「もう、お前とは二人で出かけない」——父がくれた約束
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:よもぎもちもち(2026年5月開講ライティング・ゼミ)
「もう、お前とは二人で出かけない」
父にそう言われたのは、二人で車に乗って、どこかへ向かっている途中だった。あれは確か、私が高校生の夏休みだったと思う。どこへ行こうとしていたのかは覚えていない。ただ、さんさんと日の光が降り注ぐ暑い日で、青空がどこまでも広がっていたのは覚えている。珍しく、何かの理由で母親と兄弟もおらず、父親と二人だけで出かけていた。久しぶりの父と二人きりで、なんだか嬉しいような、恥ずかしいような気持ちで、色々な話をしていた。
会話の途中で、父は運転しながら、フロントガラスの向こう側、車の行先を見ながら言ったのだった。
「もう、お前とは二人で出かけない」
突然、そんなことを言われたので驚いた、なにか怒らせるようなことでも言ったのだろうかと不安になった。わたしは「なぜ」と聞いた。
「俺も、父親にそう言われたからだよ」
寡黙な父親は言葉足らずな所がある、それだけでは本当に意味がわからなかったが、さらに理由を聞きこむと、五人家族のうち、男手は私と父の二人。それがいっぺんに欠けたら、残された家族が立ち行かなくなってしまう。だから、父は、息子の私とは、これから二人きりで出かけないというのだ。万が一の事故でも、二人が同時に失われることのないように。そういう理屈だった。
私の父も、祖父と出かけたときにそう言われたのだそうだ。私の祖父は、私が二、三歳の頃に亡くなってしまったので、記憶はないが、病院の院長も務めたような真面目で、厳しくて、責任感の強い人だったらしい。
突然そんな話をされて多少戸惑った。でも、高校生の自分が、男としての家族の責任の一端を任されているかもしれない、そんな風に感じた私は、その理屈に納得した。悲しくもなかった。むしろ、少し嬉しかった。
そんな父は数年前に亡くなった。癌だった。
結局、男手は一人欠けてしまったが、自分を含めた兄弟はみんな独立して一人で生きていけるようになっていた。父は私たちを育てるという立派な使命を果たしてからすぐに病で逝ってしまった。私も結婚し、子どもができ、その子ももう中学生だ。
今年の夏、久しぶりに、長野の祖母の家へ行くことになった。妻と娘は先に出発して、私と息子は、あとから車で追いかけた。良く晴れた夏日だった。
高速に乗っている間、助手席の息子は、よくしゃべった。二月に終わった中学受験のこと、入学して始めた剣道のこと。「面を打つとき、声が小さいって先輩に怒られる」と言うから、じゃあ出してみろ、と返すと、「むりむり、車の中では無理」と笑った。好きなゲームの攻略法を、延々と語り続ける。私がよく分からないまま相槌を打つと、「ちゃんと聞いてないだろ」とむくれた。くだらない冗談を言っては、自分で先に笑った。二人だけでの遠出は、初めてといってもいいかもしれない。あの頃の私も、父の隣で、嬉しいような恥ずかしいような気持ちで、こんなふうにしゃべり続けていたのだろうか。運転席から見える青空はあの時と同じくらい青かった。
祖母の家のある町の名前が、道路標識に見えはじめた頃、私は、ふいに父親に言われたあの言葉を思い出した。
「もう、お前とは二人で出かけない」
口に出そうとしてみるが、やっぱり思いとどまって口がパクパク動いた。言えなかった。
——二人で出かけない。助手席をちらりと見た。息子は、楽しそうにしゃべり続けている。私は、まだこの時間を手放したくない。事故なんて、そう起こるものか。そう自分に言い聞かせながら、私はハンドルを握りなおした。
あのとき父が見ていた「遠く」が、いまは、少しわかる。父はきっと、自分の父を見ていたのだろう。真面目で、厳しくて、責任感の強かった祖父を。あの時の父も、いまの私と同じ寂しさを味わっていたはずだ。それでも、父は言った。受け取った言葉を、こんどは私に手渡そうとしていた。
子どもだった私は、その言葉の理屈だけを受け取って、重さのほうは、受け取りそこねていた。
無事、祖母の家に着いて、家族みんなでご飯を食べていると、テレビが夕方のニュースを流していた。行楽帰りの車が、事故に——それだけ聞こえて、あとは家族の会話の中に紛れた。私は一瞬、箸を止めた。
祖父から父へ、父から私へと、手渡されてきたこの言葉。
次は、私が息子に渡す番なのだろうか。
でも、私はまだ、渡せずにいる。父が越えたその覚悟を、私はまだ、越えずにいる。助手席で笑っている息子を、もうしばらく、このまま隣に乗せていたい。
ふと、家族の後ろの仏壇を見ると、煙がたった線香の後ろで、父の遺影がいつもの真面目な顔をしていた。
〈終わり〉
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