諦めそうになるときは
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記事:濱田 綾(ライティング・ゼミ平日コース)
「うわぁ、甘い! これ塩だよね!?」
後にも先にも塩を甘いと思ったことは、この時以外になかった。
15年ほど前になるだろうか。
私は、ひょんなご縁から、自衛官として任務にあたっていたことがあった。
それまでは、体力や運動神経に自信があるわけでもない、普通の学生だった。
何もかも新しい事ばかり。
卒業したばかりの私は、社会というのは厳しいと、体でも心でもひしひしと感じていた。
同期は各都道府県から一人程度。
各部署に配属されるまでの数か月間は、同期と一緒に新人研修に取り組む。
私から見たら、体力面でも学歴面でも、こころざしも立派な人ばかり。
何をやっても飲み込みが悪く、人一倍時間もかかる私が劣等感を感じるには、そう時間はかからなかった。
そんな日々も数か月たち、迎えた最終研修は、とてつもなく暑い日だった。
持たされた水分は、水筒1本分。
運が悪い事に、最終研修の日に限って、私に役割がまわってきた。
旗を持つのだ。同期全員で40㎞の山道を一日で歩く。
その一番先頭に立って旗を持つ。しかも、旗を持つ角度は決まっている。
自分の荷物に加えて旗を持ち、ゴールまでその角度を保って、一番先頭を歩かなければならないのだ。
47分の1の確率なのに、なぜ私にあたってしまったのか。
暗くなるまでにゴールにたどり着かないと、山の中でとどまることになる。
先頭が遅れることはできない。私にできるのだろうか。
自分に特別な自信があるわけでもない。きっと違う人のほうが、向いている。
どんどん後ろ向きな気持ちで覆われていく。
そんな思いもよそに最終研修は、始まってしまった。
富士方面での研修だったので、日陰はたくさんあったが、じっとりした汗は止まらない。
長袖の制服に、重いヘルメットが疲労を加速させる。
背負った荷物の重さはどれほどだろう。肩も腰も感覚がない。
旗を握りしめた手も、もう感覚がない。
時折の休憩で、足指からにじんだ血をぬぐいとり、歩けるように補強をする。
痛みをこらえながら、また一歩を踏み出す。
そんな中でも、なぜ私が先頭なのかという思いは巡ってくる。
そんなことを繰り返しているうちに、休憩地点で、ふと同期の表情が目に入ってきた。
苦しそうな表情。涙もにじんでいる。辛そうだ。
私は先に休憩に入っている。水分も取ったし、荷物の重さからも解放された。
「おつかれさま! ほら、もう少しで休憩。もう少し。ほら、行こう」
考えるよりも先に、足が勝手に動いていた。
せめてこの休憩の時は、明るい気持ちでいよう。そんな気持ちになった。
それでも、やっぱり道中は苦しい。一歩が踏み出せなくなるような感覚に襲われる。
止まりたいと思う。振り返ると数キロに渡って、後ろにみんながいる。
ここで止まるわけにはいかない。でも、苦しい。
そんな時、隣を歩いていた、怖い以外の何者でもない上司が言った。
「楽しいから笑うんじゃない。苦しいときこそ、笑う努力をしなさい。笑うから超えられることもある」
完全に精神論じゃないか!
そんな思いもあったが、その時に頼るものは上司の言葉しかなかった。
もう体力は尽きた。精神論にかけるしかない。とにかく無理やり笑ってみた。
せめて、みんなが休憩地点に入ってくるときは、笑顔で迎えられるように。
そして何とか出発していけるように。
それだけを考えながら、ただひたすら歩いた。
何で私なのかという思いは、もうどこかに飛んでいた。
夕暮れ時にゴールについた。
続々とみんながやってくる。
「終わったー!!」もう笑顔しかなかった。
「たいした根性だ」恐ろしく怖い上司も、その時だけは微笑んでいた。
その時、手のひらにもらった塩。とてつもなく甘かった。
涙と混じったその味を、私は忘れることはないだろうと思う。
あれからずいぶんと時間がたち、今はまた違う仕事についている。
時代の流れもあるだろうが、今は精神論なんて、少しナンセンスなのかもしれない。
働く上で、気持ちで何とかするなんて、限界があるのもわかる。
そんな根性を出す前に、もっと楽に楽しくやれば。
わざわざ苦しいところに飛び込まなくても。そういう思いもわかる。
でも、なぜだろう。
もういいかなと諦めそうになる時、あの上司の言葉と、塩の甘さが浮かんでくる。
まだ笑えるんじゃないか、私。
超えられた時の、景色を見たい。
どこまで不器用で、めんどくさいんだと自分でも思う。
けれど、どうしてもそう思ってしまう。
あの時、何とか笑えたのは、何とか乗り切れたのは、一人じゃなかったからだと思う。
おんなじ思いを持っている仲間がいて。そして私を見てくれていた上司がいた。
一人ひとり、それぞれの頑張りもあるが、チームでの達成は一人ではできない。
駅伝のたすきをつなぐように、一つのゴールに向かう。
その景色がどうしても見たいと思ってしまう。
私の中での働くということは、生きることそのものかもしれない。
今は色んなところでのバランスが求められている。
一人が熱い思いを持っていても、それだけではうまくいかない。
むしろ時代遅れかもしれない。
効率が悪くて、悩みも多くて。苦しい事も多いだろう。
それでも何かに思いをかけて働きたい。そうやって生きていたい。
あの日以来、暑苦しい精神論は、私の心の中にとどまっている。
これからも苦しい時こそ、一度笑ってみるのだろう。
超えたところにある景色を思いながら。
そして、それが仲間と一緒に見られれば、そんなに幸せなことはないと思う。
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