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こんな所で死にたくない!


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記事:京 みやこ(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
「こんな所で死にたくない!」
2020年、3月17日フィリピンのマニラにわたしはいた。
 
2019年の年末。中国で怖い病気が発生しているというニュースが流れてきた時、わたしはマニラの日本語学校で教師をしていた。その時にはその病気がこんなふうに世界を恐怖に落とすような大事に発展するとは誰も思わなかっただろう。
すぐに収まるだろう、わたしもそう思って心配はしなかった。その時は遠い国の話だった。しかしあっという間にC O V I D−19(新型コロナ)は世界に広がり、2020年3月17日マニラはロック・ダウンされた。
 
わたしは、この言葉をマニラで初めて聞いた。同僚のフィリピン人たちが「ロック・ダウンが始まる」と怯えていた。わたしはその意味がわからなかったのだが、すぐにその意味を現実に体験することになった。マニラに入る高速道路や全ての道路は封鎖され、特別の証明書がなければ通ることができなくなった。マニラから入ることも出ることもできない。これは日本で言えば東京に入ることも、東京から出ることもできない、という意味で、広域的な仕事をしている人には困った状況であるが、わたしのような一般市民にはすぐに影響は出ないと思われた。そしてマニラから出る必要のないわたしにとって、マニラの境界線が封鎖されたことは、大通りの交通渋滞と車のうるさい警笛が全くなくなったというくらいの意味しかなかった。
 
しかしフィリピンのロック・ダウンは徹底していた。
 
もともと、フィリピンのマニラの住宅街はヴィレッジという塊で形成されていて、そこは塀で囲まれた1区画となっている。そのヴィレッジにはゲートが一箇所あり、そこにはセキュリティが常駐していて、彼の許可がなければ誰もそのヴィレッジに入れないシステムになっている。そのヴィレッジの住人以外は人も車も入れないことに一応なっているのだが、歩行者は結構自由に出入りができていた。
しかし、ロック・ダウンにより、出るのは自由だったゲートは全部閉められ、歩行者も証明書を見せなければゲートの外に出ることさえできなくなった。そして60歳以上、15歳以下の子供は、それも禁止され、住人の証明書があってもヴィレッジから出ることは許されず、家から出ることさえ1日の内、数時間と制限された。わたしは60歳を超えていたので、外に出ることはできず、そしてヴィレッジ内での散歩も、限られた時間のみとなった。
フィリピン保健省のH Pを毎日チェックした。マニラ内の各地域のコロナ陽性者の数が日々更新され、その死者は毎日鰻登りに増えていった。そしてわたしのヴィレッジにも陽性者が出始めた。
「STAY HOME」が強制され、学校もロック・ダウンと同時に全国で休校になった。家から出なければ、そしてヴィレッジの外に出なければ、コロナにはかからないだろう。そう思って安心しようと思ったが、2017年にマニラに来てからのわたしの体調が不安を煽った。
この3年の間に、わたしは熱ばかり出していた。そして熱が出ると入院沙汰になってしまっていた。フィリピン人でも数割の人しかかからない、デング熱にかかり39.5度の熱を3日間出して、入院したこともあった。
クラスの子が咳をしていると、すぐにわたしも風邪をひき、熱を出した。熱が出ると腰が抜けたようになり立ち上がれなくなり、その度に入院せざるを得なかった。
日本で岡江久美子さんが亡くなり、志村けんさんが亡くなったとのニュースはフィリピンにも届いた。
たとえ日本にいても、もしコロナに罹れば、家族から離され、隔離され、そして最期を迎えても家族に看取られることさえできない、それは同じだ。
しかし、しかしだ。コロナで死にたくない。
 
「フィリピンで死にたくない」
 
「こんな所で死にたくない」そう思った。
 
一度そう思ってしまったら、もう心の中で何かが止まらなくなってしまった。それまで家の中にいれば安全だと思っていたのだが、それさえも安全とは思えなくなった。そして知り合いが持ってきてくれた食べ物を消毒し、財布の中のお金を消毒し、ドアノブや床を消毒し、窓を閉めた。
 
しばらくすると、体や両足に蕁麻疹が出始めた。
 
その蕁麻疹は初めは痒いが、時間が経つと、赤黒く変色し、わたしのふくらはぎは何とも言えない様相を呈し始めた。
それはまるで、ゾンビのようだった。
 
「帰ろう!」そう決めた。
 
そう決めて、学校のオーナーに連絡した。コロナ前は、このヴィレッジのゲートを出たところに学校があるので、歩いて数分で学校へ行けたのだが、小銃を持ったセキュリティが見張っているゲートをわたしが出ることは法律的に許されないので、勤めている学校から迎えの車を出してもらい、それに乗ってヴィレッジを初めて出た。(学校の車は許可を持っているらしい)
学校で、オーナーはわたしのふくらはぎのドス黒い斑点を見て、「それはなんだ!」とびっくりして、帰国を許してくれた。
 
他国に帰る人はマニラを出て、飛行機に乗れるので、A N Aの航空券をとって帰れることになった。
そして2020年6月1日、わたしはマニラを立ち、羽田に降り立った。
 
その後の経過は皆さんもご存知のことだろう。外国から帰国した人は、公共交通機関を利用することができず、着いた日にP C R検査をし、陰性の人だけ、二週間ホテルで隔離されて過ごさなければならない。陽性者はもちろん隔離病棟へ連れていかれる。しかし、陰性者への二週間のホテル滞在は、もし守らなかったら逮捕されるというものではない。マスク着用も日本では法的規制があるわけではない。
 
しかし、フィリピンという国は全く違う。ここは法律で全てが規制され、それに逆らうと、法律違反として逮捕される。
ロック・ダウンのお触れと同時に、ヴィレッジのゲートは完全に閉じられ、小銃を持ったセキュリティによって、それが守られた。
 
帰国後、二週間のホテル生活にもかかわらず、わたしのふくらはぎのドス黒い斑点は消えていった。きっと精神的ストレスだったのだろう。
 
 
 
 
***
 
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2024-03-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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