ゼミ

最低最悪の通知表「2」悲劇の私が、もう一度筆を握ったのは《週刊READING LIFE Vol.370「芸術の秋 」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:藤原 宏輝(READING LIFE編LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

「やっと少し涼しくなってきたなぁ」と感じる頃。

中学生になるまでの私は、芸術という言葉とはほぼ無縁のところで生きていた。

私にとって、秋といえば迷わず‘食欲の秋’だったから。

 

風が少しずつ冷たくなり、街の街路樹が赤や黄色に色づき始める頃。

私の頭の中を満たしていたのは、美しい景色や素敵な音楽、絵画などではなく、食卓に上る秋の味覚のことばかり。

とにかく食べることが大好きで、美味しいものを口にしている瞬間こそが、私にとっての最大の至福だった。

食いしん坊な私の小学生時代は、至って平和。

成績も決して悪くはなく、クラスの中では常に上位10番以内をキープ。勉強で大きく躓くこともなければ、学校で目立った問題を起こすこともない、

いわゆる優等生タイプの子供だった。

 

小学校の6年間、学期の終わりに手渡される通知表の担任からの所見欄には、いつも同じような言葉が並んでいた。

『のんびりとしていて、周りの友達の面倒見が良いです』

『おっとりした性格ですが、やるべきことはきちんとこなす、しっかりした一面もあります』

学年が変わっても、担任の先生が変わっても、評価のトーンは驚くほど変わらなかった。

私の小学生時代は、まさにこの所見欄の言葉通り。

 

そんな私が嗜んでいた習い事といえば、お習字、お琴、英会話。

これら3つの習い事がずっと続いたわけは、今だから明かせる……。

どの習い事もお稽古が終わる頃に、必ずお菓子とジュースが出た。時にはお饅頭とお抹茶も、これは「礼儀作法やマナーを学ぶためにも」という、お習字とお琴の教室での配慮だった。しかし、食いしん坊の私にはそんな事は関係なく、いつも目の前に出される美しくいお菓子に夢中だった。

和の美しい音色に触れる時間は好きだったものの、芸術とか考えた事もなかったし、お習字や図画工作の時間に何かを作る事や写生大会に絵を描いたりする事も、私にとっては単なる学校の授業に過ぎなかった。

そんな平和な世界が、これからもずっと続いていくのだと、私は信じ切っていた。

 

そう、あの中学校の美術室で、冷や汗をかくような事が起きるまでは……。

 

 

中学生になり少しずつ「評価」という現実の厳しさが顔を出し始め、環境は少しずつ変化し始めた。

それは「明日から、夏休みだーッ!」とワクワクしながら迎えた1学期の終業式。

静まり返った教室で手渡された、中学校で初めて受け取る夏休みの通知表。

恐る恐る開き、そこに並んだ数字を上から順に辿っていった。

主要な文系科目は、見事に5が並んでいた。

数学や理科、体育などのその他の科目も、ほとんどが4。

ここまでは、自分でも十分に満足のいく感じだ。むしろ「よく頑張ったな」と思える誇らしい結果だった。

だが、列の下の方へ視線をやり、下から3つ目の枠に目線を落とした瞬間、私の思考は完全にフリーズした。

1学期の美術の授業では、県の秋の美術展覧会へ出品するための作品づくりに取り組んでいた。私なりに思いを込めて、作品を提出した。

「2?」数字の見間違い? 

「え?」思わずため息と一緒に声が出た。

目を疑った。何度も何度も見返したが、黒々と印刷されたその数字が3や4に変わる事など、もちろんなかった。

ぽつんと取り残されたように刻まれた、美術「2」

 

全体を見ると決して、悪い成績ではないはずなのに、そのたった一つの「2」という数字が、他のすべての頑張りを一瞬にして塗りつぶしてしまうほどの圧倒的な負の存在感を放っていた。

「そんなにもダメだったんだ」

心のどこかで、大きく落胆する自分がいた。

授業態度は至って真面目、提出期限にも一度も遅れた事はない。

確かに絵を描くのは、極端に苦手ではあった。

苦手というか、センスがないというか。

県の秋の展覧会用の水彩画は、絵の具の混色や三原色の使い方など、授業で教わった通り挑戦しても、何度も絵の具が滲んで思った色にはならなかったから?

