メディアグランプリ

歯肉炎と弱い心


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記事:三島桃津(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「うわー、つらい」
歯を磨き始めて1時間が経過しようとしている。しかし、まだ治らない。
歯肉炎。
病弱な自分の中で歯だけが唯一強くて苦労しなかったのに、大学院に入ったころに歯肉炎にかかってから、数か月に一回は歯から血が出るようになった。発症原因は磨き残し。それさえ取り除けば嘘のように腫れと出血が引く。一度掛かってから毎日朝晩2回絶やさず磨いているのに、少し適当に磨いたら、少しコーヒーを飲んだら、歯の隙間が腫れだして痛い痛い歯磨きを毎日行う羽目になる。そして、歯肉炎は決まって忙しかったり、苦しかったりするときに発症しだす。まるで自分の弱い心のように、つらいときや油断しているときに限って顔を出してくるのだ。
 
新入社員としての研修も佳境を迎えてきた。今度の研修は、渡された会社資料だけを使って、ITシステムの提案を提案内容からプレゼン資料作成、発表までを全て自分で考え、会社の役員の方に対して行うというものだった。全部一人とは言っても、この研修でしっかり提案を作れるようにこれまで研修を受けてきたし、OJTの先輩もサポートしてくれるという話になっていたので、実際のところはそこまで大変ではないだろうと楽観的に考えていた。
いざ始まって、資料を眺める。これなら大丈夫そうだと思えるような難易度。何とかなる。そう思って作り上げた一回目の草稿は
「これは提案じゃない」
という先輩の言葉で全て粉々になった。
「そもそも、提案のプレゼン資料はこういう作り方じゃない。しっかりと課題を洗い出してそれがスライドを見てすっきりわかるようにできてないといけない。研修ではそこまで習ってないの?」
「えっと、さすがに細かくはやってなくて……」
「じゃあ、このタイミングでしっかりやっちゃいましょう」
先輩は優しく謙虚だが妥協はしない人だ。「しっかりやる」という方向になってしまった以上、先輩が納得するレベルにまで作り上げることを自分も覚悟をしないといけない。その日から、ホワイト企業だと思っていた自分の会社が、スイッチを切り替えたかのように黒く変わってしまった。
 
「スライドは良くなったけど、内容がまだダメ」
「前にこうしようってなったスライドの構成にどうしてしていないの?」
「原因の深堀がまだ足りない」
資料や内容へのコメントは連日に続いた。資料作成が追い付かなくて、ついに残業、家で仕事を行うようになる。
「八島君のところ、大変だね……」
こちらの研修は少し独特で、新卒が同じ場所で集められて作業を行うのではなく、他の仕事と並行して進めていくものになる。準備へのサポートに入る度合いはOJTの先輩次第なので、同じ研修内容でも先輩のやる気によって忙しさは同期一人一人バラバラだった。他の同期の先輩はそこまで熱を入れて研修に臨んでいなかったので、同期の業務量は必然的にホワイトのままだ。
「なんでこんなに違うだろう……」
当たった先輩が違っただけで、こんなにも生活が違う。色々教えていただけることはとても貴重ではあったが、もう少し言われなくてもできるようになりたかった。
 
歯が痛みだしたのはその頃からだ。社会人になってから初めての発症。鏡で確認すると右上奥歯の裏の3本の根元が全体的に腫れている。
自分の油断だった。苦しい、忙しいという気持ちに押されてつい毎日の歯磨きを適当にやってしまっていた。たかが歯磨きなのだが、歯肉炎になってしまった後の歯磨きの痛さを経験してしまうと、そのたかが歯磨きをおざなりにしたことで返ってくる後悔が計り知れない。
「はあ……」
やりきれなくてため息をついた。
なんでまた、歯磨きなんかで痛い思いをしなくてはいけないのか。たかが歯磨きで。そんなことをしている場合ではないのに。でも、ここで放って置いて治さないと痛みでご飯が食べられなくなる。逃げることはできなかった。
歯ブラシを持って、弱い自分に向き合う。他人に話したら笑い話にさえなってしまうくらい取るに足らない油断なのに、それにつまずいて静かに反省をする。あのとき、しっかり磨いていれば。もう少し気を付けていれば。腫れた歯茎にブラシを当てる。
「い、痛っつ……」
痛みは脳味噌の中まで響いてくる。血と一緒に涙が出る。それをずっと、一時間。これを治るまで、毎日続ける。そして、血として流れた歯茎は戻らない。歯の寿命も減ってしまうおまけつきである。
「やっぱ歯医者行こうかな……」
そうやってぼやきながら少しずつ、少しずつ、腫れの原因を見つけて磨き残しを落としていく。すると、段々と腫れが引いていく。今まで磨けていなかったところを見つけて、痛い原因を取り除いていく。自分のどこが悪かったのか、理解していく。
「こんなもんかな……」
うがいをすると水は透明だった。痛みは嘘のように晴れていた。
歯肉炎のいいところは、磨き残しが無くなれば痛みが引くところだ。自分の弱い部分を見つけて対策すれば、自然と良くなってしまう。
 
「頑張ったね。これなら役員の方に見せても大丈夫だと思うよ」
先輩からやっとゴーサインをもらえた。迎えた本番で、自分のプレゼンは思った以上に好評をいただけた。
「『八島君、よく考えて提案していたね』って、役員の方が褒めていたよ。良かったね!」
OJTの先輩から言われた一言。なんとかなったと正直思った。
自分の弱さからまた少し逃げずに立ち向かったおかげだと思った。

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2018-09-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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