やらなかった後悔の大きさはどう測るのか?
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:あき(ライティング・ゼミ9月コース)
やった後悔より、やらなかった後悔の方が大きいと言うけれど、本当にそうだろうか? タイムマシンで、何がなんでもその時に戻って、「そうじゃない」選択をしたいと渇望するほど痛みを伴うものを後悔と呼ぶなら、どちらも同じ傷を人生に刻むのではないだろうか。
私の人生でたった一つの後悔を思い出すたび、30年経った今でも体から力が抜けてしまいそうになる。
それはやってしまった後悔であると同時に、やらなかった後悔でもある。
記憶の中で、ソファの上に横たわって、辛そうにしている母の姿が鮮明に蘇る。
「ただいま! 遅くなってごめん。今すぐご飯作るからね!」カバンを玄関に置きっぱなしにして、食材の入ったビニール袋を抱えて台所に突進する。そして、一番簡単に作れそうな、栄養のありそうなものを食卓に出すのが日課だった。中華鍋に野菜や肉を放り込んで炒めることが多かったように記憶している。
あの頃は、とにかく余裕がなかったのだ。母の病、手術、入院、抗がん剤治療と、それまでの呑気な生活から一転して、不安と心配を抱えて過ごす毎日。私もまだ働き始めて日が浅く、仕事での緊張も大きかった。焦って帰る電車の中で買い物と料理の手順を考え、夕食の後に翌日の母の食事の準備をする――そんなルーティンだったと思う。
抗がん剤の副作用に苦しむ母に、何もしてあげられない無力感と焦りを感じながら、中華鍋を振り続けた。自分の料理が母の辛さを少しでも和らげると信じたかったからだ。レパートリーも少ない私の料理を、母は文句ひとつ言わずに食べてくれた。
最善を尽くしたつもりだったから、母が亡くなった時も、後悔はなかった。
ところが、本当にそれでよかったのかと悩んでしまう時が来た。料理教室で、食材の選び方、切り方、火の通し方や食べ合わせ、体への影響などについて習った時だ。
料理教室で教わったきんぴらの作り方は、驚くほどシンプルだった。ごま油を少し熱し、ごぼうの上に蓮根とにんじんを置いてを弱火でゆっくり動かさずに炒め、最後にほんの少しお醤油を入れて蒸らすだけ。「素材の甘みが引き立つでしょ? 素材の味を活かすには、余計なものを足さないのが大事なんです」と先生が笑顔で言った通り、じんわりと野菜の味が口に広がる。調味料をほとんど使わずに、こんなに美味しい料理ができるなんて。
その時、気づいてしまった。焦りに任せて中華鍋を振り続けていたあの日々の料理が、母の体にどれだけの負担をかけていたのかということに。
私、なんてことしちゃってたんだろう! 母の体が必要としていたのは、油の多い炒め物や消化に時間のかかる肉料理ではなかった。私の料理は、母の体には負担だったんだ――
あの時このきんぴらを作れていたら、母はもう少し楽に過ごせたのかもしれないのに、と胸が詰まった。
せっかく料理教室で手にした体に良い食事を作る知識も、実践しなかった。「あの時の母にこれを食べさせたかった」という思いが湧き上がり、手が止まってしまうこともあったし、母にはいい加減なものを食べさせていた自分が、自分のためにとことんこだわって料理をする気になれなかったのだ。
間違った料理を作り、必要な料理を作れなかった――背中合わせの「やってしまった後悔」と「やらなかった後悔」が胸を締めつけた。しかし、5年後に誕生した姪によって、まだその時は知らなかったけれど、私の後悔の傷が癒され、新たな希望に変わり始めたのだ。
姪に料理を作るために、開かないままになっていた料理教室のテキストを本棚から取り出した。有機野菜を買い求め、食品ラベルも必ず確かめるようになった。姪の体をつくる食材だからこそ、慎重に選びたかった。命が育っていくという明るい希望に満ちた雰囲気の中で、料理に向き合った。
カボチャのペーストを口いっぱいに頬張り、人差し指で頬を触る「美味しい」のベビーサインを送る姪の小さな指。それを見た時、まるで母が「これでいいのよ」と優しく私の頭を撫でてくれるように感じた。きんぴらを初めて食べた彼女が言った「おかわり!」は、小さな命の力強さそのもので、私の心を満たしてくれた。
私の料理を美味しそうに食べる姪の無邪気な笑顔が、記憶の中の母の辛そうな顔を上書きしていく中で、気づいたことがある。母に作った料理は間違っていたかもしれないが、「健康でいて欲しい」と料理に込めた思いは、姪のために料理をする時と変わらず、真摯なものだったということだ。
そして、料理をする基本の姿勢を教えてくれたのは、他ならぬ母だったことも思い出した。
「お味噌汁にお味噌を溶かし入れる時は、他のことを一切やめて集中するのよ」
「どうして?」
「食べた人に伝わるから。全部を丁寧にすることは難しくても、お味噌汁だけは丁寧に作りなさいね」
見えなくても、作った人の思いは料理の一部なのだ。
「シワが寄らないように、たっぷりの煮汁で」と、母の手書きのレシピで作る黒豆を、姪に毎年「お正月には絶対作ってね!」とリクエストされるたび、母から姪へ、そして未来へと何か大切なものが繋がっていく気がする。
やったことの後悔も、やらなかったことの後悔も、大切な学びを秘めているという点では、変わらない。母への後悔は姪への思いやりにつながり、それが私の癒しになった。だから、後悔することを怖がらず、後悔が次の一歩を踏み出す力に変わることを信じたい。
母は私の野菜炒めに込めた「どうか元気になって」という祈りを受け取って、生きてくれた。心の底からそう思える日が、いつかきっと来る。
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