積読はどんぐり
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:小林こば。(ライティング・ゼミ名古屋会場)
本棚に並んだ未読の本を見て、少しだけ後ろめたさを感じる。買ったのに読んでいない。読みたいと思って手に入れたのに、そのままになっている。背表紙だけが整然と並び、どれもこちらを見ているようで、ほんの少し責められている気がする。
本が好きだ。
もう少し詳しく言うと、本を買うのが好きだ。
正直に言うと、読むのはあまり好きではない。
この告白は、たいていの人にとって少し奇妙に聞こえるらしい。本が好きなのに読まないなんて矛盾している、と。でも自分の中ではそれほど不思議なことではない。読むことに対して身構えてしまうことはあるが、本そのものに対しては強く惹かれる。
書店に並ぶ無数の背表紙を見ていると、「これはいつか必要になるはずだ」という直感が働く。その感覚に従って、本を手に取り、買う。
最近は Amazon でワンクリックすれば翌日に届く。昔のように書店で迷い、持ち帰る重さを感じる必要はない。この手軽さは危うさを含んでいる。思いついた瞬間に買えてしまうため、「いつか必要になるはずだ」という予感だけで、本はどんどん増えていく。
「また買ったの?」
そう言ったのは、部屋の入口に立っていた息子だった。制服のまま、少し呆れたような顔をしている。僕は苦笑しながら頷く。
「読むつもりではいるんだけどね」
「その“つもり”の本、何冊あるの?」
「……数えるのはやめておこう」
息子は軽くため息をついて、本棚を見渡した。
「それって、積読ってやつでしょ。結局、無駄じゃないの?」
その言葉に少し引っかかりながらも、僕はすぐに反論できなかった。確かに、読まれない本はただの紙の束とも言える。でも、ふと頭に浮かんだイメージがあった。
「いや、リスのどんぐりみたいなものだと思うんだよね」
息子は首をかしげる。
「どんぐり?」
「リスって冬に備えてどんぐりを集めるでしょ。でも全部食べるわけじゃない。忘れることもあるし、結局使わないものもある。それでも集める」
息子は少し考えてから、「ふーん」とだけ言った。
積読も同じなのだと思う。本を買うという行為は、「いつか必要になるかもしれない」という予感に従うことだ。今すぐ読むわけではない。でも、未来のどこかで、その本が必要になる瞬間が来るかもしれない。そのとき、手元にあるという状態を作っておく。それが積読なのだ。
仕事部屋の本棚は、さらに存在感を増す。床に平積みされた本、机の端に寄せられた本、読みかけのまま栞が挟まれている本。かつてはそれを見るたびに、妻が少し呆れた顔で言っていた。
「ちゃんと読むの?」
「読むよ、そのうち」
そんなやり取りを何度か繰り返したあと、妻は呆れて僕に注意をしなくなった。注意しても減らないと分かったのだろうし、もしかすると、これはもう一種の習性なのだと理解したのかもしれない。
積読の効用は突然やってくる。ある日、ふと本棚から一冊を取り出す。特に理由はない。ただ、目に入ったから手に取っただけだ。ページをめくると、思いがけず心に引っかかる。今まさに欲しかった一文に出会うことがある。そのとき、小さな感動を覚える。「ああ、この本、今読むためにここにあったのか」と。
その感覚は、狙って得られるものではない。むしろ、忘れかけていたからこそ訪れる偶然に近い。まるで土の中に埋めておいたどんぐりを、ちょうどいい季節に掘り当てるようなものだ。
「でもさ」
息子が少しだけ疑問を持ったように口を開く。
「全部は読まないんでしょ?」
「うん、たぶんね」
僕は軽く笑った。
「でも、それでいいと思う。リスだって全部食べるわけじゃないし、むしろ忘れたどんぐりが芽を出して、森になることだってある」
息子は少し考えてから、「まあ、なんか分かる気もする」と言った。完全に納得しているわけではないが、さっきまでの否定的な表情は少し和らいでいる。
もちろん、すべての積読が読まれるわけではない。忘れられる本もあるし、本棚に残ったまま役目を終えるものもあるだろう。それでもいい。大事なのは、必要なときに取り出せるだけの蓄えがあることだ。
積読は、可能性を手元に置いておくためのものだ。その中には、いつか出会う一冊が眠っている。
リスが生存戦略としてどんぐりを集めるように、僕にとってのそれもまた生存戦略なのだ。たとえ買ったことを忘れてしまっても、未来のどこかで、きっとその意味が立ち上がる。
だから僕は、今日も本を積み上げていく。いつかそれが芽を出し、小さな森になることを願いながら。
《終わり》
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