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自炊が最高のソリューションである


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:塩田健詞(ライティング・ゼミ5月コース)
 
 
「お疲れ様です! 乾杯!」
一体、何の疲れへのねぎらいだろうか。
そんなことを思いながら、私はストロー付きのソフトドリンクをちびちびと飲む。
視線の先では、友人たちがビールの入ったグラスを高々と掲げていた。
浅草のホッピー通りや北千住の飲み屋横丁では、こんな光景は珍しくない。
程よい下町感が、彼らの口調を少し乱暴にさせている気がした。
愚痴や恋愛話が飛び交うテーブルで、私は相槌を打ちながら頭の片隅でつぶやく。
「食費、やばいな……」
ありがたいことに、私は人付き合いが多い方だ。
小中高大の同級生、職場の同僚や先輩、地域で知り合った仲間たち。
誰かしらから食事に誘われ、断りきれずに参加してしまう。
楽しいはずの時間なのに、毎月の予算は気づけば軽くオーバーしていた。
「これじゃまずい。節約しないと……」
固定費の見直しはもう済ませた。残る選択肢は、そう多くない。
そうだ。自炊してみよう。
 
まずは近所のスーパーへ向かう。
今日のメニューはカレーライスに決めた。
肉と野菜、カレールーをカゴに入れる。
なんだか自分が“料理のできる大人”になった気がして、少し誇らしい。
肉のコーナーに差しかかると、ふと思った。
「実家のカレーを再現してみよう」
母のカレーには、必ず牛肉が入っていた。
きっとおいしいものができるだろう。
しかし、その瞬間、現実に引き戻される。
「こんなに高いのか……」
牛こま切れ肉、100gで500円。
食品トレイをそっと棚に戻し、数歩先にある100g80円の鶏胸肉に手を伸ばす。
「これでいい、いや、これがいい」
小さく呟きながら、心の整理をつけた。
世間知らずだった自分を痛感したのは、このときだけではない。
帰宅後、包丁を握り、まな板の上でコロコロ転がるジャガイモと格闘。
カレールーの裏に書かれたレシピとにらめっこしながら、野菜を炒めていく。
ところが、少し目を離した隙に玉ねぎが焦げはじめ、部屋に広がる香ばしい匂い。
(いや、これは香ばしいどころではない。)
 
「もういい、進めてしまえ」
半ばノリと勢いで、焦げた玉ねぎもそのまま鍋へ。
夢中で肉と野菜をかき混ぜながら、なんとか形にしていった。
そして出来上がったカレーは――
 
驚くほど、うまかった。
 
驚いたのは、カレーの味だけではない。
自炊を始めた理由には、もうひとつ大きな目的があった。
 
「自信を取り戻したい」
これだった。
 
あの頃、私はうつ病を患っていた。
苦手な仕事を任され、毎日をこなすだけで精一杯。
気づけば時計の針は22時を回り、それでも仕事は終わらない。
明日もまた同じように仕事が待っている。
 
「怖くて眠れない」
「同じ係の人に迷惑をかけたくない」
「他人が怖い」
 
一日中、暗闇の中にいるような感覚だった。
ついに身体が動かなくなり、私は病院で診断書を書いてもらい、休職することにした。
 
「もう仕事に復帰できないのではないか」
そんな不安が頭を支配する。
昼の12時までベッドから出られず、夕方になってようやく少し動ける。
この状態で、朝8時半から働く生活に戻れるだろうか。
いや、戻れたとしても、以前のように成果を出せる自信なんてない。
 
「できていたことが、できなくなる恐怖」
これは経験した人にしか分からないだろう。
だからこそ、どんなに小さなことでも「できる」を積み上げるしかなかった。
 
そのひとつが、カレー作りだった。
 
できあがったカレーを前に、私は涙を流した。
今までなら、カレーは外で食べるもの。1杯1,000円払って、店で注文するのが当たり前だった。
それが今日は、500円で4杯分のカレーを自分の手で作り上げた。
 
私は、ふたつのことを成し遂げた。
ひとつは、課題だった「食費を抑える」こと。
もうひとつは、「自分ができることの幅を広げる」こと。
 
社会に見捨てられたような不安と冷たさを感じていた日々。
その中で、カレーの温かさが、身体だけでなく、冷え切った心までじんわりと温めていく。
スプーンですくい、口に運ぶたび、嗚咽が漏れた。
 
空になったカレー皿を見つめながら、私は考えた。
 
「なぜ、ここまで感情的になれたのだろう」
 
それは、カレーを作っている間、私は“社会”という巨大なものと向き合わずに済んだからだ。
職場の人間関係も、評価も、将来への不安も、この台所にはなかった。
ただ、食材と自分。モノと人。
二者しかいないこの小さな空間で、私は自分という存在を少しずつ再定義していた。
 
自炊は、単なる節約術や生活スキルではなかった。
心のリハビリであり、生活を取り戻すための最高のソリューションだった。
 
そして何より、自炊は私に教えてくれた。
 
「まだ私は、この世界で生きていける」
そう思える時間が、確かに存在することを。
 
 
 
 
***

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