メディアグランプリ

メインストリームの少し横


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記事:わしおあやこ (ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
どうも自分が好きなもの、興味を抱く事は、人のそれとズレているらしい。
人生の割と早い段階で、私はそれに気が付いた。
 
高校生の頃、私は相撲に夢中だった。
私が相撲を取っていたという意味ではない。寺尾関の大ファンだったのだ。
最初に大相撲に興味を持ったのがいつだったのか、寺尾関の取り組みを初めて見たのがいつだったのかは、なぜか完全に忘れてしまった。が、気が付いた時には、すっかり夢中だった。寺尾関の甘いマスクと、取り組み前の凛々しく険しい表情、そして全身を覆う美しい筋肉に、すっかり心を奪われた。テレビの画面に映る、寺尾関のすべてが完璧だった。
相撲の潔いルールも大好きだった。指一本、地面についたら負け。それ以上相手を痛めつけることはしない。力士が、痛ましい怪我を負う一番も確かにあった。でも、そんな痛ましいシーンですら、傷を負った相手にそっと手を差し伸べる、力士同士の助け合い精神に胸を打たれた。立ち上がれなくなるまで相手を打ち続けるスポーツより、私にはずっとしっくりきた。
 
当時の私の生活は、完全に大相撲中心だった。幕内の取り組みは、夕方五時頃から始まる。それを最初から観るために、絶対に帰りのバスに乗り遅れないよう、いそいそと帰宅した。すべての取り組みをリアルタイムで観た後は、深夜の大相撲ダイジェストで本日の取り組みを総復習。場所中の番付表はもちろんチェックし、大相撲関連のバラエティ番組などは必ず録画。
今振り返ってみても、当時の私は文字通り、大相撲に恋していた。
 
私の、この人からちょっとズレている傾向は、子供の頃からだった。
 
幼稚園でも小学校でも、私の好みは人と少しズレていた。
幼稚園のお遊戯会では、クラスの大半の女の子が演じたがるお姫様役に、全く興味を抱けなかった。周りに遠慮したわけでも、彼らの熱量に圧倒されたわけでもない。私がやりたかったのはツバメの役で、お姫様ではなかった。それだけだ。
小学校にあがると、今度はクラスメイトが切り抜きを片手に熱く語る、ジャニーズの話題にうまく乗ることができず、いつも聞き手に回っていた。ジャニーズ・アイドル達の事も素敵だとは思っていたし、クラスメイト達の趣味を尊重する気持ちもあった。けれど四歳離れた兄の影響で、当時の私がひっそりと下敷きに挟んでいた切り抜きは……デヴィッド・ボウイとスティングのモノクロ写真だった。まだ英語もわからなかった当時の私が、なぜその二人をかっこいいと思ったのか、今となっては本人にも謎だ。
 
こんな風に書くと、それはさぞ暮らしにくい学校生活だっただろう……と想像されたかもしれない。周りと調子を合わせる事ができないと、学校は途端に生き辛い場所になる。それは確かに、そうかもしれないと思う。学校だけではなく、日本の社会全体に、そういう傾向はあるように思う。
 
ところが私には、人とズレているという事を理由にいじめられたり、居場所がなくなったりした、という経験がない。もちろん私を嫌う同級生やいじめてくる先輩はいた。確かにそういう事はちらほらあった。でもそれは、私の趣味が人とズレているから、という理由で起こったのではなかった。その事で悪口を言われたり、責められた記憶は、改めて記憶を丁寧に辿ってみたが、やはりない。
 
小学校の頃、私がひっそりと下敷きに挟んだ切り抜きを見つけて、話かけてくれたクラスメイトがいた。
「ねぇアヤちゃん……スティング好きなの?」
彼のお姉さんは、うちの兄と同級生だった。そう、彼も私と同じく、イギリスの音楽を家で聴いていたのだ。そうして私には、共通の趣味を語れる仲間ができた。
 
高校時代、皆が放課後楽しくお喋りしている途中で、私一人が教室を出る事がよくあった。もちろん幕内の取り組みを観るためだ。場所中は毎日そんな調子だから、一度クラスメイトから理由を聞かれた。相撲が観たいのだ、と正直に話した。
「お前、相撲が好きなの?!」と、ものすごく驚かれたが、次の日も、皆はいつも通り。変わった事は何もなかった。そしてそのうち、私が放課後のお喋りに夢中になっていると、他のクラスメイトが「おいワシオ! お前そろそろ帰らないと相撲観れなくなんぞ!」と教えてくれるようになった。それは時に、メインストリームに君臨するモテ代表のような子だったりもした。彼らも、私を馬鹿にしたりしなかった。しばらくすると「いや、実は私も琴ノ若のファンなんだよね」と教えてくれる子も現れて、私にはまた、趣味を語れる仲間ができた。
 
当時の私に、思春期特有の欝々とした感情がなかったわけではない。でも自分の興味のある物事について後ろめたく感じたり、隠したりした事は一度もなかった。それは偏に、誰かの個性に対して、大きな声でOK! と言ってくれた周囲の人々のおかげだったと思う。
 
自分の好きな物について、ちゃんと好きだと表現する事の重要性を、私は幸運にも学校ヒエラルキーの中で教えてもらった。違いを面白がってよいのだと、環境が教えてくれた。
 
自分と自分以外の誰かが何かに対して抱く愛情に、優劣はない事。
自分が知らない事、すぐには理解できない事を簡単に見下したり、規格外として扱ったりしない事。
そして自分の中の愛情を、歪曲して世界に伝えない事。
 
当時教わった事は、今も私の大切な部分を占めている。
 
人と少しズレていた私の興味は、大人になった今もやっぱりズレている。
でも、もしもパラレルワールドというものが存在して、そこにメインストリームに乗っかる私が生きていたとしても、私はやはり、こちらのニッチ人生を選ぶだろう。
メインストリームから少し外れた横あたり。その立ち位置が、私にはちょうど良い。

 
 
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2018-09-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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