母を軽んじることは一切しなかった。だが、気持ちの上で母を尊重していたとはいえ、父は母に理由なく暴力をふるうこともたびたびだった。何かのきっかけで怒りに火が付くと手が付けられなくなる。そういう狂気じみたところがあった。
そういう時の母は形相すさまじく「殴って気がすむならいくらでも殴れ」と言って父の前に立ちふさがって一歩も引かなかった。
幼い日の記憶。ガツン、ガツン、ドスゥという音、母と私たち姉妹の泣き声が今でもよみがえる、恐ろしくて逃げ出そうにも私は足が動かなかった。母は知っていた。父の心中の嵐は母が身を差し出すようにして受け止めなければどうしてもやまないことを。
「ウチはお母ちゃんが大黒柱だから」と。
粗暴で酒癖の悪い父は、母のほかには自分を受け入れ理解してくれる人を得ることができなかった。嵐が過ぎると父はそう言った。寡黙な父の母への思いが隠されていた。だが、母は父への憎しみや憤りを心中に押し込んで体を弱らせていった。
そんな母は若いころには、当時の最先端であった軍需工場であった中島飛行場の中枢で事務を執っていたという。高等小学校出だけの学歴だが母は機転がきき、数字に強かった。その当時の写真が残っている。清楚なすがたの母。私はどれだけ誇らしかったか。
両親は私に、女も一生続けられる仕事をもち、一人で生きてゆけるだけの収入を得られるようにと仕向けてくれた。
そのうち、母は食欲のコントロールができない体になってしまった。食糧難を経験してきたせいか、父の暴力からの逃避だったのか、今でいう摂食障害になり、過食に走っていた。そのため中年以降は肥満が進み糖尿病も発症してしまった。
それでも母は前向きな人だった。母自身も仕事を定年まで続け、経済的に自立していた。病が悪化し、心臓のバイパス手術を受けた時もすべて自分で決めてきた。それが結果的に命取りになったのだが、母は自分の選択に迷いがなかった。
そんな母の楽しみは旅行だった。母は出不精な父に無理強いすることなく、私の夏休みや冬休みなどの長期休暇には、私たち家族をお供によく旅に出た。
そんな時、誰に言うともなく、「私が死んでもおねえちゃんの中で生きているからいい」と。
私は「それは娘だもの、似るわね」とまぜ返すのが常だったが、母の思いはそんなところにはなかったようだ。
私は東京で職に就いていたため、両親が亡くなってから、実家の家屋敷は空き家問題という深刻な事態に直面し、手放さざるを得なかった。だが、代々の家系の伝承や習俗は、心の奥の記録帖に書き込まれている。
今、私はつれあいを介護している。
連れ合いは体の自由が利かない。その苛立ちを私にぶつける。連れ合いが癇癪玉を破裂させるので、家の什器は安物ばかり。若い時に奮発して買ったお皿などはもうない。
そんな私には母ほどの覚悟がなく、今もって迷いが多い。後悔も多々ある。
介護に疲れ、逃げ出したくなる時、ふと思う。母が私になかで生きているなら、まだやれるのではないかと。
母は、父のやり場のない怒りと心の傷とを一身に受け止め、わが身の苦痛と涙で父の魂を癒そうとし続けた。私も母と同じことをしている。母の家系の伝承や習俗は私の中で生きている。介護が嫌だから、夫のDVがひどいから、だからと言ってつれあいを突き放すことができない。これしかない。なんのこれしき!
ただ、息子に言うことができるか。いや、それはできない。
あなたの中で生きているという言葉は息子には言えない。理解を越えた共感や共鳴がなければ言えない。しかし、母は理解してもらおうなどと思っていなかったに違いない。母は事実そうなのだからという確信に満ちて言った。確かにそうなのだからと。
母と私が同性だから言えて、私と息子は異性だからというものではない。その言葉を母が口にする時、母の口元には笑みが浮かんでいた。
母にとっては必ずしも満足のゆく暮らし恵まれた人生ではなかったかもしれない。しかし、「お姉ちゃんの中で生きている」を口にする時の、母は永遠の生を手に入れたと言わんばかりの会心のほほえみを口元に浮かべていた。その時、確かに母は自分の人生を受け入れていた。
かなわないな、越えられないな‼
私は、後悔に、怒りに、迷いに、揺れるときもあるのだから。
だからこそ私は、今ここにいるはずのない現身の母の姿を思い浮かべ、強く、そして、固く抱きしめる。
長年、仕事を持ち、配偶者に依存しない経済力を持ってはいるが、縁あって結ばれたのだ。だから、何があろうとも、どのような状態になろうとも、私は老々介護でつれあいを支えようと、心の中で拳を固める。
これが生きるということなのだからと。
***
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