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メディアグランプリ

見ない、聞かない、気にしない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:イシカワヤスコ(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「そんなこと他のひとは気づかないし、気にしてないよ! だから大丈夫。気にしすぎだよ」
 
そう言われるたびに、何度落ち込んできただろう。
他のひとが気づかなくたって、わたしは気づいているし、気になっている。
「他のひとは気づかないから大丈夫」って、その理屈は何なの?
自分の中にあるものが、他のひとが気づくかどうかで左右されるって、どういうこと?
相談なんてしなければよかったーー。
 
わたしはずっとだらしなくて雑な性格だと思っていた。
小学生の頃から、何だってギリギリまでやらない。
部屋も机の引き出しも、汚くはないけれどどこかスッキリとしない。
二言目には「面倒くさい」。
神経質なんて、自分には縁のないものだと思っていた。
でも大人になって、周りからの評価に「几帳面」が加わり、時に「細かすぎる」「もっとおおらかに」などと言われる。
やるかやらないかは別として、「意識だけムダに高い系」みたいだ。
 
「HSP」という言葉に出会ったのは、30代も半ばを過ぎてからだった。
Highly Sensitive Person、ざっくり言うと「過度に敏感なひと」。
どうやらわたしはHSPのようだ、と理解した時に初めて、周りの人々はもっと目の粗い、ゆるい感覚で生きているらしいと知って、本当にびっくりした。
 
しかし、知ったからといって、どうこうできるわけでもない。
感覚という無意識でコントロールのできない部分に対してなす術はない。
この感覚しかわからないのだもの。
敏感で、気にしすぎなままで生きていくしかないのだと、あきらめるしかなかった。
 
転機が訪れたのは、2年ほど前。
なんとなく、ものの見え方が悪くなって、時々、ふっ、と視界が暗くなる感じがした。
どうも変だ。
いろいろ試してみて、右目がどこにもピントが合わないこと、視界が暗くなるのは時々右目が真っ暗で何も見えていないからとわかった。
病院へ行ったら、右目の後ろに腫瘍があり、眼球や神経が圧迫されて視力がおかしくなっていた。
場所が場所だけに手術のリスクも大きく、特に対処することもできず経過観察になった。
 
いままでは何も考えずに「ぼんやりと周りを見ている」つもりだった。
でもそうではなかったようだ。
周りを見渡し、行き過ぎるひとの顔や姿をしっかりと認識していた。
180度の分度器のような形で、目に映るものすべてを認識していたのだ。
人混みの中をすり抜けていくために、ゆるやかにカーブが連続したルートが自然とわかる。
すれ違うひとがどんな顔で、どんな格好をしているのか、わかる。
それが「当たり前」だった。
 
駅や人混みを歩くのが、とても怖くなった。
自分の動きに視力が追い付かなくて、階段の昇り降りは足元を見るために下しか向けないし、前を向いて歩けばほぼ前方しか見えない。
イヤホンで音楽を聴きながら歩くことをあきらめ、「ひとにぶつからずに歩く」ことだけに集中しないといけない。
円錐形の先だけを覗き見るようにしながら、前に進む。
円錐形以外の場所は、Googleマップの向きを変えた瞬間のように長く伸びて、ぼんやりとしたまま流れていく。
人間を人間と、ものをものと認識できず、ただ視界が流れていくのが、怖い。
 
しかし、わたしにとっては新しくて怖い視界が普通のひともいるな、とは昔から感じていた。
本当に不思議だった、人混みの中を誰もいないかのようにまっすぐ目を動かさずに歩く人々。
気付けはわたしも、そちら側になっていた。
能力を失ってはじめて、自分に飛び込んできていた情報量の多さを理解した。
 
強制的に視界が狭くなったことで、思いがけず「世界を粗く見る方法」を知った。
意識を向けるものを、減らす。
粗い世界は怖い、と感じた。
でも、怖いけれど何も起こらない。
せいぜいひとにぶつかったり、階段を踏み外しそうになったり、けつまずいて少し痛い思いをするくらいだ。
 
粗く見る方法を、応用したらどうだろう?
円錐形の世界に慣れてきたころ、イヤホンも復活した。
足元と少し先だけを確かめながら音楽を聴いて歩く。
駅のアナウンス、電車やカフェで周囲の会話を拾わないくらい音を大きくしてみる。
電車の遅延情報や次に来る電車の行き先がわからなかったりするが、それ以外には困らなかった。
音楽の世界がより深く楽しめるようになった。
 
意識を向ける先も狭めてみる。
習慣で見ていたSNSも、フォローを大量に外したり、見る回数を減らすことでキャッチする情報を少なくした。
新しい情報について興味の有無を判断したり、考えることの量を減らしたら頭の中が静かになり、気にかかることが絞られた。
 
それでもあいかわらず、気にかかること、考えることはある。
「他のひとは気づかないから大丈夫」という理屈には、いまだに全然納得がいかない。
でも「気にしすぎ」ではあったな、といまなら思える。
無意識であっても自分の「気」に触れる総量が多すぎた。
触れたものの処理や対応は、できる。
けれども「処理をする必要のあるものかを先に選別する」という視点が抜けていた。
見えるもの、聞こえるものすべてに反応する必要がなかった、と知った。
処理をする、したいと思うものに円錐形で気を向けることができるようになった。
それ以外の時間は頭の中がずっと静かになって、ぽっかりと空間ができた気がしている。
 
あるひとは言った。
『奇跡は余白に舞い込む』と。
腫瘍ができて、脳に余白が生まれた。
そのこと自体がもう奇跡かもしれない。
でもまだまだ人生は長いので、奇跡は何度だって大歓迎だ。
見ない、聞かない、気にしない。
ほら、次の奇跡が舞い込む準備は万端よ!

 
 
***

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2018-08-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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