メディアグランプリ

さみしさを再確認する儀式


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:北村 有(ライティング・ゼミ朝コース)
 
感情の起伏があまりない人がいる。
表情を見ただけでは何を考えているのかわからない人。たのしいのか、かなしいのか、くやしいのか、はたまた、さみしいのか。
わたしはとりわけ、この『さみしさ』を感じとる能力にとぼしい。
 
幼少期からひとりが好きだった。
母親が夜勤の日は夜通し家にひとりでいることも多かったので、ひとりに慣れやすい環境だったのだろう。両親が家におらずさみしくて泣く、という経験もあまりなかった。どこか、こんなもんだろう、という漠然とした思いがあった。
それは諦めではなく、現状を受け入れるという姿勢だったのだと思う。
 
そんな環境で育ったせいか、ひとりで時をすごすという状況にさみしさを感じたことがない。むしろ心地よさを感じる。ひとりで生きることは、自由と、同量の責任と、そして他人の依存から逃れることと同義だ。わたしにはまだ、あたらしく家族をつくって共に生きていくことのメリットがわからない。
 
もうずっとこのまま、『さみしさ』の輪郭をとらえられずに生きていくのか。
 
そう思っていた矢先、高校を卒業して、大学進学の時期をむかえた。
わたしは、徹底的にひとりになりたくなった。
実家を出て、一人暮らしというものをして、自分の生活の面倒は自分でみる。人生をひとりで生きてみる。あさ目覚めるときも、食事を摂るときも、掃除をするときも、ひとり。とことんひとりになってみて、自分がどのタイミングで『さみしさ』をキャッチするのか、そのタイミングを知りたかった。
 
新しい住まいは、父親が見つけてきてくれた。
ただひたすらにひとりになりたかった私は、角部屋が良いとか、階数は2階以上でベランダが欲しいとか、そんな希望は一切なかった。ベッドや机やテレビなどもすべて任せた。カーテンの色さえどうでもよかった。
 
すこしの間、諸手続きのために家族とともに新居で過ごしていたが、ついに、明日から完全にひとりになる日がやってきた。
「これ、渡しておくから」
見知らぬ通帳を置いて、家族は地元へもどっていった。
途端に部屋の空気が嗅ぎなれないものに変貌した気がした。
知らない冷蔵庫、知らない電子レンジ、知らない洗濯機。使い慣れない家具はすべて一人暮らし用のもの。私はひとりになるまで、本当にひとりになることがどういうことかを腹に落としきれていなかったのだ。
ひとりになることは、ちがう空気のなかに取り残されることだ。
 
通帳をひらいた。
約80万円の残高があった。
私は物欲にもとぼしい子どもだった。これまでのお年玉やお小遣いで使い切れない分はまとめて貯金してくれていたのだ。このまとまったお金がどれだけこころの支えになったか。ただの数字の羅列に、あらゆるものの連なりを感じて喉が詰まった。
 
『さみしさ』とは、ちがう空気のなかから慣れ親しんだものを察知したときの、こころの動きだ。
新居には、知らないものしかない。
これから毎日、ここで朝日を浴びる。行ってきますと言わずに家を出る。
すべてひとりだ。
手渡された通帳だけがわたしと家族を繋いでいる。
80万円という数字が、積み重ねてきたわたしの人生だ。
 
『さみしさ』とは、新しいもののなかに飛びこんだあとに、もう決して、元いたところには戻れないのだと再確認したときの、こころの重みだ。
 
わたしがひとりになりたいと願っていたのは、結局、ひとりになった経験がなかったからだった。まわりには、家族や友人がつねにいてくれた。ひとりで本を読んだり絵を描いたりして過ごすのが至福だったけれど、それはつまるところ、また家族や友人に会うそのときまでの繋ぎの時間として楽しんでいたに過ぎない。
 
感情の起伏があまりない人がいる。
表情を見ただけでは何を考えているのかわからない人。たのしいのか、かなしいのか、くやしいのか、はたまた、さみしいのか。
私はとりわけ、この『さみしさ』を感じとる能力にとぼしい。
いや、とぼしいと思い込んでいた。
 
家族が実家に戻っていった日の夜、通帳を手にしながらすこしだけ泣いた。
それは圧倒的な『さみしさ』だった。
ああ、これがさみしいというものなんだ、とこころのどこかで感じながら泣いた。
わたしも『さみしさ』をちゃんと感じとれるのだ、と安心しながら泣いた。
 
感情の起伏があまりない人がいる。
けれどひとは、根源的な『さみしさ』をちゃんと持っている。
『本当にひとりになることのさみしさ』を味わったことのないひとはいない。
この感情を癒すものは、ひとによって違うのだとおもう。
時間なのか、慣れなのか、はたまた、別の誰かの手によって癒されるのか。
 
この『さみしさ』を再確認する儀式が、自分に向けられた愛を再認識することと同義なのだ。
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2018-06-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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