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雪崩の恐怖とそこからの生存方法


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記事:松浦哲夫(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「ここは……どこだ?」
 
そこはまるで棺桶の中だった。雪の棺桶だ。息が苦しい。全身に痛みが走る。上も下も右も左もわからない。ここからすぐに脱出せよ、と私の直感が言っている。私は直感に従い、息苦しさと全身の痛みに耐えながら目の前の雪をかきだした。冷たい。手袋をなくしたらしい。
 
両手が思うように動かない。感覚も失われた。冷たさに顔をしかめながら、必死になって目の前の雪をかき続けた。すると、雪の奥から光が差し込んできた。助かった。呼吸ができる。私はゆっくり這い上がり周囲を見渡すが、あまりの光景に言葉を失った。生い茂っていたはずの木々の多くがなぎ倒され、一面雪の平原が広がっていた。その光景から導き出される答えは1つしかなかった。私は雪崩に飲み込まれたのだ。
 
 
6年前の2月、平地でも雪がちらつく寒さの中、私は3連休を山で過ごすために1人で長野県の八ヶ岳に来ていた。
 
八ヶ岳には赤岳鉱泉という有名な山小屋がある。周囲を3000m級の山々に囲まれた大きな山小屋で、施設も充実し、食事も美味い。とりわけ登山愛好家でこの山小屋を知らない者はいない。今回私は2つの目的を持ってここを訪れた。1つは雪山登山を満喫すること、もう1つは偶然のような出会いを楽しむことだ。
 
赤岳鉱泉に行けば見知った顔に出会うことが多い。「赤岳鉱泉で会おう」と事前に連絡するわけでもないが、なぜか出会う。つまり、偶然のような出会いというわけだ。
 
3連休が始まる前日の夜、私は赤岳鉱泉に到着した。食堂に入ると、すでに見知った顔が酒を飲んで顔を真っ赤に腫らしていた。
 
「後藤さん、ご無沙汰です」
「いよお、てっちゃん、また会ったな」
 
後藤さんは60代の男性で、山と酒をこよなく愛する人だ。酒の席ではいつも自慢話を聞かされるが、不思議と退屈しない。登山経験が人一倍豊富で話が上手いのだ。普段はあまり酒を飲まない私も、この時ばかりはつい飲み過ぎてしまう。
 
その日も私は彼の話に巻き込まれた。互いに酒がすすみ、話もはずみ、気がついたら深夜の2時を回っていた。
 
「おっと、もうこんな時間か、てっちゃん明日は山か?」
「はい、山頂とまではいかずとも楽しんできます」
「それがいい、山頂も含めて全部が山だからな、楽しいのが一番だよ」
 
そうして私と後藤さんはそれぞれの部屋に入って眠りについた。
 
翌朝、私は二日酔いもなく8時に目が覚め、すぐに登山の準備に取り掛かった。愛用のリュックを背負い、登山靴を履いて山小屋を出ると、そこに早朝の空気を楽しむ後藤さんがいた。
 
「てっちゃん、これからかい?」
「これからです、行ってきますね」
「今日は晴天だ、気温も高いから雪崩に気をつけてな」
 
空を見上げると雲1つない青空が広がっていた。こういう日は雪が溶けやすく雪崩が起きやすい。そのことをよく知っている後藤さんからの忠告だった。私は後藤さんに礼を言って山小屋を出発、登山道へと入っていった。
 
雪を踏みしめるわずかな音が辺りに響き渡る。動物も虫も姿を見せない今の時期、山は不気味なほどの静寂に包まれる。私はそんな雪山を、一歩ずつ雪の感触を確かめるように、山のヒヤリとした空気を楽しみながら登った。
 
そうして2時間ほど山の歩行を楽しんだ後、一息入れることにした。さほど疲れてはいないが、先を急ぐわけでもない。雪山では休息時間も存分に楽しむことができる。真っ白な風景を眺めながら腰を下ろして熱いコーヒーを片手に持てば、そこは極上のカフェとなる。
 
