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ビデオには映らない、意図しなかったもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:うさごろう(ライティング・ゼミ9月コース)
 
 

「あなたは報道カメラマンです。目の前でおぼれている人がいたらどうしますか?」
 
「助ける」
 
私は即答した。大半の人がそう思うであろう。
 
ところが、ここではこれは不正解だった。
 
ある報道カメラマンの適正審査においては、
「そのまま撮り続けます」 というのが適性とされるというのだ。
 
これは、撮影には冷静さを要する、と言う趣旨の話の一環で出てきた話題だったのだが、
 
そういう世界があることに衝撃を受けた。
 
なぜこんな話になったのか、それはたぶん当時、私が自分の撮った映像に落胆していたからだ。
 
もともとカメラは得意でなかった私が、撮ることに興味を持ったのは子供きっかけだった。
 
里帰り中は、日に日にかわる新生児の顔を収めたくて毎日写真を撮っていた。
 
当時のスマホは、今よりだいぶ性能が落ちるので
撮る時はスマホではなく、カメラやビデオだった。
 
カメラが得意でない私にとっては、カメラやビデオを持つだけでも特別な行為だったので
 
「新しいおもちゃを手に入れた」と揶揄されても仕方ないくらい浮かれていた。
 
さらに子供の成長という感動が加わるので、撮ったビデオにはいつも私の歓声が入っていた。
 
夫はそれを茶化してきたが、写っていれば何の問題もないでしょう、とは言い返せなかった。
 
そこに映っていたのは、画面酔いのする、子供の声は歓声でかき消された、お世辞にもうまいとは言えない映像だったからだ。
 
いつも仕事で子供の様子を見ることができない夫は、さぞかし映像をみるのを楽しみにしていただけに私の声はさぞかし邪魔だったのだろう。
見返した本人までそう思うのだからたぶん間違いない。
 
今なら認める。私のカメラワークはひどいものだった。
 
しかし、当時の私は何故かかたくなにハイテンションスタイルを守り抜いていた。
撮るうちに上手くなるだろうという淡い期待もあったし、そうやって撮ることも楽しかった。
 
私は、まるで念写ができるとでも言わんばかりに、自分の目がレンズになったような気持ちでカメラワークをした。
 
それは、あの一世を風靡したホラー映画の原作の読みすぎだし、ビデオカメラという新しいおもちゃを過信しすぎていたせいである、そう今ならいえる。
 
当時の私は、カメラマンの適性はおろか冷静さのかけらもなかった。
 
そんな中、小学1年生になった娘は、うんどう会の前日に、
 
「今度のうんどう会、馬とびが見せ場だから、絶対に撮ってね」
 
目を輝かせながら、私にそういった。
 
私は、もちろん撮る気満々だった。
撮影場所もよい位置が確保できて、
演目が始まる前から気分は上々だった。
 
こいうときは、目に入るものすべてが3割増しになりがちである……
 
演目がスタートすると、子供たちは動物に扮し踊り始めた。
 
みんなまだ小さくてかわいいな。
 
そう思っていると、視界の端に朝礼台で指揮をとっている担任のうら若き先生の姿が目に入った。
そして視界の端の先生は、なんとゴリラのモノマネを始めた。
 
それがまた本物と見紛うくらいの完成度の高いゴリラで、
 
私は視界の端のそれが気になって仕方なくなってきた。
 
そのうちにどうしてもそのうら若きメスゴリラをカメラに収めたくなった。
 
一瞬でも、と思いカメラを朝礼台の方に振った。
 
よりによってその瞬間、
 
娘は馬の上を軽やかに飛んだ。
 
私が大失態に薄々気づいたのは、うんどう会がおわって映像を見返したときだった。
 
その事実が発覚したとき、娘は落胆のあと、烈火の如く怒ったのは言うまでもない。
 
念を押してまで楽しみにしていた映像が、まさかの先生メスゴリラに取って代わられたのだから、無理もない。
末代まで祟りそうな勢いの娘を前に、
私はまるで浮気を責められたオスゴリラ気分で、
さっと謝ったあとは、ひたすら笑ってごまかすしかなかった……
 
この一件があってから、私はようやく、自分の腕を疑い始めた。
そんな中での、報道カメラマンの適性検査の話は、
冷静さの必要性と記録を撮るという認識の欠落に気付かせてくれた。
 
娘はあのときの悔しさをバネにしたのだろうか、私の映像がマシになった頃には、
自分のスマホを駆使しメキメキと撮影の腕を上げ、
高校でもカメラ部に所属する執念……いや、熱の入れようだった。
 
娘が撮っているのを見ていて不思議なのは、いつシャッターボタンを押しているのか分からないのに、よい写真が撮れていることだった。
 
同じ風景を見ているのに、そうしてこうも違うものなのだろうか?
 
どうやら、シャッタスピードが速いこと、印象的に感じた時点で、画角も瞬時にきまって撮ってるのことが分かった。
 
自分の撮ったものを改めてみてみると、画角の迷いや、あれこれ欲張っている様子がなんとなく映像にも出てしまっていた。
 
そういう視点で見だすと過去に私が撮ったものなどすべてボツに思えてくる。
 
結局、肉眼でも子供たちの姿を見られず、撮った映像もろくなものがない私は一体何をしていたのだろう?
 
そう落胆しかけたとき、あることに気付いた。
 
ライブには臨場感が付きものだが、
よほどいい設備でない限りなかなかそれを映像で再現するのは難しいだろう。
 
しかし、記憶というのは、ささいなきっかけで臨場感をもって呼び起こされることがある。
風景をみたとき、懐かしい匂いを偶然嗅いだ時、なにげない会話の最中、
など意図せず呼び起こされることがある。
 
それなら、私が撮った映像にも残ったものがある、
それは笑える思い出だ。
 
この映像を見るたびに、大事なシーンが写っていないというアクシデントが思い出され笑いが起こるのだ。
 
そうやって、私がきれいにまとめようとしていると、背後に圧力のある視線を感じた。
 
そう、忘れてはいけない、
私のカメラの腕前を疑いもせず、見せ場の馬とびを撮ってもらうのを楽しみに目を輝かせていた小学1年生の気持ちをいまも引きずる娘のことだ。
 
今でも娘は、この映像を見ると当時の落胆を思い出し、末代まで祟る勢いで、
 
私は、あの後ろめたい感じが蘇り、また笑ってごまかす。
 
いつの時代も、このやり取りが臨場感たっぷりに繰り返される。
 
これを、ただの失態にせずに笑いにしてくれている周りにも実は感謝である。
 
それに最近では、意図せずおまけも付いた。
 
「それにしても、あんな全力でゴリラのマネをしてくれる担任の先生は、素敵だったよね」
 
と言って当時の私に共感してくれる娘の発言である。
こんな形で成長を楽しめるなんて、まったく意図しなかったことである。

 
 
 
 
***
 
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