下からも、上からも、水祭り。
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:としあん(ライティング・ゼミ3月コース)
ミャンマーの新年を祝う水祭り「ティンジャン」の真っ只中、俺は寝台列車に揺られていた。駅に停車するたび、窓の外で待ち構えていた子どもたちが歓声を上げ、一斉に列車へと水を浴びせかける。水鉄砲やバケツ、ホースを使い、とにかく無邪気で容赦ない攻撃が続く。窓から入り込む水で車内はすぐに水浸しだ。濡れたシートや床からは生乾きの匂いが漂い、服は肌に張り付いて気持ちが悪い。髪から滴がポタポタと垂れてくる。
そんな状況でも、俺の隣ではミンさんが楽しそうにケラケラと笑っている。ミンさんは四十歳前後のミャンマー人で、日本に留学経験があり、片言の日本語を話す。くだらない冗談が大好きで、何につけても「らいじょーむ!」と陽気に口にする。びしょ濡れになった俺を見て、「らいじょーむ、らいじょーむ!」と訛り混じりの「大丈夫!」を繰り返し、肩をすくめて笑った。
「暑いんだから、これくらいがちょうどいい!」と言いたげな表情に、俺は異文化体験の面白さを実感していた。不快感というより、むしろ冒険の醍醐味として、この状況を楽しんでいたのだ。
周りの乗客たちも皆、笑顔で水かけの洗礼を受け入れていた。祭りの陽気さが列車内いっぱいに広がっている。
ミンさんとは首都ヤンゴンで知り合い、ミャンマーの古都マンダレーまで同行することになった。マンダレーまでは10時間の寝台列車の旅。飛行機という楽な選択もあったが、あえて現地の移動手段を選んだのは、リアルな現地感を味わいたかったからだ。
だが、この先には試練が待ち構えていた。
とある小さな駅に着くと、食べ物を売る青年が列車に乗り込んできた。簡易的なワゴンには紙皿に盛られたライスとカレーのルーが並んでいる。ミャンマーのカレーは美味しく、ちょうどインドとタイの中間のような味わいだ。
腹が減っていたので、火が通っていれば大丈夫だろうと、俺はミンさんと二人分のカレーを頼んだ。ミャンマーでは手で食べるのが一般的だが、ワゴンにはスプーンもなく、車内には手を洗う場所も見当たらない。多少汚れた手で食べることになるが、それくらいの覚悟はしていた。
青年は紙皿を二枚用意し、ライスを盛った。さらにドロッとしたルーを上からかける。俺が受け取ろうと手を出すと、青年は「任せろ」とでも言うような笑顔を見せた。その意味が分かった瞬間、俺は凍りついた。青年はさっき俺が渡した現金を触った手で、カレーとライスをぐちゃぐちゃと混ぜ始めたのだ。丁寧に、しっかりと。
固まる俺に「さあ、出来上がり!」と満面の笑みで青年は皿を差し出す。俺は苦笑しながらそれを受け取り、席に戻って途方に暮れた。
ミンさんはそれを見て、「うまそうだ」と言わんばかりに嬉しそうだ。
日本では、料理を取り分けるとき、他人の食べ物に直接触れないよう気を遣う。しかしここでは、こうやって「混ぜてあげる」のが親切の証らしい。
ぐちゃぐちゃになった「手ごねカレー」を前に、俺は一瞬戸惑ったが、意を決して指先で混ぜ残しと思える部分をそっと摘んで口に運ぶ。味など分かるはずもなく、頭に浮かぶのはあの手の感触とぐちゃぐちゃという音ばかりだ。
結局ほとんど残してしまった。それを見たミンさんが驚くので、「腹がいっぱいだ」とごまかす。するとミンさんは、もったいないと言わんばかりに俺の皿の残りを平然と平らげてしまった。
夜半、その報いはやってきた。腹に鋭い痛みが走り、嫌な汗が吹き出す。揺れる暗い通路をトイレに駆け込み、寝台列車の不安定なトイレにしゃがんだ瞬間、体内のすべてが激しく噴き出した。
昼間浴びた水が体内から逆流するような錯覚を覚えながら、俺は狭いトイレで呻き声を抑え続けた。何度も寝台とトイレを往復し、ようやく明け方になって落ち着いた。
その国には、その国なりの「親切のカタチ」がある。頭ではわかっていても、実際にその“親切”を受け取るとなると、簡単じゃない。
ぐちゃぐちゃに混ぜられたあのカレーだって、青年にとっては精いっぱいの「おもてなし」だったのだろう。彼は、自分の手で丁寧に混ぜることで、相手にとってより美味しいものになると信じていたに違いない。日本では考えられないその行為も、ここでは自然で、ごく当たり前のことなのだ。
わかっていても、戸惑う。それでも、「郷に入れば郷に従え」と言い聞かせ、受け取ろうとする自分がいた。どこかで“自分の常識”を緩めていく感覚。それが旅というものかもしれない。
夜中、腹を抱えてトイレに駆け込んだとき、さすがにその「親切」にやられたと感じた。でも不思議なことに、苦しみのさなかに浮かんでくるのは、あの青年の笑顔や、ミンさんの「らいじょーむ!」という能天気な声だった。
上からも下からも容赦なく水を浴びながら、人のやさしさについて思いを巡らせた。気づけば、あれもこれも、全部ひっくるめてありがたかった。
たっぷり濡れて、たっぷり笑って、たっぷり出した旅。
それは、ちょっと強めの“浄化体験”だったのかもしれない。
***
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