できなかった逆上がりの夜が、大丈夫を育てた
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記事:まりこ(ライティング・ゼミ12月コース)
「自転車、送ってくれない?」
この春、一人暮らしを始めた娘からのLINE。最寄りのスーパーが遠くて不便だから、自転車がほしいと言う。スーパーが遠いって、ちゃんと食べているのかな、そしてあの子は、自転車なんて乗れるのかね?大丈夫かな…いろいろと気になって返信の手が止まる。
娘は、小さい頃から、じっとしているのが好きな子だった。お座りをするようになったばかりのある日、娘に絵本を渡し、一通りの家事をこなして、私は慌ただしくシャワーを浴びた。戻ってきたら、娘は、絵本を渡されたそのままの姿勢で、じっと、ごきげんに過ごしていたっけ。
代わりに、身体を動かすことはとても苦手で、友達と遊びにいくことも増えるだろうと買った若草色の自転車は、自転車置き場で何年もほこりをかぶったままだった。小さい時から、そんな子だった。
「学校行きたくない」
ある晩、御飯の後に、娘がポツリと言った。
聞けば、みんなの前で逆上がりの発表があるらしい。クラスでできないのは二人だけだ。跳び箱、マット、フラフープなど、その子に合わせた種目を選べた保育園とは違い、小学校では、逆上がり一択みたいだ。
逆上がりか…娘と同じ年頃の自分が鉄棒でよく遊んでいたことを思い出す。手の持ち方を変えたり、スカートをひっかけて回ったり、膝をかかえるダルマ回りとか、コウモリなんていうのもあったな。ぐるぐる軽快に回ったことが思い出される。逆上がりなんて、ちょっとしたコツさえつかめば、すぐできるようになるだろう。早速、赤ちゃん息子をベビーカーに乗せ、気乗りしない娘を連れ出して、夜の公園に向かった。
「まず、お手本を見せるね」
何ごとも最初はやってみせるのが肝心だ。子どもが使う低めの鉄棒の前に立ち、私は足を振り上げた。
あれ? ……回れない、おかしいな。高さが私の身長に合っていないのかもしれない。高めの鉄棒に移り、再び土を蹴った。どすん、思い切り振り上げた両足が、行きのカーブと同じ軌道をたどって、力強くそのまま地面に戻ってきた。できない、数十年の時を経て、逆上がりができなくなっているではないか。
まず、自分の身体を持ち上げることができない。足も十分上がらなければ、身体を鉄棒に引きつける腕力もない。自分の身体が重すぎて、これ以上無理をしたら肩が外れてしまいそう……なんてこった。
仕方ない、気を取り直して、娘の足側で待機して、蹴りあがった足を補助して鉄棒を超えさせる作戦に切り替えた。娘の軽い身体なら簡単だろう。
足をあげた娘の腰のあたりを押し上げる。力の入った娘の身体は、寝ているみたいにまっすぐになってずっしり重い。
暗い公園の片隅で、地面と水平になる娘と、それを両手で支えてふるえる母の図が繰り返される。眠くなった赤ん坊がぐずりだし、その日はお開きになった。
そして翌日、また夜の公園へ出かけた。昔、あんなに簡単にできた逆上がりだ。なんとしても教えたいと動画で勉強し、バスタオルを持って公園に向う。バスタオルで身体を支えて鉄棒から離れないようにして、一気に回る作戦だ。
でも、やはり。できない。
ビリっ。繰り返される練習で、負荷に耐えられなくなったバスタオルが破れた。何日くらい続けたのだろう、いろいろ試したが、結局、逆上がりはできないままだった。
親としては、「苦手なこともできるようになった!」という感覚を娘に知ってほしかったし、自信をつけてあげたかった。日ごろ、ただでさえ時間がなくて、娘とは十分関われていない自覚がある。せめて、彼女がSOSを出してくれたときには助けてあげてこそだろう。それができないなんて、私はなんというダメ親なんだ。
公園から家までの夜道を下りながら、どんどん情けない気持ちになる。うまくいかない仕事のあれもこれも、全部こんな自分のせいだと、闇に吸い込まれていく。
眠ってしまった赤ん坊を抱っこしながら、とぼとぼと歩いていると、娘がスキップしながら軽快に追い越していった。「わたし、いっぱいやれたから、大丈夫ってわかった」と。
短い言葉で、意味はよくわからなかったけど、街灯に照らされたその背中は、なぜか自信に満ちていて、なんだかすごく頼もしく光って見えた。
何度も練習したから、できないことにも納得したということなのか、がんばれる自分を知ったから大丈夫なのか、毎晩お母さんと一緒に練習できたことが嬉しくて満たされたのか、わからない。わかりはしないが、逆上がりはできなかったけど、彼女の中に何か「大丈夫」が生まれたことが伝わってきた。
「今度、届けるね」LINEを返す。
自転車、乗れるのかな。まあなんとかなるか。だって逆上がりの夜を知っているのだから。これから、自転車も一人暮らしのいろいろも乗りこなしていくんだろう。
私は、離れて横にいて、ずっと見守るのみだ。
***
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