語り部として生きて行く《週刊READING LIFE Vol.370「芸術の秋 」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
『戦争を語る人が少なく為っている』
毎年夏に為ると、マスメディアでよく聞かれる言葉だ。
日本の戦後が始まり、80年余りが過ぎて仕舞った。
8月15日を“終戦記念日”とする日本では、毎年夏に為ると‘国民総懺悔’とでも言いたくなる雰囲気に包まれる。
同じ8月の6日・9日に原爆碑も在るので尚更だ。
他方で、1945(昭和20)年以降、交戦状態に為った経験のない日本に於いて、戦争や戦災を体験した方々は、確実に数が減っている。体験者は、高齢者ばかりなので、当然のことだ。
先日も、10歳の時に長崎で被爆した美輪明宏さんが91歳で亡く為り、私は、
『嗚呼また、貴重な話をして下さる方が天に召された』
と、考えていた。
謂わば、戦後二世(1959年生まれ)の私は、或る後悔が残って居る。
それは、明治時代のことを当時の高齢者から余り伺えなかったことだ。
昨年の日本は、“昭和100年”に当たる記念の年だった。昭和を半分以上活きた
六十代後半より上の世代が、依り持ち上げて居た様な気がする。私のその一人だ。
理由として考えられるのは、その世代は子供の頃“明治100年”と為る1968(昭和43)年の記憶が残って居るからだ。
その際、歴史を伝えることに慣れていなかった明治の方々から、色々な教えを聴き逃した後悔が残って居るのだ。
だから、確りと記憶が残る昭和を語り継ごうと、“昭和100年”を盛り上げた節が有るのだ。
同じ流れで先月、こんな事を想い出した。
『7月4日は、何の日?』
昭和の時代に、よくクイズ番組で出題されて居た問題だ。
答えは勿論、『アメリカ合衆国の独立記念日』だ。
子供の頃から映画フリークだった私は、この答えも映画から学んだ。
先に申して置くが、学んだ作品は『7月4日に生まれて』ではない。この作品は、1990年に日本で公開されたからだ。
私が映画で、アメリカ合衆国の独立記念日を知ったのは、遥か昔の1971年のことだ。然も、私がその映画を観たのは、映画館では無くテレビ放映でのことだ。
何故、そう断定出来るのかと謂うと、映画のテレビ放映ならではの事情があったからだ。
1970年代は、テレビのキー局の何処かで、連日必ずと謂って良い程映画を放映していた。その頃のテレビ局は、地上波しかなく、その上、日本語声優に依る吹替放映が常だった。
バイリンガル(二か国語)放映は、1970年代後半から。BS局は、1980年代に為ってから開局された。
更に続けると、ゴールデンタイムの二時間枠と謂う地上波での映画放映は、CM等を除くと、映画の上映時間は正味、1時間35~38分しかなかった。
即ち、多くの外国製映画は、必ずと謂って佳い程、部分カットされ、出演している俳優(外国人)の声は、テレビ電波に乗ることは無かったのだ。
それでも、その方法でしか昔の名作を観ることが出来なかった私達は、夢中でテレビの前に陣取ったのだ。それも、リアルタイムで。
何故なら、録画用ビデオデッキは、有るには有ったが大変高価だったからだ。
1971年9月の事、或るキー局の番宣が騒がしく為った。
大ヒット映画『大脱走』(1963年アメリカ映画)が、史上初めてノーカットでTV放映されるというのだ。
それ迄、オンタイムでロードショーを観た世代から、
「『大脱走』は、面白いぞー」
と、まるで悪戯っ子のセリフみたいに聞かされていた僕等は、
「これでやっと、スティーブ・マックィーン(主演)が全編観ることが出来る!」
と、沸き立ったものだ。
何でも、そのキー局の秋の改編(10月以降)の目玉として、これからは名作映画を、数多く全編放映する方針とのことだった。
方法としては、前・後編と二分割して、二週に亘って放映する訳だ。令和の現代からすると当たり前の話だが、半世紀以上前の日本では画期的な企画だったのだ。
前・後編の第一弾として『大脱走』が選ばれたのだ。『大脱走』の上映時間は173分。テレビの二時間枠2回分として、丁度いい長さだ。
初の前・後編で放映された『大脱走』。
その前半のクライマックス近くに、こんなシーンが有る。
第二次世界大戦末期のドイツ領内捕虜収容所に集められた連合軍兵士の中に、三人のアメリカ空軍兵がいた。
その三人は或る時、地元ドイツのジャガイモを集め始める。訝し気に見る周りを他所に三人は、密造酒(日本風に言えば芋焼酎)を作り始める。
或る朝、三人は、御手製の笛と太鼓、そして小さな星条旗(アメリカ国旗)を掲げ、収容所内を行進する。
そして、出来上がった芋焼酎を、独立元である英国兵士に振舞うのだ。
その際、英国人捕虜のリーダー(この人が、脱走の首謀者)が、カレンダーを一瞥し、
「そうか! 今日は7月4日だ」
と、声を上げる。そして、勇んで御手製の芋焼酎を取りに並ぶのだ。
S・マックィーンは、酒を取りに来たリーダーに向かって、
「イギリス、糞喰らえ!」
と、冗談めいたセリフを言う。
リーダーは、英国紳士らしく、
「独立記念日、おめでとう!」
と、冷静に言葉を返す。
捕虜収容所からの脱走劇と謂う、ややもすると緊張感と悲壮感に占められそうな作品だが、このシーンが有る御蔭で、暫しの和みと為った。
そして私は、映画『大脱走』の御蔭で、
『7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日』
と、記憶に残した。
日本の“建国記念の日”と、表現が違うことも印象に残った。
その様に、映画を中心にアメリカ文化を浴び続けた私は、『大脱走』の5年後、更に印象に残るアメリカ合衆国独立記念日を迎えることと為る。
1975(昭和50)年に入ると一部の日本の若者は、鐘がデザインされたTシャツを着始めた。
