メディアグランプリ

疲れているときに考えてはいけない


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:久保田めぐみ(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
※この記事はフィクションです
 
あ、そろそろ視える。
あと15分で夜勤が終わる頃、重たかった頭が鈍痛に変わっていく。しばらくすると、口の中に甘ったるい唾液の感覚が広がってきた。痛いのと甘いの。このアンバランスな感覚に襲われたときが「視える」合図である。
視える、といっても霊感ではない。ただ、人の体の周辺に白い球体が現われるのだ。半透明のそれは人によって大きさも違っていて、ただゆらゆらとその人の周辺を漂っている。
一体何なのかわからない。日勤夜勤をくり返すホテルの仕事を始めてから、この現象が起こるようになった。
その人の寿命を表わしているとか、運命の人と同じ形をしているとか、そういうものだったらこの能力が活かせたのかもしれない。でもそうではなかった。疲れた時に私の視界を邪魔するもの。それだけの存在だった。
 
以前は、こんな得体の知れないものまで受け入れなくてはならないのか、と腹を立てたこともある。夜勤の仕事だって本当はやりたくなかった。小さな子どもがいる同僚や、親の介護を要する同僚は必然的に夜勤が免れる。独り身の自分が消去法で選ばれていくことは、選択肢がない理不尽さを感じた。
私だって、亮一と一緒にいる時間がほしいのに。
帰り支度をしながら、今頃私のアパートで眠る亮一のことを思い出す。出張先の撮影スタジオがうちに近いからと、ここ数日は私の家に泊まっていた。
「もう2年も付き合っているんだったら、一緒に住んじゃえば?」
友人たちからはそう言われていたが、踏み切れないのは私の方だった。お互いの部屋の合い鍵を持ってはいたが、いざ同居となると尻込みしてしまう。
これまでの恋愛経験が、傷跡のようにヒリヒリと痛むのだ。
喧嘩になりそうなときも「そういうこともあるよね」と、苦笑いして優しい彼女で居続ける。受け入れることが相手への優しさだと思っていたが、その優しさに寄りかかってくる男のどれだけ多いことか。
私の財布からこっそりお金を抜き取るようになった男。疲れているだろうと、相手の好物だった鰺の南蛮漬けを作って待っていた夜に、私の知らない女を抱いていた男。「お前のせいで仕事ができない」と、イライラしながら部屋を出て行った男。
こういう疲れている時に、今まで付き合ってきた人の嫌なところが思考に転がり込んでくる。
「早く家に帰りたい……」
帰りの電車は通勤ラッシュと重なって満員だった。人が多いと白い球の数も多くなって、視界がモザイクのようだった。
人混みと治らない頭痛に耐えながら、もう一度彼のことを思い出す。
亮一は一緒に住みたいのだろうか。
思えば、彼がそれらしい話をしてくれたときも答えを避けてしまっていた。彼とは会ったときから、自分が持っている傷跡と同じ種類の傷を持っている気がしていた。お互いの恋愛経験を話すことも多かったが、同情というよりも「あーそれ私も経験あるわ」と笑い飛ばせるような関係だった。
それでも。
今までの人とは違うと思いつつも、傷つきたくないと逃げてしまいそうになる自分がいる。亮一を信用していないというより、私が相手を信じる自信がなかった。本当は、私が逃げないように強引にでも繫いでおいてほしいのに。
 
家に着くと、部屋の奥で亮一が眠っているのが見えた。
小さないびきをかきながら、その頬の上に白い球体がのっている。
そういえば、亮一と一緒にいるときは球体が現われることが少ないように思う。一緒に出かけるときも満員電車に乗るときも、亮一が近くにいると白い得体の知れないもののことなんて忘れていた。だから、彼にこの能力のことを話したことはない。話をしたら気味が悪いと思われるだろうか。
もう一度亮一の顔を眺める。良い顔だな、と思う。眉毛は濃いが、目が小さくさっぱりとした顔つきをしている。男らしくない肌の白さや華奢な指は、私の好みだった。
「ぐぁぁぁぁ」
亮一のいびきが急に大きくなった。胸のあたりが大きく上下する。
「ぐぁ」っと短い音でのどが鳴ったのと同時に、頬の上の球体が、ぶるっと小刻みに震えた。
すると、頬にのっていた白い球体が、ひゅっと、亮一の口に消えていった。
「吸った!?」
一瞬呼吸が止まった亮一の喉は、再びリズム良いいびきをくり返す。
 
急に、くつくつと笑いがこみ上げてきた。
これって、吸っても害がないんだ。ていうか、吸うってありなの?
亮一に話したいことがどんどんこみ上げてくる。眠り続ける亮一の横で、必死に笑いをこらえた。
 
考えすぎだったのかもしれない。
寒い夜に、後ろから抱きしめられて眠る日がこの先も続けば、それでいいじゃないか。
亮一が作った辛すぎるスパイスカレーを並んで食べられる日が続けば、それでいいじゃないか。いいな、と思う瞬間を毎日積み重ねていけば、それだけでいいじゃないか。
亮一が目を覚ましたら、合い鍵を一つにする相談をしよう。
眠いのと、疲労感と、頭が痛いのと、口の中が甘ったるいのと、可笑しいのが一緒になって、このアンバランス感も悪くないなと初めて思った。
 
 
 
 
***
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2024-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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