翻弄される身体
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ特講)
二年ほど前から、趣味でベリーダンスを習っている。
ベリーダンスといえば、アラビアンナイトの世界観を再現したような、妖艶で煌びやかなあのダンスだ。何年か前に日本でも大ブームになったから、見たことがある人もいるかもしれない。
中東が発祥で、主にトルコやエジプトで踊られていたものが、西洋で洗練されたのち、日本にも渡ってきた。ショーアップされたものの多くは、「オリエンタル」と総称されるスタイルで、先述の通りセクシーで優雅な踊り。
けれど、中東の風俗に根ざした民族舞踊(フォークロア)も含めると、その種類は多岐に渡る。
そのベリーダンスを習い始めた頃のこと。
私の師匠筋にあたる先生が、「踊ることは懺悔に近いのよ。自分の中の汚れた部分を浄化していくように踊るの」と仰っていた。
その台詞に私は心底痺れ、「むっちゃかっこええやんけ!」と、ドーパミンを噴出させ、瞳孔を全開にして稽古に通ってはみたものの、まず与えられた振り付けを「踊り」という形に昇華することの、ただならぬ難しさの前に心が折れた。
優雅に見える一つ一つの動き、リズムの取り方、シンプルなステップ、それらの流れるようなコンビネーション。
一見簡単そうに見える全てが私の実力を圧倒的に超えた所に存在していて、どれだけ鏡の前で汗だくになって動いても、尻尾も掴めない。ただアラブの独特なリズムに弄ばれるように、滑稽に手足をばたつかせている私がそこにはいた。
これは私のポテンシャル、もとい運動神経にそもそもの難がありすぎるからか……と、母親の運動音痴まで呪うほど落ち込んだことも数知れないが、ただ私には、ひとつだけ救いがあった。
それは、「出来ないことに慣れている」ということ。
勉強も運動も恋愛も仕事も、何事も器用にこなせないのが普通の人生だった。徹夜で勉強したテストで0点を取ったり、マラソン大会でゴールしていないことすら忘れられたり、友達に好きな人を奪われたり、友達の家で風呂に入ろうとして開ける扉を間違えて全裸で庭に出たり、普通に生きていれば一回も経験せずに済むようなこれらの珍プレーの数々は全て実話である。だから、上手くいかなくても簡単には挫折をしないのだ。そのことを自覚するようになったのは、割と最近のことだ。不器用であることが、折れにくい心を作ってくれた。
同期生が次々に脱落していく中、私は粛々と稽古に通った。
だからと言って、努力が功を奏して目を見張るような成長を遂げるようなこともなければ、天性の愛嬌で先生に特別目をかけてもらうようなこともない。当たり前だが、そんなミラクルは多分今後も起こらない。稽古に出席して、お手本とかけ離れた鏡の中の自分と対峙する。そして何がどうおかしいのかを分析して(または、教えて貰って)出来るだけの軌道修正をする。それを毎週地道に繰り返しながら、ゾウガメがフルマラソンに挑むような歩みで、あの「完成形」を目指すのだ。
ただ、何度か舞台に立つうちに、成長のペースは一定でないことにも気がついた。
例えるなら、それは自転車に乗るような感覚に似ている。
どうしても上手く出来ない動きを何度も反復練習していると、ある瞬間に突然、できる。その次は、さらに精度が上がったものが、できる。点が線になるように、飛躍的に動きの解像度が上がって、歪だったムーブメントが滑らかに塗り替えられると、もう出来なかった状態には戻れない。この現象が、フレーズのひとつひとつで起こる。それを連続させて、曲全体の完成度を高めて行くのだ。
しかし自転車と決定的に違うのは、ダンスが表現であるということ。
できるようになってからの道のりには終わりがない。より美しく、より自分らしく、という修験者のような自己研鑽の世界に突入して行く、らしい。
らしいというのは、私がまだその段階に到達しておらず、「見るも無残」を「マシ」にすることで精一杯な日々だからだ。
補助輪を片方だけ外して、ようやく一人で走れたら、次は両方外して父さんにサポートしてもらう。
そんな風に、家の裏の一本道を毎日毎日走ったことを思い出す。
私は確か、自転車に乗れるようになったのも誰よりも遅かった。同級生はおろか、弟までも、ガラガラと補助輪を鳴らして走る私の脇を、新しい自転車ですり抜けて行った。
それでも、結局私は自転車に乗れるようになった。
乗れるようになってからは、「なかなか乗れるようにならなかった」ことを気に病んだことは、おそらく一度もない。案外そんなもんである。
いまはまだ、ダンスが懺悔か自己表現かはわからないし、例えば、「息をするように踊る」だとか、「ダンスは人生そのもの」だとか、そんなドラマティックな達観には一ミクロンも到達していない。
けれど、目の前にある課題を最善の方法で消化して行くことでしか、道は開けないのだから。その中で、時々拾い上げる達成感だとか、失敗だとか、新しい発見をつなぎ合わせて、踊ることに対する自分なりの回答を導きたいと思う。
そして、颯爽と自転車を漕ぐように、いつかは。
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