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猛暑の夏に娘の髪の毛を切れない母の話


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記事:K子(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「本当にいいの? 元に戻せないけど」
手を繋いだ先の、小さな娘に向けて何度も尋ねた。
「いいの!」
母からのしつこい問いかけに、娘は飽き飽きした様子で答えた。
 
2023年の夏のある日。私は近所の美容院の前にいた。
髪を切りに来たのだ。
私ではなく、娘の髪を。
娘にとっては人生初めてのヘアカットだった。
 
2021年3月に産まれた娘は、春の花である「菜の花」から名前を付けた。
若い花の時代は、可愛らしく愛嬌に溢れた女性に。
そして花の時代が終わっても、菜の花が油や食料になるようにいつまでも人の役に立てる女性になってほしいという願いを込めた。
 
そんな娘は、春の可憐な花というよりは夏の力強い緑のようなしっかりとした髪の毛を持って産まれてきた。
2年間伸ばしっぱなしにしたその髪は、もう腰の長さにまで到達していた。
そしてやってきた、猛暑の夏。
「暑いから髪の毛を切りたい」と、ついに娘本人から言われて私はしぶしぶ美容院を予約したのだ。
 
「しぶしぶ」と書いた通り、私は娘の髪の毛を切りたくなかった。
切るのが、寂しくて仕方なかったのだ。
 
産まれてから一度もハサミを入れていない毛先の残った子供の髪の毛は「胎毛」と呼ばれる。
母のお腹の中で羊水から身を守るために毛穴からはじめて生えたその毛は、本当に細くて、柔らかでしなやかだ。
一度切ると、もう二度とこの細さの髪は生えてこない。
私にとっては、お腹の中にいるころから姿を変えないその毛先が、娘が私とかつてひとつの個体であった最後の証のように思えていた。
 
美容院の入口でいつまでももじもじしていると、中から受付の美容師さんが迎え入れてくれた。
予約の名前を伝えると、すぐに子供用の椅子に娘が案内された。
 
「どれくらい切りますか?」
美容師さんが、娘の後ろに立つ私に尋ねてきた。
ここまで来て、やっぱり切りたくないんです、とは言えない。
「七五三があるので切りすぎずでお願いします。あ、でも目が悪いので前髪は割と切ってほしいかも。あ、でも」
細かくて矛盾だらけのオーダーに、美容師さんはおそらく私があまり乗り気でないことに気づいたのだと思う。
「また今度にされますか?」
苦笑いで、そう聞かれてしまった。
 
私は娘を見た。
かわいいクマの柄が書かれたケープを巻かれて、「大人みたい〜」とはしゃぐ娘。
娘は、もう切る気満々だ。
 
「いえ、大丈夫です。切ってください」
私は、意を決して言った。
 
小さなクシで梳かされる娘の髪の毛。
そこに、ついに銀色のハサミが入った。
 
シャキ、シャキ、と軽快な音が鳴る。
腰まであった娘の髪は、あっという間に肩が隠れる程度に短くなった。
茶色いフローリングの床に、黒々とした娘の髪の毛が散らばった。
もう二度と生えてこない、細くてか弱い娘の毛先。
私のお腹で、娘が私とつながっていた最後の証。
 
「こんな感じでどうでしょうか?」
美容師さんの明るい声で目線をあげると、そこには毛先が綺麗にそろえられ、軽く内巻きにブローしてもらった娘の姿があった。
鏡ごしに、娘と目が合った。
 
わ、別人みたい。
そう思ったとき、気づいたことがひとつあった。
 
それは最近感じていた、娘へのイライラの理由だった。
 
 
何をしても可愛いだけの赤ちゃんの時代が終わり、娘が2歳を過ぎた頃から、私の中で娘に対するどろどろした暗い感情が芽生えていた。
愛嬌のある子になってほしいと、春の花の名前から名付けたにもかかわらず、娘はお世辞にも愛想の良い子ではなかった。
一般的には2歳頃には落ちつくと言われる人見知りは、落ち着くどころか酷くなっていた。
他人はもちろん、頻繁に会う祖父母にさえも、会ってから数時間は中々笑顔を見せてくれない娘。
祖父母への申し訳無さや、愛らしく振る舞えない娘へのがっかりした気持ちが私の中で溢れていたのだ。
 
しかしそれは、実は娘への気持ちではなかった。
私は、自分の分身のような娘に過去の自分の姿を見て腹を立てていたのだ。
学生の頃から、記念日のサプライズにうまくリアクションが取れなくて、恋人から「本当に嬉しいの?」と何度も聞かれてしまった、私。
社会人になってからも、大して仕事ができないのにニコニコして愛想がいいだけで皆の話題の中心になる同僚に嫉妬していた、私。
私は娘で、そんな過去の自分にリベンジしようとしていたのだ。
 
胎毛が切り落とされ、私という存在と完全に切り離された「まるで別人みたい」な娘の姿を前にして、私はようやく自分へのイライラの感情を彼女から分離することができた。
 
「すみません、ちょっと切りすぎましたかね?」
何も言わず黙り込む私に、美容師さんが少し不安げな顔をしているのに気づいてはっと我に返った。
 
「大丈夫です、綺麗に切ってくださってありがとうございました」
急いで、お礼を伝えた。
 
 
 
親と子、特に母親と子というのは、物理的に繋がっていた期間があるために精神的に分離することが難しい存在なのかもしれない。
しかし子供は、へその緒を離れた瞬間から親とは別の独立した存在だ。
親の過去のリベンジのために生きる訳ではないし、親の思い通りになる存在でもない。
 
私にとって娘の初めてのヘアカットは、そのことを改めて意識する儀式だったのかもしれない。
 
「ママ〜かわいい〜?」
首を振って軽くなった毛先を動かしながら、ご機嫌な様子の娘が聞いてくる。
私は、笑顔で答えた。
「よく似合ってるよ。次は、自分でどんな髪型にするか決めていいからね」
 
私が精一杯の願いを込めて名付けた愛しい娘。
でも、娘の人生は娘のものだ。
私のイメージした菜の花とは違う花かもしれないが、娘が娘らしく花を咲かせられる人生を歩んでくれればいいと思う。
 
 
 
 
***
 
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2024-03-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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