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56年の人生で一番悲惨な失恋物語


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:小城朝子(ライティング・ゼミ6月コース)
 
 
「気持ち悪い!」その一言と共に、私は恋を失った。
 
あれは30年前。私がまだ若かりし20代半ばの頃。彼は商社マンで香港在住。付き合って間もなく、彼は転勤で、はるばる香港に赴任してしまい、海を超えての超長距離恋愛となってしまった。
ガラケーさえない時代。連絡を取るのもままならない。でも、愛があれば大丈夫、と若い私は新しい恋に酔いしれていた。
何通かの手紙のやり取りと、国際電話で2回ぐらい話をした頃だった。彼から香港行きのチケットが送られてきた。まるでトレンディードラマのような展開に夢が広がる。
その日に向けて必死に仕事を調整し、無事に出発当日を迎えた。
 
真冬の成田から、彼の待つ香港へ。
到着ロビーに出ると、そこには夢にまで見た彼の笑顔。私のスーツケースをさっと手にし、スマートにエスコートをしてくれる。当時の香港はまだイギリス領の時代。オリエンタルな雰囲気の街並みに魅了される。そして2カ月ぶりに彼の隣に居られる幸せに、私はすっかり夢心地。 そんな至福の中、彼から思わぬ言葉を掛けられる。
 
「香港まで来てもらって本当に申し訳ないんだけど……」
 
えっ? 一瞬、私は固まる。彼の表情は硬い。
もしかして帰ってくれと言われるのか。実は、私の他にも彼女がいて、その女性と、まさかのダブルブッキングとか……。当時、流行っていた泥沼恋愛ドラマの展開が瞬時に頭を駆け巡り、私の心臓はバクバクする。
 
彼は、硬い表情のまま言葉を続ける。
「実は、今夜、大事な接待が入ってしまって、どうしても断れないんだ。2時間ぐらいで終わるから、接待に同席してくれないかな」
なんだ! そんなことか。
頭の中は、香港を舞台に、国際的な血みどろの女のバトルが展開されていたので、彼の言葉に拍子抜けをする。
「私で良ければ、もちろん喜んで」と笑顔で即答。
「ただ、英語も中国語も全く話せないけど大丈夫?」と、念のために彼に確認する。
「隣に座っているだけでいいから」
こうして、香港初日の夜、接待に同行することが決まった。
 
接待の店に着くと、そこには3人の中国の男性陣。皆、ニコニコ笑顔で、いい感じの人達だ。私も満面の笑顔で「ニーハオ」と片言の挨拶をして席に着く。
席に座ると同時に「絶対に無理しなくていいからね」と、彼からささやかれる。が、何を無理しなくていいのか分からない。語学のできない私は、会話に参加できるわけもなく無理のしようもない。真意は分からないが、私を気遣ってくれる彼の優しさが、ただ嬉しかった。
 
ほどなくして、テーブルに料理と紹興酒が運ばれてくる。本場の豪勢な中華料理に胸が高鳴る。
続いて各人の目の前に小さめのショットグラスが置かれ、紹興酒が並々と注がれる。そして全員でグラスを掲げ「カンペイ」と大合唱。そこまでは、私も付いていけた。
 
問題はその直後から始まる。
 
皆「カンペイ」と言ったとたんに紹興酒を一気飲み。私もツラレて一気飲み。そして、皆、飲み終わると同時に、空になったグラスを我れ先にと見せ合う。私も慌てて空になったグラスを披露する。
そうなのだ。これこそが中国の正式な「干杯」(カンペイ)なのだ。
「カンペイ」をしたら、一気飲みして、空のグラスを見せなければならない。お酒を飲み干すことで相手への敬意を示すという、何ともドSな中国式接待ルールなのである。
 
再びグラスには溢れんばかりの紹興酒が注がれる。そして、正面に座っている殿方がニコニコしながらグラスを手にし、私のグラスにチンと合わせ「カンペイ」と、のたまう。私はまたまた一気飲み。彼は隣で「無理して飲まなくていいから」と言ってくれるが、彼の大事な接待の場。彼の顔を潰すわけにはいかない。
 