 

確かに私は、水彩画だけでなく美術の先生が苦手だった。

指示は細かいし大声で話すし、上手く色を出せない私に、どこか冷ややかな視線を送ってくるように感じて、どうも馴染めなかったのだ。

けれど次の瞬間。

落胆は美術の先生への、激しい憤りへと変わっていった。

「私の絵が下手だからって、ここまであからさまに成績をつけなくてもいいのに!」

悔しさとショックで、目元が熱くなるのを感じた。

小学生の頃から「そこそこ優秀で、手がかからない子」として褒められてきた私にとって、人生で初めて突きつけられた「2」という数字は、人格そのものを否定されたかのような屈辱だったのだ。

美術の先生「苦手だ」という感情は、明確な「大嫌い」へと、一気に変貌を遂げた。

「私に2!? なんて、どういう事? もうっ! 美術の先生なんて大嫌い」

蝉の声がうるさく響く教室の隅で、私はぎゅっと通知表を握りしめた。

こうして、私の13歳の夏休みは、人生最大のトラウマと、特定の大人の指導者に対する激しい嫌悪感を抱えたまま、重々しく幕を開けたのである。

 

 

夏休みが明け、2学期が始まった。

私の重い気分とは裏腹に、教室は新学期の賑やかさを取り戻していた。

そして、最悪な出来事は唐突にやってきた。

県の美術展覧会で見事に入選を果たしたクラスの男子生徒が、勝ち誇ったような顔で私に声をかけてきたのだ。

「お前、選考落ちたんだって? 俺の絵は選ばれたけどな!」

悪気があるのかないのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら放たれたその言葉。

周りの数人もクスクスと笑っている。ように、見えた。

「私は絵が下手くそだから、みんなに笑われてる」

その瞬間、頭の中で何かがプチッと弾ける音がした。

「なによッ! 少し絵が上手いからって、調子に乗って!」

と言い返した。

顔がカッと熱くなり、胸の奥から激しい悔しさがこみ上げてきた。

通知表の「2」だけでも十分に傷ついていた私の自尊心は、この一言で完全に踏みにじられたのだ。

「私なりに頑張ったのに……。美術の授業なんて大嫌い」

心の中で何度もそう唱え、だんだん泣けてきた。

それは、展覧会の事や男子に馬鹿にされた事よりも何より

「自分の努力や個性を『2』という数字で評価した先生」への反発心が、私の中でフツフツと燃え上がっていた。

 

しかし私には、自分でも驚くほどの特技があった。

それは、昔から得意の切り替えの早さ。

一度どん底まで落ち込んで激怒したものの、私はその日の帰り道にはすでに冷めた頭でこう考えていた。

「いつまでもあの先生や男子のことでイライラしている時間がもったいない。美術なんて、人生のほんの一部じゃない。悔しいけれど、評価された事実は変わらないし、他の4を5にしていけば評定平均は何とかなるんだから、次へ進もう」

ぐずぐずと過去の失敗に執着しないのが、私の強みだった。

嫌なものは嫌。大嫌いなものは大嫌い。

そう割り切ってしまうと、不思議とスーっと心が軽くなった。

 

それからの美術の授業はまさに、淡々と過ごす。の一言に尽きた。

先生に期待するのも、作品に過度な情熱を注ぐのもやめた。

言われた通りの手順を踏み、目立たず、波風を立てず、ただ与えられた課題を機械的にこなすだけ。

そのクールな割り切りと、最低限の計算された提出物のおかげ? か、次の評価では美術の成績は無事に2から3へと上がった。

2学期の終業式にもらった通知表を見て、少しだけ胸をなでおろしたものの、一度冷めきった、美術への情熱が戻ることは二度となかった。

「美術なんて、大嫌い」

キャンバスや画用紙に向かうたびに思い出す、あの惨めな感覚と冷酷な評価が、美術というジャンルそのものに、分厚い心の壁を作り上げてしまったのだった。

中学校の3年間、私はそのまま「芸術」という言葉からそっと目を背けながら、淡々とした日々を過ごしていった。

 

 

その後、期待を胸に膨らませ、希望通りの高校に合格した。

そこで私が最初に選んだのは、意外にも弓道部だった。

凛とした静寂の中で弓を引く姿に憧れ、日本人の心、礼儀、自分の精神性を鍛え直したいという思いから飛び込んだ世界。

しかし、現実は甘くなかった。過酷な練習と緊張感の連続に、私は体調を崩し、ドクターストップがかかり、両親から猛反対をされた私は、志半ばで弓道部を退部せざるを得なくなった。

弓道部を途中に諦める事が大きな挫折と感じた。

私は、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感の中、放課後の校舎を歩いていた。ふとその時に出会ったのが、書道部だった。

幼い頃から続くお琴の経験もあってか、和の世界観にはどこか心地よさを感じていた。

静まり返った書道室に漂う墨の香り、筆を走らせる先輩たちの背中。

そこには、私が求めていた穏やかで温かい時間が流れていた。

「ここなら、もう一度やり直せるかもしれない」

吸い寄せられるように入部を決めた私は、少しずつ書道の魅力にはまっていった。

 

だが、運命の悪戯というものは本当に存在するらしい。

 

高校2年の1学期、顧問の先生から告げられた言葉に、私は思わず息をのんだ。

「今年の秋、みんなで『秋の美術展覧会』に出品しましょう」

県の、あの、秋の、美術展覧会展。

その言葉を聞いた瞬間。

背筋にスッと冷たいものが走った。

忘れもしない、中学1年の夏。

私を「2」という評価で切り捨て、男子生徒に馬鹿にされる原因となった、まさにあの! 県の秋の展覧会だったのだ。

一瞬にして蘇るトラウマ。胃がキュッと締め付けられるような嫌な予感。

 

