メディアグランプリ

エンタメが好きだ


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:仲西悠歌(ライティング・ゼミ 26年5月開講)

 

子どもの頃から、生活の真ん中にはいつもテレビや本があった。

 

『志村けんのバカ殿様』を見ては腹を抱えて笑い、ナインティナインの『ゴチになります』で繰り広げられる絶妙な値段の駆け引きや、芸能界の楽屋を覗き見ているようなヒリヒリした心理戦に手に汗を握った。小学生の頃は児童書を貪るように読み、見知らぬ誰かの心の内側に胸を高鳴らせた。

 

エンターテインメントとは、ただ時間を潰すための刺激ではない。凝り固まった日常の視点を鮮やかにひっくり返し、新しい思考の余白を手渡してくれる極上の知的な娯楽だった。

 

大学三年生がはじまり、何を血迷ったのか、周囲が一斉に始めた就職活動のレールを突然飛び降りて大阪から東京へ向かった。ワタナベエンターテイメントの養成所の門を叩き、特待生としてその世界へ飛び込んだのだ。

「どうしても、作る側に行きたい」

スタジオで演出家や演技指導の大人たちに「なんで役者になろうと思ったの?どうしてモデルじゃなかったの」と問われた。その当時頭にあったのは「演技がしたい」という一心だけだった。自分という退屈な人間を消して、誰かが書いた緻密な虚構の中で別の誰かになりたかった。けれど、養成所のスタッフが淡々と口にした一言で脳内が凍った。

「あの有名俳優さんでさえ、最初は所属を断られたんだよ。ここに入っても、七年間は無職同然かもしれない覚悟はある?」

 

七年間、無職。

 

その言葉を聞いた瞬間、すーっと血の気が引いて、手足が冷たくなった。お金がないこと。何年間も何者にもなれないまま暗闇で自分の価値を探し続けること。何より、身を粉にして働いて私を育ててくれた両親の顔が浮かんだ。遠く離れた東京で、無職の娘として心配をかけ続ける申し訳なさに足がすくみ、二十一歳半ば、たった一年半ほどでワタナベエンターテイメントを辞め、逃げるように就活を再開して大阪の一般企業へ就職した。あっけなく夢を放り出し、大阪の実家から毎朝満員電車に揺られる、ただの観客に逆戻りした。

 

社会人になってからも、知的な快楽を与えてくれるエンタメへの偏愛は加速する一方だった。仕事でぐったりして帰ってきた夜は、坂元裕二さんのドラマにかじりつき、FM802や深夜のオールナイトニッポン、コント番組を小さな音で流しながら眠りについた。

好きな芸人さんは山ほどいる。中でも、オードリーの自意識の解剖、東京03が描く気まずい人間関係の喜劇、バカリズムの発想の転換、粗品の剥き出しの言葉の刃。どの方々もエンターテイナーだなと心を打たされた。

まともなレールを踏み外し、夢からも逃げ出して一般企業へ潜り込んだのに「自分の人生はどこかで選択を誤ったのではないか」という後ろめたさをずっと拭えずにいた。職場のオフィスでは、小さな縄張りをめぐって誰かが誰かの足を引っ張り、陰口が飛び交っていた。「自分が平和ならそれでいい」 と波風を立てないようにやり過ごす自分も、周りの浅ましい争いも、なんだかひどく情けなくて恥ずかしかった。

 

仕事でぐったりして帰ってきた夜に触れるエンターテインメントは、ただの暇つぶしではなく唯一の救いだった。

画面の中のとわ子は「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてない」 と笑い飛ばしてくれる。『おいハンサム!!』の父親は「間違いのない選択なんてない、だからちゃんと迷うんだ」 と背中をさすってくれる。世間が押しつける「正解のルート」 を鮮やかに解体してくれるその言葉たちに、私はどれほど救われたかわからない。