真上の山を見上げれば、そこは真っ平らな雪の斜面だ。そんな美しい光景を眺めながら飲むコーヒーは本当に格別だ。
 
その時だった。私はたった今見上げた雪の斜面に何かしらの違和感を覚えた。八ヶ岳には背の高い木々が生い茂っており、枝葉に積もる雪がまるで芸術作品のような光景を生み出す。ところが私が見上げた斜面には木々がなかった。まるで滑り台のように真っ平らなのだ。そして私は雪崩が発生しやすい条件について年配の登山家から学んだことを思い出した。
 
「木が生えていない場所に気をつけろ、雪崩が発生しやすいぞ」
 
その瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が私を襲った。私が今目の当たりにしている光景が、まさに雪崩が発生するその条件とピッタリ一致するのだ。
 
私はコップに注いだコーヒーをその場に捨て、急いでリュックを背負おうとした。しかし、もう遅かった。私がリュックに手をかけたその時、斜面の上の方から轟音が鳴り響き、同時に凶器と化した雪が私に襲いかかった。そのまま私は雪に飲み込まれたのだった。
 
 
私はなんとか雪の棺桶から脱出したが、愛用のリュックは見つからなかった。探す余裕もない。私は全身に走る痛みに耐えながらなんとか赤岳鉱泉へと帰った。後藤さんはボロボロになった私を見て何かを察したようだ。
 
「……よく生きて帰ってきた」
 
私は服を着替え、食堂で後藤さんと向かい合わせで座った。すると、後藤さんは真剣な表情で話し始めた。
 
「俺もな、むかし雪崩に巻き込まれたんだ」
 
私はその言葉に驚いて後藤さんを見た。後藤さんは続ける。
「雪崩に飲まれるとな、まず雪の弾丸を食らう。もちろん危険だ。でも、それだけじゃない。雪に流されながら全身を地面とか岩に何度も叩きつけられるんだ、まるで軽トラと何度も正面衝突するみたいにな。普通はそれで死ぬ。運よく生き延びても雪に埋もれたまま気を失うと窒息して死んじまう。俺はちゃんとヘルメットをかぶっていたから気を失わずに、なんとか雪の中から這い出ることができた。てっちゃんもそうだったろ?」
 
私は黙ってうなずき、先ほどまでかぶっていたヘルメットを思い出した。ボロボロで使い物にならなくなっていた。頭に少し痛みはあるものの、ヘルメットをかぶっていたおかげで気を失わずに済んだわけだ。
 
それからすぐに診療所の職員と医者がやってきた。山小屋のスタッフが呼んでくれたらしい。私は痛む箇所を中心に全身を診てもらい、いくつかの質問に答えた。医者はカルテに何かを書き込みながら、事務的な口調で言った。
 
「おそらく骨折はしていないでしょうが、今回はもう家に帰って近くの病院で診察を受けてください」
 
帰る準備を終えて赤岳鉱泉を出る時になっても、私はまだ雪崩のショックを引きずり、気を高ぶらせていた。そんな私を後藤さんが見送りに来てくれた。
 
「すぐに病院に行ってゆっくり休め。あとな、てっちゃんはものすごく貴重な体験をしたと思って欲しいんだ。俺の知り合いにも何人か雪崩に巻き込まれたやつがいたが全員死んだ。てっちゃんは雪崩に巻き込まれた俺の知り合いで唯一の生存者なんだ、それを言いたくてな」
 
後藤さんの言葉を聞いて私は泣きそうになった。その言葉には後藤さんの思いやりがあふれていた。
 
「俺は明日帰る。次にここに来るのは8月だな。てっちゃんも来いよ、今度は一緒に山に登ろうや、8月なら雪崩の心配もない」
 
そう言って後藤さんは笑った。私は8月に必ず来ると約束し、駐車場に向かって歩き出した。振り返ると赤岳鉱泉が小さく見えた。そして私を見送る後藤さんの姿が見えたような気がした。
 
 
 
 
***
 
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2023-07-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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