メディアグランプリ

袴はまだ、着たくない。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ユリ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「お前を絶対卒業させない」
 
教授からの一言に、今まで我慢していたものがプツリと切れた。
 
「もう、無理かもしれない」
 
先の見えない明日が、さらに遠く、遠退いて行く。
どんな顔をして家に帰ろうか。
親にはなんて言ったらいいのか。
家族全員、病気の祖母に、疲れきっていた。
 
 
祖母が脳梗塞で病院に運ばれたと連絡が入ったのは、大学3年生の夏休み明けだった。
同級生たちの髪色は茶色や金色から不自然な黒色へと変わり、服の色も黒やダークグレーといった、夏の暑さが未だに残るその時期には似つかわしくない、暗くて深い、色を占める。
皆が話す会話の内容も、「就職」という一つのテーマで次第に染まっていき、まるで個々それぞれの色までもが、日々奪われていくようだった。
 
漠然と就職以外の進路も考えていた私は、変わっていく周りに少し違和感を覚えつつも、スーツやカバンを買い揃えてみたり、就職読本を読み始めたり、自分の長所と短所を真面目に考えてみたり、自分の明日を深く意識し始めたり。そんな矢先のことだった。
 
 
駆けつけた病室には、酸素マスクを着けた祖母が、弱々しく横たわっていた。
 
「来てくれたんだ。ありがとう」
 
まともに言葉を交わしたのは、それが最後になった。
数日後祖母は、脳梗塞が原因の、脳血管性認知症を発症した。
 
 
「病気だから、しょうがない」
 
頭ではわかっているものの、人が変わったように暴言を吐いてきたり、うまく動かせなくなった左半身への苛立ちを、私たち家族にぶちまける。
症状は日を追うごとに悪化し、しまいには「認知症による症状の面倒は家族でみるように」と、病院に入院していたにもかかわらず、病院側から強くお願いされるようになった。
交代交代24時間、自分たち家族だけで、入院中も退院後も、「もう少しの辛抱だ」と自分たちに言い聞かせ、毎日祖母を見続けた。
いつまで続くかわからない明日を、ただひたすら、自分たちの明日を考えることは後回しにし、ただただ必死に過ごすだけだった。
 
卒業までの単位が、残り「卒論ゼミ」だけになっていた大学4年生の私も、平日の朝から夕方までの時間を祖母に費やし、授業のある日だけは時間を調整して、休むことなく出席した。
提出物も、全て提出した。
「毎日教授室に顔を出す」という、ゼミ独自の暗黙のルールだけは守れないが、それに関しては教授に説明し、許しを得たつもりだった。
 
大きな問題は、何もない。
 
私は、そのつもりだった。
けれど私と教授の間には、深い溝が、いつの間にか出来ていた。
 
 
「ごめんね、卒業できないかもしれない……」
今までのことすべてを、両親に打ち明けた。
 
「とりあえず卒論は最後まで仕上げなさい」
 
なんとか完成させた卒論は、教授の許しを得ないまま、大学に提出した。
そして、私の卒業は、学長や学部長による判断で、かろうじて認められた。
 
 
後日私の手元には、私不在の卒業式の集合写真が送られてきた。
同じ部活だった友だち、よく遊んだ友だち、同じ授業を取っていた友だち、一緒に旅行するほど仲が良かった友だち……。
よく知る同じ学科生たちが、満面の笑みを浮かべながら、色鮮やかな袴姿で写っている。
 
袴が着たかった。
 
私は迷わず、写真をビリビリに破いて、ひとかけら残らずゴミ箱に捨てた。
 
 
あの日から何年も経った今において、袴を着なかったことも、卒業式に出席しなかったことも、大卒ですらあることも、普段の暮らしに何も影響をおよぼさない。
けれど今でも、あの時のことが心の片隅に残っていて、何かのきっかけで、消化不良を再び引き起こす。
 
あの時教授は、なぜあんなにも私に強く当たったのだろう。
あの時私は、なぜ我慢しかできなかったのだろう。
私にこそ、大きな問題があったのだろうか。
 
教授への疑問と怒りと悲しさと悔しさと共に、自分への不甲斐なさ、両親への申し訳なさ、「あの時は、しかたがなかったのだ」という諦めと開き直りといった、たくさんの感情が、プツプツと沸き起こる。
 
 
これだけに限らず、私の人生にはたくさんの、「あの時もしも」がつきまとう。
 
あの時もしも、もう片方の選択肢をとっていたら……
 
「あの時もしも」が多いのは、あの時の自分にも、今の自分にも、満足がいっていないから。
あの時をうまく、消化しきれていないから。
 
 
「あの時、袴が着られなかった」
けれど、あの時の私は、袴を着て卒業するに値する、何かを成し得ていただろうか。
 
「今でも、袴が着たい」
では、今の私は、あの時の自分と比べて、満足できる自分になっているのだろうか。
 
過ぎ去った過去を変えることは、もうできないし、過去に執着しすぎるのも、よくない。
けれど、過去を経ての「今」を変えることは、この瞬間からでもできるはず。
 
じゃあ、今の私は何がしたい?
 
もっとたくさんのことが知りたい。
もっとたくさんの人に出会いたい。
もう一度学校に入りたい。
そして、いつか袴が着たい。
 
 
その後の祖母は、引き続き入退院を繰り返し、最後は入院先の病院で静かに息を引き取ったが、当時のことを家族で振り返る際、「あの時は本当に大変だったね」と、今では思い出話として話せるようになった。家族の会話の一つとなり、家族の結束にも繋がっている。
ときに時間が、過去を優しく解決してくれることも、やはりあるようだ。
 
 
袴が、着たい。
 
一つ一つ、「あの時」のことを清算し、一つ上、二つ上の高みを目指して。
私が袴を着るベストタイミングは、まだまだ当分、先になりそうだ。
 
袴はまだ、着たくない。

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2018-08-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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