寄り道は豊かな人生の近道かもしれない
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:湯川 玉葱(ライティング・ゼミ11月コース)
「それは、今日出せない。メニューに書いてあるものは大体出せない」
レストランでそんなこと言われたら、この店大丈夫か? と思うだろう。
いつ席を立ってもおかしくない状況だったが、私はひとまず会話を続けた。
それが人生を変えることになるなんて、その時は思いもよらなかった。
寂れていると想像しつつも、オフシーズン真っ只中のギリシャのロードス島に行ったのは、仕事の都合から仕方ないことだった。
ギザの大ピラミッドと並んで、世界の七不思議に数えられ、今はもうその姿を見ることができない港の戦士像があったとされるのはロードス島だった。
青と白のコントラストが世界的に有名なサントリーニ島や、連夜、セレブ達が踊り狂うミコノス島などと並ぶと地味な場所。それでも十字軍の騎士団長の館があり、中世好きにはたまらない世界遺産の島だ。
当然、世界中から観光客が来る。そして、町中の至る所にレストランがある。
年中無休も珍しくないサービス精神旺盛な日本からするとびっくりするほど、ヨーロッパのオンオフははっきりしている。
ハイシーズンにガッツリ稼いで、残りの期間を静かに過ごすらしい。
遅い時間に町の中心に着いた私は、ぐるりとひと歩きしてみたが、明かりが ついていて営業中の店は、たくさん看板が並ぶ中でも三軒だけだった。
二軒はテーブルに椅子をひっくり返して上げていて、ラストオーダーは終了! と追い返された。そして、路地にひっそりと佇む、古くから地元の人に愛されていそうなレストランになんとか入った。
狭い入り口から想像も出来ないほど、店内は奥へと広がっていて広く、それが余計に私一人だけポツンと座っている寂しさを際立たせた。
メニューを見ながら、前菜はこれかな、やっぱりギリシャはタコかな、などと色々思いを巡らせる。
そして、冒頭の言葉である。
「どういうこと?」と聞くと、
「今はシーズンでない上に、海が時化ていたので獲れなかった」のだと言う。
「じゃあ、何を頼んだらいいの?」
そんな問答をしているうちに、奥からシェフが申し訳なさそうに出てきた。
「普段出していない料理だが、今朝獲れた、割と良いスズキがあるので、それでもいいか?」
スズキは地中海ではメジャーな魚で、当時住んでいたフランスでも定番なのでせっかくギリシャまで来てスズキか、と思ったのが正直なところ。
しかし、他に目ぼしいものもないし、やっぱりシーズンオフはダメか、と諦めムードだったので、私はそっけなく「じゃあ、それで」と注文した。
待つこと十五分ほど。それから、私の天地はひっくり返った。
出てきたスズキはシンプルな塩焼きだったが、それまでに食べたスズキ、
いや、人生で食べたあらゆる魚料理を超越した一皿だった。
フランスだって美食の国を標榜する訳で、決して手を抜いていることはない。それでも、高級店で食べた料理よりも、地元の名店のスペシャリテよりも、
味わい深いものだった。
脂ののり、焼き加減、塩加減、身の締まり方。どれをとっても最高だった。
寂れた街で色々断られた挙句にやっとありつけた食事で、空腹だったからと言えばそうかもしれない。しかし、口に広がる味わいと多幸感は紛れもない事実だった。
一昔前のジャンプの漫画で、トリコという超人が摩訶不思議な世界を旅しながら、自分なりのフルコースにふさわしい逸品を集めて回るストーリーがある。
私の人生にとって、体験した最高の魚料理、が決まった瞬間だった。
人生は大いなる暇つぶし、と言う人がいる。
私はそれまで仕事を最優先してきた人間で、いかに大きな仕事を成功させるか、成果を残す為に限界まで挑戦するか、ばかり気にしてきた。
成功と言われるものは何よりも重要だと疑わなかった。
人生は金じゃない、人生を豊かに、と言う言葉は、レースを降りた人の言い訳だと思っていた。
高いから旨いとは限らないことは知ってはいたが、とりあえず最高の体験というのはお金を出して買うものだと思っていた。
その価値観があんなに一瞬で、一撃で崩れ去るとは思ってもいなかった。
しかも誰からも諭されることなく、一口の体験だけで。
「今までで食べた中で一番美味しかった魚料理は」
というと、最近では携帯を取り出して、さっそく検索しようとする人が多い。
自分もその味を食べてみたい、と好奇心を持って私の話を聞いてくれるのはありがたい。しかし、ギリシャで、と言い始めると、がっかりするのか、呆れたような表情で話題を逸らす人も少なくない。
SNS全盛の今日、再現できること、共感できることは最大の経済価値を持つ様になった。
何事も数字で表現出来るし、優劣がつけられる。そして常に見えないプレッシャーに晒される。誰かの上げた、失敗しない体験を追体験しようとする。
あの味を再現することは二度と出来ないのだろうけれど、きっと死ぬ時にあの時のスズキの塩味を思い出すのだろう。
再現できない。いいね、の数で表現できない。同じ条件を揃えてもきっと同じことは起こらない。あえてそんな思い出がある方が幸せではないかと思った。
そんな人生のちょっとしたページを、私はあと何枚増やせるだろうか。
***
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