正確には、街中に“リバティ・ベル”のデザインが溢れ始めた。
理由は簡単だった。
翌1976年が、アメリが合衆国独立200周年に当たるからだ。
テレビのニュース番組で、重鎮コメンテーター(多分、明治生まれ)が、
「他国の記念日で盛り上がるとは嘆かわしい」
と、ぼやいていた。
私達は、
「マッタク、最早、敵国じゃないのだから」
と、思ったりしていた。
実際、NHKの外電でも、
「アメリカでの独立200周年は、余り盛り上がっていない」
と、伝えていた。
東京のキャスターは、
「日本では結構、アメリカ独立200周年の表示を見ますよ」
と、返していた。
これは多分、当時のアメリカ合衆国本国は、ベトナム戦争が終結したばかりで、国内の疲弊感が拭い切れて居なかったからだろう。
それに、前年の1974年、ウォーターゲート事件に端を発する、建国史上初の現職大統領(リチャード・ニクソン氏)辞任劇が有り、政治的にも国家に対する不信感が漂っていた時代だった。
加えて、当時のアメリカ合衆国は、現代とは比べ物に為らない位に治安が悪く、ニューヨークの地下鉄は、悪戯書きで見るに堪えない程だ。
滅多に、日本人がアメリカ本土に行くことが出来る時代では無かったが、テレビのバラエティー番組では、
「もし、アメリカ旅行へ行くなら、夜は出歩くな」
「白人女性が、一人で歩いて居ない場所には近付くな」
と、注意喚起して居た。
何しろ当時は、1$=¥300程の為替レートだった。
滅多なことでは、アメリカには行けず、高校生の我々は精々、“リバティ・ベル”が付いたTシャツで我慢するしかなかった。
そうして迎えた1976年。即ち、アメリカ合衆国独立200周年の年。
閏年だったので、オリンピックが開催された。アメリカの隣国カナダ・モントリオールで。
高校3年生だった私は、日本時間深夜から早朝、そして午前中に中継された模様を、苦心しながらT.V.観戦していた。
丁度、先月完了したサッカーW杯と同じ様に。
苦労して深夜観戦した結果、ルーマニアのナディア・コマネチと謂う体操選手の、史上初と為る‘10点満点’の演技を同時刻で観戦することが出来た。
その衝撃は凄まじく、後にビートたけし氏の“コマネチ!”と謂うギャグが、何の説明無しで日本中に浸透したのだった。
閏年のもう一つの大イベントと謂えば、アメリカ合衆国の大統領選挙だ。
高校3年生で、世界情勢や政治に対し興味を持ち始め、一丁前に意見する様に為って居た私は、連日、アメリカ大統領選挙の情報を備(つぶさ)に観ていた。
選挙の結果は御存知の通り、現職の共和党ジェラルド・R・フォード大統領が、民主党のジミー・カーター候補に僅差で敗れ、翌年から民主党政権が誕生した。
フォード大統領はニクソン氏に続き、アメリカ史上初の大統領と為った。
それは、大統領選挙で一度も勝ってない大統領と謂う、不名誉なものだった。
何しろフォード大統領は、任期途中で辞任したニクソン氏に代わり、副大統領から繰り上がった大統領だったのだ。
そんなフォード大統領だったが、アメリカ合衆国独立200周年の記念式典では、実に堂々とした立ち振る舞いで任務を全うした。
大学在学中はフットボール部(勿論、アメフトですよ!)に所属し、プロからもスカウトされた程の選手だったフォード大統領は大柄で、来日の際は出迎えた日本の政治家達より、頭一つ抜きん出て居たことを記憶している。
そう謂えば、その際は、初の現職アメリカ大統領の来日だった。
テレビで中継された200周年式典は、実に華々しい物だった。
演説台に立ったフォード大統領は、強きアメリカ合衆国の象徴とも思える程だった。
選挙では勝って居なかったが。
唯、これだけは言える。
アメリカ合衆国が、独立200周年を迎えた1976年のアメリカは、日本の高校生から見ると“自由”で“偉大”な国と感じられた。
子供の頃からの憧れ(アメリカに対する)が、一層増したのも事実だ。
そうでも無ければ、“リバティ・ベル”を胸に、堂々と街を闊歩出来なかった筈だ。
それと同時に、アメリカ合衆国国歌を暗唱し、図書館に在った書物で、アメリカ国歌には‘二番’‘三番’が存在することを知ったのも、1976年だった。
今(2026年)考えると、何故そこ迄、他国の記念日で盛り上がることが出来たのか、不思議で為らない。
唯、当時(1976年)の雰囲気は、その様な感じだったと断言出来る。
同年のオリンピックを、確りと記憶しているのだから間違いない。
アメリカ合衆国が独立200周年を迎えた1976(昭和51)年は、高校生にとって衝撃的で、誇らしい年だった。
明治を聞き逃した昭和世代の私は、せめて、何かの形で昭和を語り継ぎたいと考えている。
そう、昭和の語り部として。
そこで私は、独立250周年の記念式典を観ながら、50年前のアメリカ合衆国独立200周年を回顧していた。
この先、もしかしたら観ることが出来るかも知れない、日本の紀元2700年(西暦2040年)を楽しみに。
そして、間違っても私は観ることが出来ない、アメリカ合衆国独立300周年に向けて、今年の記憶を残すことが出来る若者に、語り部として私の志を継いで頂きたいとも思って居る。
大好きなアメリカ合衆国が、独立250周年を迎えた2026年7月4日に、こんなことを考えた。
《終わり》
〈著者プロフィール〉
山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数17,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を45年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion
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