哲学は恋バナである
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記事:小雪(ライティング・ゼミ日曜コース)
「ねえ、なんであの人のことが好きなの?」
「うーん……うまく言えないなあ。でも、なんか、好きなの」
「え、それじゃわかんないよ!」
「だって、ほんとにうまく伝えられないんだもん。なんだろなあ、ほら、ね?」
これは、よくある恋バナの一部分だ。僕も修学旅行に行ったとき、普段は恥ずかしくて聞けない恋の話なんかを友達によく聞いたものだ。恋の話って本当にこそばゆい。
だけど、僕は恋愛の話をするのが大好きで、相手に隙あらば恋バナを振る。「恋愛相談のってやるぞ」とか言っちゃう。それで、自分の恋愛模様もばらす。大抵はそれでめっちゃ盛り上がる。
恋愛小説もたくさん読んだし、ラブコメディ映画もたくさん見た。各地のデートスポットにも回ったりして、愛しあっているカップルを観察したりした。もはや、変態である。
そんな恋愛好きの僕が、大学で四年間学んだのは、哲学である。もちろん、学科を適当に選んだわけではない。恋バナが好きだからこそ、哲学を選んだのだ。
なんでかというと、哲学そのものが、恋バナだからである。
もしかしたら、皆さんの中には、「哲学ってあの難しそうなやつでしょ?」って思った人もいらっしゃるかもしれない。確かに、哲学がやっていることは難しい。でも実は、哲学そのものはそんなに難しくない。
むしろ、恋バナをしたことがある人はみんな、哲学をやっていると言ってもいい。なぜなら哲学というのは、恋バナでも普通に行われる、「うまく伝えられないことを言葉にする」という行為そのものだからである。
「うまく伝えられないって……。それ、本当に好きなの?」
「好きだよ! 間違いなく好き」
「じゃあ、教えてよ。どんなところが好きなの? こう、ほら、あるじゃん、例えば優しいとこが好き、とか」
「あ、そうだね。彼は、本当に優しいの。あ、そうだ、ちょっとだけ私にだけ優しいなって感じるときがあるんだ! それはね……」
「ええ! そんなことがあったの? じゃあ、向こうも好きなんじゃない? そっかあ、それじゃあ、好きになっちゃうわけだね」
「そうそう! 伝わってよかった。ねえ、まだ眠くない? もうちょっと話聞いてほしいんだけど」
「もちろんだよ! うん、もっと聞かせて」
この会話では、「好きな理由」を、「自分にだけ優しいから」という言葉に置き換えることで、相手に自分のキモチを伝えることに成功している。
このように、恋バナと言うのは、「うまく伝わらないもの」を言葉にする営みであるとみることができる。
会話というのは、何らかの方法で言葉にできて初めて相手に伝わるわけである。だから、自分のキモチを言葉にする必要がある。
恋バナは、題材が「好きな人」である分、言葉にするのが難しいことが良くある。でもきっと、恋バナをしたことがある人はみんな、その難しさに心当たりがあるんじゃないかって思う。
一方で哲学もそれは同じである。例えば、哲学者の中でも有名なカール・マルクスという人の著書に『資本論』というものがある。
『資本論』は文庫本にして9冊分の内容があるにもかかわらず、全編を通して難しい言葉が使われている。まさにこれが、哲学が難しいと言われる理由だろう。僕も、『資本論』が難しいことには同感だ。マルクスのやった仕事を理解するのは、本当に難しい。
ただ、マルクスのやった営みはそこまで難しくない。簡単に『資本論』の概要を説明すると、格差社会が広がっていく原因が、当時のヨーロッパ世界における経済のあり方にあることを突き止め、それを言葉にしながら明らかにした著書である。
言い換えれば、マルクスはこの世界で「うまく伝わらなかったもの」を、言葉にしてみんなに伝わるようにしたわけである。まさにそれは、恋バナなのである。
きっと多くの人が、「うまく伝わらないキモチ」を持つときがあると思う。例えば、おいしいものを食べたことをみんなに伝えようって思ったとき、多分「ああ、この味をどうやって表現したらいいのだろう」と悩んだことがある人は大勢いるだろう。
僕も、今こうしてみなさんに自分の考えていることを言葉にして伝えようと頑張っている最中なのだが、どう言葉にしたらいいかめちゃくちゃ悩みながら書いている。
哲学者になるとさらに悩みが複雑になって、「生きるとは何か」とか、「どうして世界があると言えるのか」とか普通の人じゃ考えないことまで考えようとする。
更に現代の哲学者は問いそのものが難しい場合も少なくない。「エクリチュールと呼ばれるとき、パロールの中にもその痕跡が見て取れるから、パロール本位な見方はおかしいのではないか」という問いを立てたのは20世紀の哲学者であるジャック・デリダだが、哲学を学んだことのない人にとっては「え?」以外の感想はないだろう。ちなみに僕もよく分かっていない。
だけど、言っていることは難しくても、繰り返すが、それは全て「うまく伝わらないもの」を言葉にした結果なのである。
何か伝えたい、それか伝えたかったことがあって、それを言葉にしたわけである。恋バナも、自分のキモチを伝えて盛り上がる。つまり、哲学も恋バナもやっていることは一緒だ。
「何を勉強しているの?」と聞かれたとき、哲学だと答えたら「難しそうだね」って引かれてしまうことがある。僕は、寂しくなっちゃうけど、これは仕方のないことだと思っている。
でも一方で、本当に哲学そのものは難しくない。だから、「哲学を勉強しています」っていう人がいたら、恋バナをするような感覚で、ぜひ話を聞いてあげてほしい。
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