「カンペイ」の嵐の中、気付けば紹興酒の空き瓶がボーリングのピンのように10本以上並んでいる。いや、ボーリング、2レーン分に近い本数だ。
しかし、ここまできて潰れるわけにはいかない。お客様に気持ちよく帰ってもらうまでが接待だ。まだ意識はある。足取りは……大丈夫、何とか立てる。最後まで笑顔を保ち、彼と一緒にお客様をお見送り。
やっと二人きりになり、いざ宿泊先のホテルへ向かう。無事にホテルに着き、部屋に入ったところまでは記憶がある。30年前の話だが、そこまでは今でも鮮明に覚えている。
 
しかし、その後の記憶が全くない。記憶をどのくらい失っていたのか全く見当も付かないが、記憶が甦ったのはベッドの上だった。
 
「気持ち悪い!」という自分のうめき声と共に目が覚めた。
 
そして、その一言と共に、ベッドに全てをリバースした。
 
ベッドは惨憺たる状況。うろたえながらも彼は「部屋を変えてもらおうか」と言ってくれる。そして、その瞬間、当時の緊急連絡ツールであるポケベルの音が鳴り響く。慌てて電話をする彼。会社から緊急呼び出しとのことで、「ごめん、ちょっと行ってくる」という言葉と共に彼は部屋を出ていった。
 
一人、部屋に残された私は、まだ状況を飲み込めない。朦朧とする中、とにかくシャワーを浴びようと浴室に入った。
蛇口を全開にし、滝行のようにシャワーを浴びる。が、お酒が抜けていない私は、滝行の最中にも拘わらず再び眠りに落ちた。
 
どのくらいの時間が経ったのだろう。
突然、ハッと目が覚める。
同時に酔いが覚めてくる。
同時に記憶が戻ってくる。
ハタと恐るべき光景を思い出し、部屋に戻ってみる。
 
正気に帰った目に映ったベッドは地獄絵図。
慌ててフロントに電話を掛ける。電話の向こうから「ハロー」と当然ながら英語が聞こえる。英語が全くダメな私は必死に知っている単語を並べる。
「プリーズ ヘルプ ミー。アイ ハブ アクシデント。プリーズ チェンジ ベッド」
 
ほどなくして係の人がやってくる。部屋の状況を目にし「Oh My God!」
いぶかしげに私の顔を見る。すかさず私はチップとして2千円を彼の手に握らせる。さすが、観光客相手のホテルマン。円の価値を分かっている。係の人は急にニコニコし、テキパキとベッドを新しいものに取り換えてくれる。
そうして、部屋は何事もなかったかのように、チェックインした時と同じ状態に戻った。
 
部屋は元通りになったが、私の心は戻らない。
空港に着いた時の香港へのトキメキは一かけらもない。あんなに燃えていた彼への恋心も消沈し、もはや贖罪の気持ちしかない。あれほど彼が「絶対に無理しなくていいからね」と言ってくれたのに、その意味も分からず調子に乗って飲みまくり、挙句の果てに、大好きな人の前でとんでもない醜態を晒してしまった。
 
反省と後悔の念が渦巻く中、彼が戻ってきた。
「大丈夫? 一人にしてごめんね。あっ、部屋、片付けてもらったんだね。さっきの事は気にしないでね」と優しく声を掛けてくれるが、彼の顔をまともに見ることができない。あまりの恥ずかしさに、この場で穴を掘って入りたいぐらいだ。
 
結局、翌日は、自責の念で、彼とうまく話すことができず、気まずい雰囲気のまま一日が過ぎた。
そして、その翌日、更に気まずい雰囲気の中、空港で「また電話するね」と、お互い形だけの会話をした。
こうして、私の恋はあっけなく消えてしまった。
 
そして、私は神から一つの格言を授かる。
 
「リバースしたものは、口の中に戻すことは出来ない」
 
「覆水盆に返らず」の意味を身を削って理解した、遠い日の恋の話である。
 
 
 
 
***
 
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