今回のテーマは、中国の漢詩。

しかも、ただ紙に書くだけではなく、本格的な掛け軸で仕立てるという、大きな挑戦だった。難易度は高く、ごまかしは一切効かない。

過去の傷跡がうずき、逃げ出したい気持ちになりながらも、私はもう一度、筆を握りしめた。

 

しかし、中学時代と決定的に違っていたものがある。

それは、そこにいてくれた顧問の先生の存在だった。

先生は優しくて温かく、いつも笑顔を絶やさない魅力的な女性だった。

私が不安そうに筆を走らせていると、そっと寄り添い、決して否定することなく包み込んでくれた。

「あなたの書く文字には、芯の強さと温かさがあるわ」

「ここはもっと力を抜いて、自分の感じたままに表現してご覧なさい」

その言葉の一つひとつが、中学時代に「2」という数字で冷酷に傷つけられた私の心を、ゆっくりと解きほぐしていった。

「先生と一緒に、最高の掛け軸を作り上げたい」

その一心で私は毎日、墨まみれになりながら何十枚もの半紙に向かい続けた。

 

そして、運命の秋がやってきた。

結果は「佳作」と、上出来だった。

掲示板に自分の名前を見つけた瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

あんなにも大嫌いだった「秋の展覧会」

あんなにもトラウマだった「評価されることへの恐怖と嫌悪感」

立派な掛け軸に仕上がった自分の作品を見上げた時。

長年私を縛りつけていた美術「2」の呪縛が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていくのを感じたのだ。

 

 

中学生の頃。美術の授業が嫌いだった。

あの冷酷な「2」を突きつけてきた先生が、大嫌いだった。

けれど、高校の書道部で見事に佳作を果たしたあの日、大切なことに気がついた。

自分の持つ感性や能力、そのものがダメだったかどうか? 

は、自分では分からない。

ただ「誰から学ぶか?」「誰と一緒にその世界を見るか?」

によって、受け取り方も引き出される魅力も180度変わってしまうのだということ。

 

決して先生のせいではなく、あの苦い経験だが、ただ傷ついて終わりにならなかったのは、私の中に根付いていた切り替えの早さと、新たな事へ飛び込む挑戦心のおかげだったのだと思う。

 

挫折をした時。

いつまでも過去の嫌な思い出に引きずられ、誰かを恨み続けていても何も生まれない。

「先生が悪い」「環境が悪い」と人のせいにすることは簡単だ。

けれど、そこで足を止めてしまうのではなく「じゃあ、次はどうする?」と軽やかに視線を未来へと向けること。

 

弓道部で体調を崩した時も、ただ落ち込むのではなく「次は書道部に入ってみよう」と足を踏み出せたからこそ、私は運命の恩師と出会い、トラウマを乗り越えることができた。

 

もしかしたら、あの大嫌いだった「芸術の秋」と美術の「2」という挫折こそが、私の中に眠っていた‘へこたれない強さと未知の領域へ挑戦するフットワークの軽さ’を伸ばしてくれたのかもしれない。

今、振り返ってみても思う。

「人生に無駄な事なんて、ひとつもないのだ」と。

 

私はこれからも人生の途中で、予期せぬ失敗や理不尽な評価に直面し、立ちすくんでしまう瞬間があるかもしれない……。

自尊心を打ち砕かれ、誰かのせいにしたくなる夜もあるだろう。

そこで、自分の可能性を見られる自分でありたい。

切り替えのスイッチをパチンと入れて、新しい扉を何度でも叩き開き続けること。

その挑戦の積み重ねこそが、自分だけの豊かな感性を育て、人生を彩る最高の芸術になっていくはず。

手に汗を握りながら見た美術「2」の通知表と、そこから始まった私の小さな大冒険。

食欲の秋から始まり芸術の秋へ、思わぬ遠回りをして辿り着いた今。今日も私は、新しい挑戦に向かって、軽やかに一歩を踏み出している。

 

 

【終わり】

 

❒ライタープロフィール

藤原宏輝(ふじわら こうき)『READING LIFE 編集部 ライターズ俱楽部』

愛知県名古屋市在住、岐阜県出身。ブライダル・プロデュース業に25年以上携わり、2200組以上の花婿花嫁さんの人生のスタートに関わりました。思い立ったら世界中どこまでも行き、知らない事はどんどん知ってみたい。好奇心旺盛で、即行動をする。

何があっても、今を全力で生きる。切り替えが早く、とにかく前向き。

これまでのブライダル業務の経験を活かして、次の世代に、未来に何を繋げていけるのか? 

といつも模索しています。2024年より天狼院で学び、日々の出来事から書く事に真摯に向き合い、楽しみながら精進しております。

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00



■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



関連記事