深夜ラジオをつけると、パーソナリティが「エンタメは世界を救う」 「ネガティブな感情こそがエンタメを面白くする」 と笑いながら叫んでいた。人の嫌な感情や弱さすらも、料理の仕方ひとつで最高級の笑いに変えてしまう。その企みに満ちた電波の中だけが、唯一の息抜きだった。

『大豆田とわ子と三人の元夫』の劇中で、「別れたけどさ、今でも一緒に生きてるとは思ってるよ」 というセリフがあった。演者としての道からは早々に逃げ出したけれど、私は今でもエンタメと一緒に生きている。客席から彼らの仕掛けた伏線や企みに唸りながら、あの眩しい世界と細い糸で繋がり続けているのだと、勝手に自分を慰めていた。

 

けれど、ただ受け取っているだけでは、どうしても満たされない何かが残り続けた。

 

表現することを続けたくて社会人として働きながら、私は六年間、Web記事やSEOライティングを書き続けた。夜になるとX(旧Twitter)でスペースを開き、日々の勉強日記や、宅建の試験勉強の悩みを声に出して話した。「模試のこの問題、テキストと矛盾してない?」 「わかる、そこ私も引っかかってた」 画面の向こうに、夜な夜な二百人もの見知らぬ人たちが集まってくれた。ただ事実を並べるだけではなく、どう言葉を置けば相手の頭が整理され、心が軽くなるか。「あなたの書く言葉が好きです」 と言ってくれる人が現れたとき、初めて自分の頭で紡いだ言葉が誰かの支えになる手応えを知った。

 

極めつけは、勉強日記がきっかけで、資格試験のテキストに私の合格体験記が活字として載ったことだった。本屋に並んだテキストを開き、印刷された自分の文章を見たとき、胸の奥がじんわりと熱くなった。私の言葉が、活字になって誰かの手元に届き、思考を動かす。 それって、私が子どもの頃から浴び続けてきた「楽しみを提供する文化・娯楽」 と、根っこはまったく同じなんじゃないだろうか。

 

2026年5月、三十歳になった私は、吸い寄せられるようにエッセイと小説を書き始めた。実際に書いてみると、あんなに隠したかった過去の恥ずかしさや情けない挫折が、言葉の力で次々と「面白いネタ」 に化けていくのが痛快で、夢中になってキーボードを叩いた。かつてテレビやラジオの向こう側に感じていたあの熱気を、今度は自分の手の中で作り出している実感があった。 

特にエッセイは、当たり前だがノンフィクションだ。けれど、起きた出来事をそのまま書き連ねるだけでは、ただの無機質な記録になってしまう。痛々しい失敗談にクスリと笑える自虐のスパイスを一振りし、日常の些細な違和感に独自の視点という企みを忍ばせる。

そうやって現実をひとさじのユーモアで料理して差し出すことこそが、書き手が読者に仕掛ける「エンターテインメント」なのかもしれないと今は思っている。

 

あのドラマたちが教えてくれたように、間違いのない選択なんてなかった。あのとき七年の無職に怯えて逃げ出したからこそ、社会の理不尽さも、深夜ラジオの構造美も、誰かの言葉に救われる切実さも知ることができた。

舞台の上でライトを浴びる役者にはなれなかった。けれど今、言葉を紡いでいる。かつて憧れたあの世界の端っこに、もう一度手を伸ばしている。もっと学びたいし、もっと書きたい。自分の中から物語をひねり出して、誰かの退屈な夜に、最高に面白い余白を手渡す側になりたい。まとまらない感情が、頭の中でぐるぐると心地よい渦を巻いている。

 

逃げ出した日の情けなさも、何千時間も浴びてきたエンタメへの偏愛も全部原稿用紙に詰め込んで、今度こそ私は、自分の言葉を総動員して、誰かの日常をひっくり返す面白いものを作ってみたい。

<<終わり>>

 

 

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院カフェSHIBUYA

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00



■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00



関連記事